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*メールマガジン「風切通信 43」 2017年12月7日
   
 池澤夏樹という作家はただ者ではない。私が初めてそう感じたのは、河出書房新社から出版した『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』の中に、ベトナムの作家バオ・ニンの小説『戦争の悲しみ』を選んで入れた、と知った時でした。

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 トルストイの『戦争と平和』をはじめ、戦争をテーマにした小説は数限りなくありますが、私はバオ・ニンの『戦争の悲しみ』は戦争文学の傑作の一つと受けとめています。彼は、ベトナム戦争に北ベトナム軍の兵士として加わった人間です。部隊は全滅状態になり、その中の数少ない生き残りの一人でした。戦場の実相とはどのようなものなのか。バオ・ニンはそれを淡々とした筆致で描いています。一緒にいた仲間が次々に死んでいく。それを繰り返すうちに、兵士の人としての心は乾き、少しずつ死んでいくのだ、と書いています。

 ベトナムは社会主義国家です。社会主義圏の作家は「祖国と革命の大義のために命をささげた英雄たちの姿」を描くよう求められるのが常です。が、バオ・ニンはそれを拒み、自らの体験をそのまま記しました。作品には北ベトナム軍の兵士が女性を暴行する場面も出てきます。このため、ベトナムの軍機関紙からは「人民軍の名誉ある歴史に泥を塗る作品」と指弾されました。十数年前にハノイを訪れ、彼の話を聞いたことがあります。寡黙な人でした。彼にとって、戦争においては「勝者もまた悲しみを運命づけられた存在」であり、作家にできることは「すべての死者と生者のために忠実に記録すること」だったのです。

 「池澤夏樹はただ者ではない」と再び思ったのは、この秋、英国の作家カズオ・イシグロの作品『遠い山なみの光』の解説で、作家と作中の登場人物について池澤が次のように書いているのを読んだ時です。

「作家には、作中で自分を消すことができる者とそれができない者がある。三島由紀夫は登場人物を人形のように扱う。全員が彼の手中にあることをしつこく強調する。会話の途中にわりこんでコメントを加えたいという欲求を抑えることができない。司馬遼太郎はコメントどころか、登場人物たちの会話を遮って延々と大演説を振るう。長大なエッセーの中で小説はほとんど窒息している。(中略)カズオ・イシグロは見事に自分を消している。映画でいえば、静かなカメラワークを指示する監督の姿勢に近い。この小説を読みながら小津安二郎の映画を想起するのはさほどむずかしいことではない」

 作家は作品の中で会話をどのように組み立てるのか。それについてこのような解説をしたためる力量にうなりました。司馬遼太郎の小説に違和感を覚える理由はそこにあったのか、と得心もいきました。司馬作品は文学というより歴史物語なのだ、と。池澤夏樹は同じ解説で次のようなことも書いています。

「われわれの日常的な会話の大半はそれほど生成的ではない。双方の思いの違いが明らかになるばかりで、いかなるC(という考え)にも到達できないのが普通の会話というものだ。それがまた哲学と文学の違いでもある。両者がボールを投げるばかりで相手の球を受け取らないのでは、会話はキャッチボールにならない。人間は互いに了解可能だという前提から出発するのが哲学であり、人間はやはりわかりあえないという結論に向かうのが文学である」

 文学とは何か。哲学とは何か。それについて、これほど簡潔に表現した文章を初めて目にしました。これが誰かの文章からの引用なのか、池澤夏樹の独創なのか不勉強で知りませんが、胸にストンと落ちるものがありました。すでに読んだことのある小説のほかに、彼はどんな作品を発表しているのか。もっと読んでみたくなりました。ある作家から次の作家へ。こういう形で進む読書もあるのだ、と知った秋でした。


≪参考文献&サイト≫
◎『戦争の悲しみ』(バオ・ニン、井川一久訳、めるくまーる)
*河出書房新社『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』第1期第6巻には全面改訳を収録
◎ウィキペディア「バオ・ニン」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%B3
◎『遠い山なみの光』(カズオ・イシグロ、小野寺健訳、早川epi文庫)
◎『浮世の作家』(カズオ・イシグロ、飛田茂雄訳、早川epi文庫)
◎『光の指で触れよ』『すばらしい新世界』『スティル・ライフ』(いずれも池澤夏樹、中公文庫)

≪写真説明&Source≫
◎ベトナムの作家、バオ・ニン
http://hanoi36.sblo.jp/article/174876700.html





*メールマガジン「風切通信 42」 2017年11月8日

 英国の作家カズオ・イシグロの父、石黒鎮雄(しずお)はその生涯を波の研究にささげました。彼の最初の仕事とも言うべき博士論文「エレクトロニクスによる海の波の記録ならびに解析方法」を読んでみたい。海洋学者の友人に相談すると、「論文のデータベースに標題が載っているが、電子化されていないようで内容は分からない。国会図書館なら国内のすべての博士論文を所蔵している」とのこと。

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 上京して永田町にある国会図書館を訪ねました。国立国会図書館法によって設立された日本唯一の国立図書館で、法定納本図書館とされています。国内で出版した書籍や論文、雑誌はすべてここに納本しなければなりません。同法の前文は「真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される」と格調高い。歴史哲学者、羽仁(はに)五郎の文とされています。

 図書館職員の助けを借りて、石黒鎮雄の論文を検索すると、すぐに見つかりました。ただし、収納スペースの制約もあって、博士論文をはじめとする学術資料は京都府精華町にある関西館が所蔵しているとのこと。肩を落とすと、職員は「すべて電子化されていますので、国会図書館の会員になれば、インターネットで請求できますよ」と勧めてくれました。

 会員登録を済ませ、山形の自宅に戻ってパソコンで論文の郵送を依頼すると、1週間ほどで念願の博士論文が届きました。原本は英文で200ページ余り。著作権法の定めにより、その半分、前半の100ページほどをコピーして送ってきてくれました(コピー代は後日振り込み)。論文の標題は「An Electronic Method for Recording and Analysing Ocean Waves」。カズオ・イシグロの父がタイプライターで一文字一文字、丁寧に打ち込んだ文章と手書きの数式が並んでいました。

 微分積分も分からない文系の私には、論文の内容を正確に理解するのはもとより不可能です。ルート(平方根)の中にルートがあるような数式が頻繁に出てくるのですから。それでも、イギリスの国立海洋研究所がこの論文に注目し、石黒鎮雄を招聘することに決めた理由は理解できるような気がしました。

 彼は手先が器用だったと言われています。市販されている電気製品を利用して、自分で波の高さや圧力を測定する装置を作り、それを使って計測したデータを論文にまとめたことが分かりました。装置の設計図や完成品の写真も載せ、実際に海に設置する方法も図解してありました。北海油田を開発するため、石油プラットフォーム(掘削櫓)を建設しなければならず、苦闘していたイギリスの関係者はこの論文に光を見たはずです。

 荒れ狂う北海の波の高さはどれくらいなのか。波の圧力はどのくらいなのか。掘削櫓は、そうしたデータを得たうえで設計し、建設しなければなりません。「これで計画の土台を固めることができる」。関係者はそう確信し、三顧の礼をもって石黒鎮雄を招いたのではないか。そして、鎮雄も生涯をかけてその期待に応えることを決意した――妻や子どもたちが日本に一時帰国したがっていることは分かっていても、その余裕はついぞ生まれなかったのかもしれません。

 この博士論文が、長崎で穏やかに暮らしていた5歳のカズオ・イシグロをイギリスに連れ去り、日本の思い出を繰り返し反芻する少年にし、作家への道を歩ませることになったのかと思うと、読みながら何か熱いものが込み上げてきました。

 「ひとはみな、執事のような存在だと思うのです。自分が信じたもののために仕え、最善を尽くし、生きる」「人生は、とても短い。振り返って間違いがあったと気づいても、それを正すチャンスはない。ひとは、多くの間違いを犯したことを受け入れ、生きていくしかないのです」。代表作『日の名残り』について、カズオ・イシグロはそう語ったことがあります。その言葉は、家族を省みる余裕もないほど波の研究に没頭した父を許し、生きるためにそうせざるを得ない多くの人々の哀しみに寄り添うために発したのではないか、と思えてきました。

 将来、何者になるかに惑い、さまよう中で、若きカズオ・イシグロはこの父の博士論文を読んだのではないか。そして、タイプライターで打たれた文章の行間から、波の研究にかける父の思いを汲み取り、さまざまなことに自分なりに折り合いをつけて歩み始めたのではないか。そう思わせる論文でした。


≪参考文献&サイト≫
◎石黒鎮雄の博士論文「An Electronic Method for Recording and Alalysing Ocean Waves」(1958年、学位授与)
◎国立国会図書館法
http://www.ndl.go.jp/jp/aboutus/laws/pdf/a1102.pdf
◎ウィキペディア「国立国会図書館」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8
◎国立国会図書館の公式サイト
http://www.ndl.go.jp/
◎週刊誌『AERA』2001年12月24日号のカズオ・イシグロの日本講演に関する記事(伊藤隆太郎)

≪写真説明&Source≫
◎石黒鎮雄が開発した波高測定装置の一つ(博士論文から複写)




*メールマガジン「風切通信 41」 2017年11月4日
         
 セクハラという言葉もジェンダーという言葉も、まだ世間では使われていない頃の話です。朝日新聞に入社して配属された静岡支局には独身の男性記者が5人、事務の女性スタッフが2人いました。妻子持ちの記者がこの7人を馬に見立てて、「結婚予想レース」なるものを貼り出しました。クラシック音楽好きのもっさりした記者は「クマノハチゴロー」、少し優柔不断なところのある記者は「ヤイタノグズル」といった具合です。

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 女性の馬名がすごい。結婚願望が強い女性には「ウンノテキレイ(適齢)」、入社したての女性には、なんと「ホウマン(豊満)チブサ」と付けたのです。今なら、とても許されない命名です。私の馬名は「レイケツ(冷血)ノボル」。これも今ならパワハラと言われるかもしれませんが、私は意外と気に入っていました。どんな時でも冷静さを失わず、しつこく取材する。褒め言葉と受けとめたのです(昔から能天気でした)。

 レースのその後の展開はともかく、私の冷血ぶりは今も変わりません。街頭で署名や募金を呼びかけられても、一瞥もくれず通り過ぎるのが常です。誰が何のために署名や寄付金を使うのか、知れたものではないからです。ただ、そんな冷血人間がつい募金箱にお金を入れてしまうことがあります。遺児の教育支援を呼びかける「あしなが学生募金」です。高校生が懸命に「お願いします!」と声を嗄らしているのを見ると、足が止まってしまうのです。

 「あしなが育英会」は1960年代に、交通事故で親を亡くした遺児の進学を応援するために作られました。その後、交通事故だけでなく、病気や災害の遺児にも奨学金を支給するようになり、5200人の高校生や大学生に24億円の奨学金(2015年度実績)を貸し出しています。政府から補助金を受けたりせず、すべて寄付でまかなっているところがすごい。奨学生のために学生寮を建て、彼らが交流するための施設をつくるなど、運営もスマートです。

 この秋に寄付した際、小さなチラシをいただきました。書かれていることを読んで、仰天しました。「あしなが学生募金」の半分は、今ではアフリカの苦学生のために使われている、と書いてあったからです。日本には進学したくてもできない若者がたくさんいる。けれども、アフリカにはもっと厳しい状況にある若者が無数にいる。そこで「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」というプロジェクトを始めたのです。

 「100年構想」の特設サイトがあり、内容が紹介してありました。アフリカのサハラ砂漠以南にある49カ国から毎年1人ずつ世界の大学に留学させることを目指すプロジェクトです。支援の対象に選ばれた学生たちはまず、ウガンダにある「あしながウガンダ心塾」で留学の準備をして、世界各地の大学に巣立っていくのです。2014年の第一期生10人の中に、隣国ルワンダの女子学生がいました。

 アンジェリーク・ウワベラ(19歳、ルワンダ)
「両親は私が2歳の時に反乱軍の犠牲になり、私は完全に孤児になってしまいました。あしながは私にとって第二の家です。先生や仲間の励ましのおかげで、素晴らしい将来を想像できるようになりました。これまでずっと貧困に苦しんできたので、将来は国際ビジネスを勉強して自立し、自分の会社を作りたいです」

 アフリカでは今でも紛争が絶えず、幼い子どもが酷使され、次々に死んでいっています。原因はいくつもあるでしょう。が、私には奴隷貿易の歴史がいまだに尾を引いている面がある、と思えてなりません。16世紀から300年余り、アフリカからは推定で1250万人を超える黒人が北米や中南米などに奴隷として売られていきました。白人たちは健康で働けそうな者だけを連行して船に乗せました。航海の途中で病死すれば、海に投げ捨てられるのが常でした(『環大西洋奴隷貿易 歴史地図』参照。奴隷貿易の総数については諸説ある)。

 頑健な働き手をごっそり失ったアフリカの社会はその後、どのような道をたどったのか。想像するだけで胸が痛みます。コロンブスのアメリカ到達に象徴される大航海時代の始まりは、アフリカにとっては「大惨事の時代」の始まりだったのです。日本の中学や高校の歴史の教科書がそのことをあまりきちんと書かないのは、欧米を通して世界を見る習性が染みついているからでしょう。

 東京大学名誉教授が著した『図説 大航海時代』という本は、スペインやポルトガルがいかにして世界の海に繰り出し、戦い、征服していったかを延々と綴っていますが、それによって奴隷の搬出地アフリカや移動先の南北アメリカで何が起きたのかについて触れることはない。アメリカの西部劇が騎兵隊や開拓者の側から描かれるのと同じです。敗者のことが念頭にない。いや、視野に入れようと思い付くことすらない。

 歴史を広い視野から問い直し、学び直す。21世紀はそういう世紀になるような気がします。「あしなが育英会」にはそれが分かっていて、実践しているのだと思う。だから、このプロジェクトは胸を打つ。

 募金に感謝するチラシには、スワジランド生まれでこの奨学金を得て日本の国際基督教大学に留学したボンゲ・キレさん(女性)の言葉が記されていました。
「私たちの国で留学しているのは、多くが英国や米国といったかつての宗主国です。でも、私はそうしたアフリカにとって身近な国ではなく、世界でも特別でユニークな文化を持つ日本で学びたいと考えました。私はそうしたユニークな考え方をアフリカに持ち込みたいと考えているからです」

 私たちの国、私たちの社会の希望とは何なんだろうか。それを考える糸口を「あしなが育英会」とアフリカから世界の大学に飛び立った若者たちに教えてもらったような気がします。


【追補】
「あしなが育英会」は発足して半世紀になります。創設者の玉井義臣(よしおみ)氏(82)が会長をつとめ、役員には下村博文・元文科相や有馬朗人・元東大総長、明石康・元国連事務次長らが名を連ねています。法人格はなく、任意団体のままです。事業報告や収支報告を公開していますが、詳しい会計内容とりわけ支出の詳細は開示していません。事業規模が58億円(2015年度)に達し、多くの人の善意に支えられていることを考えれば、収支を一層透明にすることが望まれます。


≪参考文献&サイト≫
◎「あしなが育英会」の公式サイト
http://www.ashinaga.org/
◎「あしなが育英会」の活動・収支報告(公式サイトから)
http://www.ashinaga.org/about/report.html
◎『第95回あしなが学生募金』のチラシ
◎「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」とは
http://ashinaga100-yearvision.org/year100/
◎「アフリカ遺児高等教育支援100年構想」で世界の大学に留学した第一期生の顔ぶれ
http://ashinaga100-yearvision.org/year100/class2014/
◎『環大西洋奴隷貿易 歴史地図』(デイヴィッド・エルティス、デイヴィッド・リチャードソン共著、東洋書林)
◎『図説 大航海時代』(増田義郎、河出書房新社)

≪写真説明&Source≫
◎あしなが育英会の奨学生のつどい(同会の公式サイトから)
http://www.ashinaga.org/activity/index.html



*メールマガジン「風切通信 40」 2017年10月31日

            
 今朝の朝日新聞(10月31日)に掲載された「耕論 リベラルを問い直す」というオピニオン面を読んで、私は心底、ガックリ来ました。法政大学教授の山口二郎、教育社会学者の竹内洋、LGBT(性的少数者)コンサルタントの増原裕子の3人の意見を掲載して「リベラルとは何か」を論じていました。もちろん、3人とも識見豊かで、その主張にもそれなりに説得力がありました。が、問題はその人選です。

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 3人とも護憲派で、枝野幸男が率いる立憲民主党の支持者のようです。つまり、朝日新聞の社論の賛同者を3人並べているのです。これでは、議論を闘わせる「耕論」ではなく、「賛論」です。自分たちで作ったタイトルすら実践できず、同じ歌を別々の歌手に歌わせるような紙面をつくる編集者。慰安婦報道で問われた朝日新聞の体質とは何だったのか。たとえ自分たちと意見が異なっても、謙虚にその声に耳を傾ける。その努力を積み重ねる、と誓ったはずではなかったのか。

 「リベラルを問い直す」というなら、立憲民主党の支持者、その批判者、さらに世界の潮流を見据えて日本の未来を語ることができる人物、たとえば、京都大学教授の山室信一や東京大学准教授の池内恵(さとし)、評論家の田中直毅のような論客を登場させて欲しい。それならば、今の日本の政治と社会を複眼で見つめ、世界の中での立ち位置を考えることもできるはずなのに。イデオロギーに縛られ、社の幹部にへつらうような翼賛紙面をつくっているようでは、この新聞の未来は危うい。そう思わざるを得ないオピニオン面でした。

 思い出すのは、朝日新聞論説委員室に在籍していた2001年の「白黒論争」です。毎年、5月3日の憲法記念日に掲載する社説は論説主幹が執筆することになっていました。社説の内容はすべて、掲載の前に「昼会」と呼ばれるミーティングに提示して議論を闘わせるのが決まりです。論説主幹の原稿とて例外ではありません。当時の論説主幹は佐柄木(さえき)俊郎。筋金入りの護憲派で『改憲幻想論』という本を著しています。主張の眼目はサブタイトルにある「壊れていない車は修理するな」です。社説の原稿もそれに沿った内容でした。

 論説委員室の改憲派、元ウィーン支局長の大阿久尤児(ゆうじ)はこの社説原稿を厳しく批判しました。「できて半世紀以上もたつ憲法を一字一句直すな、というのは無理がある。時の流れを踏まえて、より良いものにするのは自然なことだ。実際、同じ敗戦国のドイツは何回も修正している」。諄々と諭すような口調でした。佐柄木は朝日新聞の伝統を踏まえて反論する。大阿久がそれを論破する。その春に論説委員になったばかりの私は「論説主幹の論理は破綻している」と感じ、心の中で大阿久に軍配を上げました。

 議論は延々と続き、佐柄木も大阿久も次第に感情的になっていきました。「白黒論争」に発展したのはその時です。佐柄木が「君たち国際派が何と言おうと、私の目の黒いうちは護憲の主張は変えない」と言い放ったのです。それに対して、大阿久は憤然として「目が黒いとか白いとか、そんな問題じゃない。こんな社説を載せたら、われわれの後輩が恥をかくのだ。それでいいのか」と叫んだのです。「白黒論争」とは私が勝手につけた呼称です。

 論理的に破綻していても、社論をつかさどるのは論説主幹です。憲法制定の記念日にその社説はそのまま掲載されました。佐柄木の後を継いだ若宮啓文(よしぶみ)は護憲というより論憲の立場でした。「一字一句変えないと主張し続けるのは無理」と考え、佐柄木とよく議論していました。それでも、「安倍政権の下での改憲などもってのほか。今、改憲を唱えれば敵を利するだけ」と考え、護憲の論陣を張っていました。

 憲法の施行から60年になる2007年の5月3日、若宮は論説主幹として21本の社説を一挙に掲載するという偉業を成し遂げました。21世紀を生き抜くための戦略。それを意識して21本にしたのです。どのような主張をするか。それを詰めるため、事前に社内の俊英を集めて「安保研究会」をつくり、熟議を尽くしたうえでの掲載でした。憲法9条については「変えることのマイナスが大き過ぎる」との主張。同じ護憲でも、ぐっと腰を下ろして構えた主張でした。

 この安保研究会での議論も忘れられません。朝日新聞の俊英とは言えない私もメンバーになっていました。「翼賛会議」になるのを避けるための彩りとして加えられた、と理解しています。憲法改正が議題になった大会議室での議論はさして活発でもなく、「それでは、今言ったような線で護憲の主張をします」とまとまりかけました。私の脳裏に敬愛する大阿久の顔が浮かび、「これで議論を終わらせてはいけない」と思って改憲論を唱え、次のような言葉で締めくくりました。「このまま護憲を主張し続けるのは自殺行為ではないか」。会議室はシーンとなり、司会者の取り繕うようなコメントで終わりました。「自殺」ではなく、「心中」の方が適切だったかもしれません。

 大阿久も私も改憲論者ですが、もちろん、自民党の保守派や読売新聞、産経新聞の改憲論には大反対です。とりわけ、「押し付け憲法だから改正すべし」という主張は唾棄すべき言説、と考えています。敗戦後、マッカーサー司令部に憲法の改正を求められた当時の幣原(しではら)喜重郎首相は松本蒸治国務大臣に新憲法の起草を命じました。松本がとりまとめた憲法案は天皇について「天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス」と記していました。明治憲法にあった「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」の「神聖」を「至尊」に変えただけ。310万人あまりの同胞の命が失われたあの戦争の後も、為政者たちは天皇制をできるだけそのまま維持しようとしていたのです。

 マッカーサーがあきれ果て、自分のスタッフに日本国憲法の草案をつくるように命じたのは当然のことです。「たった1週間で書かれた憲法」という批判もあります。が、これも正確ではない。米軍は占領後の日本統治を考え、半年も前から若手の憲法学者に研究させていました。日本軍が竹やりで「本土決戦」を呼号していた頃、米軍は法学者を動員して新憲法の準備に着手していたのです。これも、彼我の国力の差を無残なまでに物語るエピソードの一つでしょう。

 マッカーサーに提示された憲法案に当時の為政者はどう応じたのか。彼らは「天皇を戦犯訴追から守り、その地位を保障してもらうこと」で頭がいっぱいだったのではないか。それが叶うと知り、彼らはわずかな修正をほどこしただけで国会に上程し、国会議員も諸手を挙げて賛成しました。それが歴史的な事実です。「押し付け憲法論」を主張するなら、そうした歴史も一緒に語らなければ、公正とは言えない。

 哀しいことですが、戦争に敗れた日本の為政者には、新しい憲法を書く力はありませんでした。与えられるしかなかった憲法。国民の多くはそれを支持し、銃剣で蹂躙された近隣の国々にも安心感を与えました。時代に合わせて、憲法は修正されてしかるべきです。けれども、それは焼け跡の中で産声をあげた憲法を抱きしめ、戦後の成長の中で果たした大きな役割に心から敬意を表したうえでのことでなければならない、と思うのです。

 先のコラムで私は「北海油田の開発に苦しむイギリスは世界の英知を集めることにした」と書きました。荒れる海に石油プラットフォーム(掘削櫓)を建設するために、彼らは世界の英知を集めたのです。私たちに、この国の礎となる新しい憲法をつくるために世界の英知を集める覚悟はあるのか。憲法試案を発表した読売新聞にそれだけの覚悟はあったのか。

 大阿久尤児はガンを患い、退社して間もなく63歳でこの世を去りました。息を引き取る間際まで穏やかに振る舞い、好きな将棋を指していました。潔い死でした。送別の会では、「白黒論争」を交わした佐柄木俊郎が弔辞を読みました。「君は実によく闘いました。大国の横暴や偏狭なナショナリズムをあおるメディアと闘い、体を何度もメスで切り刻まれながら、繰り返し襲い来る病魔と闘った。いまは、ただ安らかにお休みください。そのことだけを心から念じています」

 大阿久が言葉を発することができるなら、皮肉っぽい笑みを浮かべながら、こう言うのではないか。「後輩たちは苦労してるんじゃないの。だから言っただろ、あの時」
(敬称略)


【追補】このコラムについて、複数の朝日新聞関係者から「竹内洋氏は保守の論客で改憲論者です。立憲民主党の支持者ではありません」との指摘を受けました。オピニオン面の論評で、竹内氏は立憲民主党について「反対だけの党になったり、数合わせに走ったりせず、自民党に柔軟な態度で臨み、だからこそ自民党が無視はできないような、存在感のある『外部』になってほしいと思います」と語っていました。私は「立憲民主党への辛口の応援」と受けとめたのですが、「自民党が勝ち過ぎるのは良くない」と考えての論評だったようです。


≪参考文献&サイト≫
◎2017年10月31日付の朝日新聞朝刊オピニオン面
◎『思想課題としてのアジア』(山室信一、岩波書店)
◎『現代アラブの社会思想』(池内恵、講談社)
◎『改憲幻想論』(佐柄木俊郎、朝日新聞社)
◎『詩人が新聞記者になった 追悼・大阿久尤児』(尚学社)
◎『地球貢献国家と憲法 提言・日本の新戦略』(朝日新聞論説委員室編、朝日新聞社)
◎『闘う社説』(若宮啓文、講談社)
◎ウェブ上の「『日本国憲法の制定過程』に関する資料」(衆議院憲法審査会事務局)
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shukenshi090.pdf/$File/shukenshi090.pdf
◎読売新聞の憲法改正試案(同社の公式サイトから)
https://info.yomiuri.co.jp/media/yomiuri/feature/kaiseishian.html


≪写真説明&Source≫
◎ありし日の大阿久尤児(『詩人が新聞記者になった』から複写)

*メールマガジン「風切通信 39」 2017年10月25日

 総選挙での自民党の圧勝をどう受けとめればいいのか。新聞を読みながら、つらつら考えました。古巣の朝日新聞には「なるほど」とうなずく解説も、「そういう見方もあるのか」と目を見開く記事も見当たりませんでした。世界と日本を見渡す「鳥の目」の記事もなければ、時代の流れを映し出す「魚の目」の論評もない。どのページをめくっても、「虫の目」の記事ばかり。「選挙の朝日」と呼ばれた日は遠い。

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 安倍首相が大嫌いであることだけはよく分かりました。23日付朝刊の1面で編成局長が「おごりやひずみが指摘され続けた『1強政治』を捨て、政治姿勢を見直す機会とすべきだ」と首相に苦言を呈し、「この先の民意の行方を首相が読み誤れば、もっと苦い思いをすることになるだろう」と警告していましたから。「自分たちは民意の行方がきちんと読めているのかい」と茶々を入れたくなりましたが。

 もとより、安倍首相の「お友達新聞」の読売は読むところが少ない。それでも、「ここは友として『勝って兜の緒を締めよ』と言っておかねばなるまい」と思ったか。23日付朝刊の社説の袖見出しは「『驕り』排して丁寧な政権運営を」でした。「驕り」にかぎかっこを付けたのは友達としての配慮でしょう。「私はそんな風には思ってないけど、世間でそう言われてますよ」という、優しいかぎかっこ。

 朝日と読売が「新聞」ならぬ、聞きふるした「旧聞」を書き連ねているのに対して、25日付の毎日新聞朝刊には「新しい息吹」を感じました。1面の連載「安倍続投を読む」の1回目は中西寛・京大教授(国際政治)からの聞き書き。中西教授は、自民党圧勝の背景には「若年層が新しい自民党支持層になっている事情もある」と語り、「昭和を知らない世代が『安倍政権になって社会・経済が安定した』と認識しても不思議ではない」と論評しています。

 今の10代、20代の若者たちは、高度経済成長もバブル景気も経験していません。もの心がついた頃には、日本経済はすでに右肩下がりになっていました。中学、高校と進むにつれ、少子高齢化はますます深刻になり、東日本大震災では「危機に対応できない国」であることを肌で知りました。共同通信の出口調査によれば、10代の有権者の自民党支持率は4割で、全有権者平均の3割台半ばよりも高いのだとか。

 これを「若者は世間を知らないから」「判断力が足りないから」と見下すのは簡単です。けれども、希望が見出しにくいような社会を作ったのは誰なのか。「希望」の名を掲げながら、すぐさまそれを粉々に打ち砕くような政治をしているのは誰なのか。そうやって見下す大人たちではないか。

 いつの時代であれ、若者を未熟者と見下すのは根本的に間違っている。彼らは未来について年長者よりはるかに真剣なはずです。当然です。「人生の一番いい時期」を過ぎた世代と違って、彼らにはこれから「長い未来」があるのですから。50年後、100年後を真摯に考えているのは古い世代ではなく若者たちなのだ、と認めることから始めなければなりません。

 毎日新聞はそれを正面から受けとめ、紙面に刻もうとしています。1面の連載を支えるように、社会面では10代の有権者の投票行動とその理由を聞き取り、詳しく紹介しています。「理念や政策の違う政党に合流できる政治家が何を考えているのかわからない」「日本は戦後で一番、実質的な危険にさらされている」といった声を掲載し、憲法改正についても「時代に合ったものに」と答える声が目立った、と報じました。

 数字データによる選挙結果の分析や解説より、こういう一人ひとりの言葉の方が読む者の心に沁みていく。新聞記者であれ雑誌記者であれ、もの書きならば、誰もが感じていることです。要は、それを愚直に試み、紙面にしていくかどうか。「虫の目」の記事が「鳥の目」や「魚の目」の記事より光るのは、こういう時です。

 毎日新聞は乱脈経営がたたって、1970年代に一度、経営が破綻しています。それ以降も苦しい状況が続いているようです。それゆえか、時折、恐れることなく、新しいことに挑戦しようとする気概を感じます。朝日新聞や読売新聞の行間からは感じない何かがある。それがある限り、経営陣さえしっかりしていれば、毎日新聞が昔日の輝きを取り戻す可能性はある。そう思わせる紙面でした。



≪参考記事≫
◎10月23日から25日の朝日、読売、毎日新聞(山形県で配達されているもの)

≪写真説明&Source≫
◎安倍晋三首相
http://news.livedoor.com/article/detail/13790732/

*メールマガジン「風切通信 38」 2017年10月19日
         
 英国人の作家、カズオ・イシグロについてのコラムを書いた際、父親の石黒鎮雄(しずお)のことがとても気になりました。どんな研究者なのか。なぜ妻と幼い子どもたちを連れて40歳で英国に渡ったのか。海洋学を専門とする大学時代の友人に調べてもらったところ、父親が英国に渡った詳しい事情が分かりました。

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 石黒鎮雄は1920年に商社員をしていた石黒昌明の子として上海で生まれました。戦前、陸軍航空士官学校で学び、その後、九州工業大学を卒業して東京大学で博士号を取っています。博士論文のタイトルは「エレクトロニクスによる海の波の記録ならびに解析方法」です。「エレクトロニクス」という表現が時代を感じさせます。戦後の日本では、普通の研究者がコンピューターを入手することは困難でした。そこで、さまざまな電子機器を駆使して研究に活かしたのでしょう。手先の器用な人だったようです。

 彼は「潮位と波高の変化」を研究テーマにしていました。たとえば、ある海域で海難事故が多発するのはなぜなのか。それを調べるため、その海域の海底を模したモデルを作り、実際に起こる波を再現してみる。そして、その成果を踏まえて、現場の海底に消波ブロックを設置して流れを変え、海難事故を減らす、といった業績を上げています。長崎海洋気象台にいた時には、地元の人たちが苦しめられていた長崎湾の海面の大きな変動の解明にあたったりもしています。

 その研究成果に注目したのがイギリス国立海洋研究所の所長、ジョージ・ディーコンでした。1960年当時、イギリスは北海油田の開発に躍起になっていました。第二次大戦で国力を使い果たし、戦時国債の支払いに追われる国にとって、石油を自力で確保することは最優先課題の一つだったからです。問題は、油田が見つかった北海が荒れ狂う海だったこと。海底油田を採掘するためには、巨大なヘリポートのような石油プラットホーム(掘削櫓)を建設しなければなりません。その建設自体が至難の技でした。しかも、完成後は、どんなに海が荒れ狂っても、壊れることは許されません。大規模な海洋汚染を引き起こすからです。

 苦難に立ち向かうイギリスは、世界中の英知を結集することにしました。そのリサーチの目が石黒鎮雄の論文に辿り着き、彼を国立海洋研究所に招くことになったわけです。鎮雄はその招聘に「研究者としての冥利」を感じたはずです。渡英した1960年当時、若者の留学はともかく、研究者が家族連れで海外に出て行くことは珍しいことでした。妻静子と子ども3人(カズオ・イシグロと2人の姉妹)を抱えての海外生活。期するところがあったに違いありません。家族が日本に一時帰国したがっていることは分かっていても、それに応じる余裕はなかったのでしょう。波の研究者として生き、2007年に没しました。

 イギリスを石油輸出国にした北海油田。その開発の苦しみが石黒鎮雄をイギリスに引き寄せた。幼いカズオ・イシグロは父の転勤に翻弄され、異様なほどに長崎を懐かしみ、日本に焦がれる少年になりました。父と北海油田の出会いが時を経て、イシグロワールドを醸し出したのです。この世の巡り合わせの不思議さを感じさせる物語でした。(敬称略)



≪参考文献&サイト≫
◎エッセイ「イギリスに渡った研究者 シズオ・イシグロをさがして」(海洋学者、小栗一将)
http://www.jamstec.go.jp/res/ress/ogurik/essay2.html
◎「海洋学者 Shizuo Ishiguro、日本出身地球物理学者の波」(masudako)
http://d.hatena.ne.jp/masudako/20121014/1350215515
◎石黒鎮雄の博士論文「エレクトロニクスによる海の波の記録ならびに解析方法」(論文検索サイトの検索結果のみ。論文そのものは国会図書館にある模様)
http://ci.nii.ac.jp/naid/500000493143
◎ウィキペディア「陸軍航空士官学校」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E5%A3%AB%E5%AE%98%E5%AD%A6%E6%A0%A1
◎カズオ・イシグロの父を招聘した英国立海洋研究所長、ジョージ・ディーコン(wikipedia、英語)
https://en.wikipedia.org/wiki/George_Deacon


≪写真説明&Source≫
◎海底油田を採掘するために建設された北海油田の石油プラットフォーム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E6%B2%B9%E7%94%B0



*メールマガジン「風切通信 37」 2017年10月17日
 
 日本生まれの英国人作家、カズオ・イシグロの代表作『日の名残り』を読んだ時、私は不思議な感覚を味わいました。舞台は第二次大戦前後のイギリス、貴族のダーリントン卿に仕える執事スティーブンスの物語です。第一次大戦の惨状を知るダーリントン卿は新たな戦争を避けるため、ドイツとイギリスが共存する道を探ろうとします。国王や首相をヒトラーに会わせるべく、卿はドイツとのパイプ役となって動くという筋立てです。

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 英独の仲介を試みるダーリントン卿について、貴族の友人は「卿は紳士だ。ドイツとの戦争を戦った。敗れた敵に寛大に振る舞い、友情を示すのは、紳士としての卿の本能のようなものだ」と語りかけ、ドイツはその高貴な本能を汚い目的のために利用しているのだ、それを黙って見ているのか、と執事のスティーブンスに迫ります。それに対して、長く卿に仕えてきたスティーブンスはこう答えます。「申し訳ございません、カーディナル様。私はご主人様のよき判断に全幅の信頼を寄せております」

 物語は、貴族の館ダーリントン・ホールを舞台に淡々と進む。卿は対独宥和派とさげすまれ、失意のうちに世を去る。派手な立ち回りは何もない。ロマンスもごく淡いものが少し描かれるだけ。文章も平易です。普通なら途中で投げ出してしまうところですが、なぜかやめることができず、そのまま読み通してしまいました。最初に手にした本で、私も「イシグロワールド」に引き入れられてしまったのかもしれません。

 次に読んだ『わたしたちが孤児だったころ』はもう少しドラマチックでした。戦火にさらされ、混乱きわまる1930年代の上海。この街で失踪した両親の行方を追うイギリス人探偵の物語です。戦場の状況が描かれ、父と母がなぜ失踪したのか、少しずつ解き明かされていきます。イシグロ作品の中では、一番ドキドキワクワクする小説かもしれません。が、それも普通のミステリー小説に比べれば、きわめて地味でイシグロらしい。

 生まれ育った長崎と並んで、上海はイシグロにとって特別な街です。祖父の石黒昌明は滋賀県大津市の出身で、上海の名門私大・東亜同文書院を卒業した後、伊藤忠商事に入社し、上海で働いていました。父の石黒鎮雄はこの上海で生まれ、東大で学んだ海洋学者です。カズオ・イシグロは父親が長崎海洋気象台に勤務していた時に誕生し、5歳まで長崎で暮らしました。その父がイギリス国立海洋研究所に招かれ、家族で渡英しました。

 長崎での穏やかな暮らしは突然、断ち切られてしまいました。彼がかなりの映画好きで小津安二郎の作品を繰り返し観たのは、長崎の記憶と重なるところがあるからなのでしょう。英国で勤め始めた父は何度も「来年は日本に帰るから」と約束したそうですが、それが果たされることはありませんでした。懐かしい長崎の思い出を何度も何度も切なく思い出していたのです。それが彼の作家としての礎になったと思われます。

 カズオ・イシグロはイギリスで教育を受け、ケント大学とイースト・アングリア大学大学院で文学を学んで作家になりました。最初の作品『遠い山なみの光』を出版した1980年代初めに英国籍を取得しています。彼をよく「日系英国人作家」と表現します。その通りなのですが、彼の場合は5歳で故郷から不意に引き離され、長崎の記憶を忘れまいともがき続けたという点が特異です。むしろ、ディアスポラ(故郷喪失者)と呼びたくなります。

『日の名残り』のあとがきで翻訳家の土屋政雄は、カズオ・イシグロが最初の2冊の作品(『遠い山なみの光』と『浮世の画家』)について、次のように語ったと紹介しています。「私の日本を2冊の本に封じ込め、初めて日本を訪れる気持ちになった」。土屋によれば、最初の2作は「彼が自分の日本人性を再確認し、それに形を与えるための作業だったといえるのではなかろうか」という。心の中の日本と折り合いをつけ、もはやその喪失を心配しなくてもよくなって、第3作『日の名残り』に進んだのだと。

 彼はまず、自らの日本への追憶を小説という作品にして、それから世界に飛び出していったのです。彼が作品に込めた思いは『日の名残り』の執事が語る言葉に象徴的に示されています。執事のスティーブンスはこう語るのです。
「私は選ばずに、信じたのです。私は卿の賢明な判断を信じました」「私どものような人間は、何か真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がいたします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうであれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚えてよい十分な理由となりましょう」

 読みながら、胸が熱くなったくだりです。2001年に来日して講演した際には、別の言葉で自らの思いを語りました。「ひとはみな、執事のような存在だと思うのです」「人生はとても短い。振り返って間違いがあったと気づいても、それを正すチャンスはない。ひとは、多くの間違いを犯したことを受け入れ、生きていくしかないのです」(『AERA』2001年12月24日号)

 ノーベル文学賞については、かつてこんな風に語っていました。「それほど重要な賞でしょうか。科学分野では権威はありますが、文学の世界では奇妙な賞だと思います。たしかに偉大な作家が受賞していますが、受賞後はあまり素晴らしい作品が書けていません。ノーベル賞の影響なのか、それともキャリアの終わりを迎えた人に賞が贈られているのか、私にはよく分かりません」

 連続テレビドラマ『わたしを離さないで』の主演女優、綾瀬はるかと原作者カズオ・イシグロとの対談も味わい深い。主役のキャシーの生き方について質問した綾瀬に、彼はこう答えています。「キャシーは臓器提供のために作られたクローンで、閉ざされた、非常に特殊な環境で育ったわけですよね。外の世界の価値観を知らない。だから、過酷な運命も自然に受け入れる。現実の世界を見てみてください。今も様々な国で、本当に過酷な環境で生きている人が大勢います。彼らは天使なのではなく、必然としてその環境に適応し、精一杯生きている。自分が生きている意味を何とか築こうと奮闘している」

 カズオ・イシグロを「記憶と追憶の作家」のように言う人がいますが、私は違うと思う。彼は「人が生きることの哀しみ」を描きたいのではないか。そして、その哀しみに寄り添い、そっと励ます。それが自分の役割、と考えているのではないか。ノーベル文学賞はその営みへの小さなご褒美、と受けとめているように思います。(敬称略)


≪参考文献・記事&サイト≫
◎『日の名残り』(カズオ・イシグロ、土屋政雄訳、中央公論社)
◎『わたしたちが孤児だったころ』(カズオ・イシグロ、入江真佐子訳、早川書房)
◎『忘れられた巨人』(カズオ・イシグロ、土屋政雄訳、早川書房)
◎『夜想曲集』(カズオ・イシグロ、土屋政雄訳、早川書房)
◎文芸ブログ「Living Well Is the Best Revenge」(ペンネーム、クリティック)
http://tomkins.exblog.jp/20864422/
◎ウィキペディア「カズオ・イシグロ」(日本語)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%82%B0%E3%83%AD
◎Wikipedia 「Kazuo Ishiguro」(英語)
https://en.wikipedia.org/wiki/Kazuo_Ishiguro
◎ウィキペディア「東亜同文書院大学」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%90%8C%E6%96%87%E6%9B%B8%E9%99%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6_(%E6%97%A7%E5%88%B6)
◎週刊誌『AERA』2001年12月24日号のカズオ・イシグロ日本講演に関する記事(伊藤隆太郎)
◎2009年7月20日の朝日新聞朝刊文化欄の記事「たそがれの愛・夢描く 初の短編集『夜想曲集』を出版」でノーベル賞について言及(土佐茂生)
◎2017年10月15日の朝日新聞朝刊読書欄の書評「忘れてはならない記憶の物語」(福岡伸一)
◎カズオ・イシグロと綾瀬はるかの対談記録(文春オンラインから)
http://bunshun.jp/articles/-/4425
◎2002年7月18日の朝日新聞夕刊のコラム・窓「望郷の念」(長岡昇)

≪写真説明&Source≫
◎作家カズオ・イシグロ
http://muagomagazine.com/1825.html





*メールマガジン「風切通信 36」 2017年10月12日
        
 小池百合子という政治家のことを私が初めて強く意識したのは2004年のことでした。取材でエジプトを訪れた際、中東専門の記者から彼女の父親がカイロで日本料理店を経営していたことを教わりました。それだけなら、「ヘエーッ」で終わり、記憶に残ることもなかったのでしょうが、同僚はカイロ名物のハト肉の料理をほおばりながら、意外なことを口にしました。「彼女は国立カイロ大学の卒業生なんです」

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 エジプトに留学してアラビア語を学ぶ場合、多くはカイロ・アメリカン大学に行くとのこと。英語をベースにしてアラビア語を学ぶのです。どの国の言葉を学ぶにせよ、外国語はそれぞれに難しいものですが、同僚によれば、アラビア語は飛び抜けて難しい。アラビア語で行われる授業についていくのは普通の外国人にはとうてい無理なのだそうです。その理由は、アラビア語では文語と口語の乖離がはなはだしく、文語で書かれた文献を読みこなすことができないからです。

 イスラム圏を旅すると、朝な夕なに街中のモスクから礼拝の呼びかけ(アザーン)が聞こえてきます。その呼びかけのアラビア語は、預言者ムハンマドが生きていた7世紀のアラビア語のままです。聖典のコーランももちろん、当時のアラビア語がそのまま使われています。しかも、敬虔なイスラム教徒は日々、それを唱えているのです。

 そうした宗教的、文化的な背景があるためか、アラビア語圏の新聞や雑誌で使われている言語は、日常生活で使われているアラビア語とはかけ離れており、アラビア語を習得する場合には、口語のアラビア語と文語のアラビア語の二つを学ばなければなりません。日本に置き換えてみれば、文章では聖徳太子が生きていた頃の色合いが濃い日本語を学び、同時に現代の日本語も学ぶ、ということになります。そうしなければ、新聞ひとつ読むことができないからです。「それは大変なことだ」と納得しました。

 アラビア語を学ぶことを決めた若き小池百合子は、在籍していた関西学院大学を中退してカイロ・アメリカン大学に進み、ここでアラビア語を習得した後、国立カイロ大学の文学部で4年間みっちり勉強して卒業しています。つまり、彼女のアラビア語は「話せる」というレベルではなく、「仕事で使える」レベルだということです。

 なぜ、アラビア語だったのか。小池百合子編著『希望の政治』(中公新書ラクレ)で、彼女自身がその理由を明らかにしています。
「振り返ってみると、私は高校生の頃から自己マーケティングをやっていました。日本における女性の居場所、女性が今後伸びる方向、その中で自分はどういう位置にいて、10代で何をし、20代でどういうスキルを身に付けるか、と。自分を一種の『商品』に見立て、いわば商品開発を考えるのです。我ながら怖い女子高生でした」(p37)

 怖いかどうかはともかく、高校生の頃から「ひとかどの人物(a man of something)」になりたいという志を抱いていたのは立派と言うべきでしょう。彼女の場合は、a woman of something と記すべきかもしれません。英語でも中国語でも、ドイツ語でもフランス語でもなく、これから伸びる言語はアラビア語である、と判断したところに、私は「勝負師としての小池百合子」の面目躍如たるものを感じます。

 彼女が働く女性としてステップアップしていった過程を見ても、アラビア語は決定的な役割を果たしています。まずアラビア語の通訳として働き始め、日本テレビがリビアのカダフィ大佐やPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長と会見する際のコーディネーターをしています。その縁で、政治評論家・竹村健一のアシスタントとしてテレビの世界に入り、次いでテレビ東京のビジネス番組のキャスターに抜擢されました。東京とニューヨーク、ロンドンの三大市場を結ぶ経済番組のキャスターとしての仕事は、彼女に世界経済の動向を知り、日本だけでなく、世界のビジネスリーダーと知り合う機会を与えてくれました。

 政界入りは1992年、40歳の時です。日本新党を立ち上げた細川護熙(もりひろ)熊本県知事に請われて参議院議員になってからの「政界渡り鳥」ぶりは有名です。細川の日本新党から小沢一郎が率いる新進党へ、さらに自由党、保守党を経て自民党に入り、昨夏、東京選出の衆議院議員の地位を投げ打って都知事選に立候補して、当選したことはご承知の通りです。

 言葉に対する感覚にも鋭いものがあります。前掲書で、小池は尊敬する人物として台湾総督府の民政長官や満鉄初代総裁、第7代東京市長をつとめた後藤新平を挙げ、彼が残した「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そしてむくいを求めぬよう」という言葉を胸に秘めている、と述べています(p110)。これは「渡り鳥」批判に対する彼女なりの反論でもあるようです。私の志は何一つ変わっていない、政党の方が時代に揺さぶられてコロコロと変わっただけ、と言いたいのでしょう。

 読売新聞記者から小池の秘書に転じた宮地美陽子(みよこ)が出版した『小池百合子 人を動かす100の言葉』(プレジデント社)では、この後藤新平の言葉とともに、小池が好きな「三つの目」が紹介されています(p106)。
「鳥の目で物事を俯瞰し、虫の目で細やかな部分を見て、魚の目でトレンドをつかむ」
「三つの目」の二番目は「蟻の目」というのもあるようですが、あらためて政治家・小池百合子の好きな言葉として読むと、味わい深い。群れなす魚が潮の流れを敏感に感じ取るように、私は時代の潮流を感じ取り、大きな流れに乗りたい、といったところでしょうか。

 「三つの目」は歴史を学び、歴史を考える場合にも欠かせません。その時代を俯瞰し、人々の動きをつかむだけでなく、微細なことも知る必要があります。そこにその時代の本質的なものが現れることがあるからです。視点で言えば、勝者と敗者、賢者の三つの目から歴史を見ることも大切です。

 そういう観点から判断すると、小池の歴史認識はあやうい。あやういというより、著しくバランスが悪い。今年、関東大震災時に虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式に都知事名の追悼文を送るのをやめたのはなぜなのか。去年は送っていたのに。石原慎太郎や舛添要一も追悼文を寄せたのに。会見で記者に問われて、小池は「昨年は事務的に(追悼文を送るとの決裁書を)戻していた。今回は私自身が判断をした」「さまざまな歴史的な認識があろうかと思う。亡くなられた方々に対して慰霊する気持ちは変わらない」と述べました。

 歴史認識は政治家の資質を判断するうえで、とても重要な要素です。政治家の根っこにかかわることだからです。日本語とアラビア語、英語という三つの言葉を自在に操り、「三つの目」を大切にしている政治家が朝鮮人虐殺に疑問を呈するような言動をするのはなぜか。国際経済をよく学び、政界の権謀術策にもまれてきた政治家がなぜ、歴史をないがしろにするような発言をするのか。私には理解できません。

 歴史認識に疑問を感じるようでは、彼女が選んだという衆議院選挙の候補者たちまで、「大丈夫なのか」と心配になってきます。小池百合子が「稀代の勝負師」であることは間違いなさそうですが、歴史に残る政治家であるかどうかは分かりません。後世、「世渡り上手な権力亡者だった」と評されるおそれ、なしとしない。    (敬称略)



≪参考文献&サイト≫
◎『希望の政治 都民ファーストの会講義録』(小池百合子編著、中公新書ラクレ)
◎『小池百合子 人を動かす100の言葉』(宮地美陽子、プレジデント社)
◎『女子の本懐 市ヶ谷の55日』(小池百合子、文春新書)
◎関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送らないことに決めた小池知事の記者会見を報じるハフィントンポスト
http://www.huffingtonpost.jp/2017/08/26/yuriko-koike-great-kanto-earthquake-of-1923_a_23186257/
◎冒頭に記した私のエジプト出張は、朝日新聞・別刷りbe「ことばの旅人 開け、ゴマ!」の取材、執筆のため。2004年7月17日付の別刷りに掲載された企画記事は次のサイトでご覧ください。
http://www.bunanomori.org/NucleusCMS_3.41Release/?itemid=37


≪写真説明&Source≫
◎関東大震災時の朝鮮人虐殺問題について定例記者会見で答える小池知事(8月25日)
http://blogos.com/article/242368/




*メールマガジン「風切通信 35」 2017年9月29日
 
 衆議院の解散、総選挙を伝える今朝の新聞各紙の見出しを目にして、思わず溜め息を漏らしてしまった方も多いのではないでしょうか。1面の見出しは、毎日新聞が「自民vs希望  政権選択」、朝日新聞は「安倍政治5年問う 自公vs.希望vs.共産など」、読売新聞は「自公と希望 激突」、日本経済新聞は「安倍vs.小池 号砲」でした。

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 「なんだ、これは」という印象です。毎日は「政権選択の選挙」と言い、日経は「安倍vs.小池」と言うけれど、希望の党を率いる小池百合子氏は東京都知事であって、衆議院議員ではない。従って、現時点では首相候補になり得ない。自民党以外の政権を望むにしても、誰を首相にかつぐのかはっきりしない政党に投票して、それで「政権選択」と言えるのでしょうか。

 なんでもいいから、とにかく安倍首相を政権の座から引きずり降ろしたい朝日新聞の気持ちは分かる。にしても、「自公vs.希望vs.共産など」はないだろう。なぜ、素直に「自公vs希望」とうたえないのか。「vs」の後のピリオドもいらないし、「共産など」も余計でしょう。それを省くことができないのは、いつまでたっても律儀なうえに、共産党と共産主義への郷愁を捨てきれない人たちがまだたくさんいる、ということか。

 読売新聞は1面肩に前木理一郎・政治部長の「政党政治の否定だ」という論評を掲げました。「民主党時代に政権を担った野党第1党が一夜にして結党間もない新党に身売りするという、前代未聞の事態だ。理念や政策を度外視した野合で、政党政治の否定にほかならない」と歯切れがいい。けれども、民主党だって、安全保障政策や原発問題で意見がバラバラな議員が寄り集まった、理念も政策もあやふやな政党でした。いまさら、「政党政治の否定だ」と力まれても、鼻白んでしまいます。

 日本経済新聞は「号砲」という勇ましい見出しを掲げましたが、内容はいつものように穏やかです。2面の社説で「実感が伴う景気回復まで消費増税は立ち止まる。議員の定数や報酬は縮減。原発ゼロを目指す」という小池氏の基本的な考えを紹介しつつ、「(もっと)具体性のある総合的な政策を早くまとめてもらいたい」と注文を付けています。ドタバタでこうなってしまったのは今さら変えようがない。せめて選挙戦では、この国をどうしたいのか、きちんとした未来像を分かりやすい言葉で語ってほしい、と願うしかありません。

 無残きわまりないのは民進党です。新聞の主見出しにも取ってもらえず、そのわきに「事実上の解党へ」とか「希望と合流」などという言葉と共に「消えゆく政党」として烙印を押されてしまいました。ついこの間の代表選挙は、喪主選びの選挙だったのか。前原誠司という政治家の本性が現れたと言うべきか、それがこの政党の定めだったと言うべきか。

 かつて民主党が旗挙げした時、「これでリベラルの結集軸ができた」と持ち上げたメディアがありました。確かに、そう期待する声もありました。が、その内実は、自民党の本流・田中派に属していた小沢一郎氏が金と人事を握り、極右のような政治家から社会党に見切りを付けた議員までが身を寄せた、文字通り「野合」の政党でした。基本政策が定まらず、ずっとフラフラし続けたのも、その出自を考えれば、当然のことでした。

 リベラルが凋落し、仮初めの受け皿すら消えてしまったのも、また自然の成り行きと言わなければなりません。理路整然ときれいな事を言うが、世間の汚濁を正面から見つめようとしない。世界の現実から目をそむけ続ける。何よりも、人が生き、暮らしていくということがどういうことなのか、それを肌で感じ、泥だらけになって対処しようとしない。わが身を顧みれば、それがしみじみと、今になって理解できるのです。

 もっとも、私がリベラルの一員だったのかについては、朝日新聞社内でも異論がありました。半世紀以上も前につくられた憲法を一字一句変えないで維持していくのは無理がある。で、論説委員室の議論では「改憲するのは自然なこと」と主張していました。国際報道を担った論説委員には、私のような改憲派がかなりいました。安全保障についても、「核兵器の廃絶は世界政治では現実味がない。いかに管理するかを論じるしかない」と主張し、「お前は産経新聞の論説委員か」と罵倒されたこともありました。

 それでも、古い伝統より新しい息吹に魅力を感じ、より自由でより開かれた社会を目指す者をリベラルと呼ぶなら、「私はリベラルだ」と思って生きてきました。今の日本では、その思いを託す政治勢力がなくなり、漂泊の民になったとしても、自分が大切にしてきたものを変えるつもりはありません。「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」。ブッダはそういう者のためにこの言葉を残してくれたのだ、と信じて。



≪参考記事&文献≫
◎2017年9月29日の新聞各紙(山形県で配達されているもの)
◎『ブッダのことば』(中村元訳、岩波書店)

≪写真説明≫
◎希望の党の代表に就任することを発表した小池百合子・東京都知事(東京新聞のサイトから)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201709/CK2017092602000111.html

*メールマガジン「風切通信 34」 2017年9月19日

 わが家に時折、三毛猫がやって来るようになったのは3年前の秋のことでした。最初は「立ち寄り先の一つ」のような風情でした。来るたびに食べ物を与えていたのですが、そのうち頻繁に顔を見せるようになり、ついには2匹の子猫を連れて居ついてしまいました。不思議に思って調べてみると、もともとはわが家の100メートルほど先にある老夫婦の家で飼われていたのですが、2人とも老人ホームに入居してしまったため、やむなく引っ越してきたことが分かりました。

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 老夫婦にかわいがられていたからでしょう。親猫はとても人なつこくて、賢い猫でした。ミケと名付けました(安直な命名でご免)。対照的に、子猫は警戒心が強く、エサをもらう時も「シャー!」と威嚇する始末。気心が知れて、2匹を撫でられるようになるまで、だいぶ時間がかかりました。白と黒のまだら模様の雄猫はフグ、チャコールグレーと白い毛がきれいな雌猫はリプ子と名付けました。フグはまだら模様が魚のフグのようなので、リプ子は、顔つきが当時活躍していたロシアのフィギアスケートの選手、リプニツカヤに似ているからと、家人が付けた名前です。

 親子3匹との暮らしは、山村での生活にうるおいを与えてくれました。が、そのうるおいも雪が解けるまででした。春になって発情期を迎えると、親猫は再び妊娠して出産、雌猫のリプ子も出産。秋にも出産・・・。2年後には孫も出産するようになり、わが家はたちまち「猫屋敷」と化してしまいました。次々に里親を募集して里子に出しましたが、里親探しも行き詰まり、この春、やむなく雌猫にはすべて不妊手術を施す羽目になりました。

 「猫口爆発」はこれでやっと終息。現在、わが家をすみかにしている猫は7、8匹。ミケとリプ子は別のところにねぐらを構えて、お腹がすくとやって来る、という状態です。家人に言わせると、私の性格は「猫より気まぐれ」。食べ物を与えるのもいい加減で、外泊した場合などは一日中ほったらかしにすることもあります。

 なので、わが家の猫は自活能力がすこぶる発達しています。「足りない分は自分で確保する」という習性が身に着いています。近所を駆けずり回ってネズミを捕るのはもちろん、スズメやトカゲ、ヘビも捕まえて食べる。夏はエサが豊富です。ミンミンゼミ、アブラゼミ、ヒグラシ、アゲハチョウにクロアゲハと、食材は実に多彩です。

 猫は獲物を捕らえると、ねぐらに持ち込んで食べる習性があります。セミや蝶の羽は食べないので、わが家の猫部屋を見ると、彼らの食生活がよく分かるのです。意外なのは、オニヤンマをよく食べていることでした。よく知られているように、トンボの幼虫はヤゴと呼ばれ、水の中で数年暮らしてから、早朝にヤゴから羽化して飛び立ちます。羽化しても羽が乾くまでは飛ぶことができず、じっとしているので、簡単に捕まえることができます。猫は早起きですから、その時に捕まえているのだろう、と推測していました。

 ところが、ある日の昼下がり、わが家の猫(サンちゃん)がオニヤンマをくわえて戻ってくるのを目撃しました。仰天しました。なんと、飛行中のオニヤンマを捕まえていたのです。オニヤンマは小さな虫がいる水路などを何度も往復してエサ捕りをします。待ち伏せ攻撃が得意な猫は、オニヤンマのそういう習性が分かっているのか、飛行ルートでじっと待って跳び付いてキャッチしていたのです。

 そうか。オニヤンマが飛び立てない時間帯を狙って捕まえるなどという姑息なことはせず、堂々と勝負してゲットしていたのか。お見逸れしました、サンちゃん。ほかの猫もそうやってオニヤンマを捕まえていたのかもしれません。そういえば、コウモリを捕まえて持ち帰り、食べていた猫もいました。コウモリのねぐらの出入り口で、得意の待ち伏せ攻撃をしたのでしょう。

 猫の狩猟能力は高く、自活能力も高い。私のような気まぐれな人間が付き合うのにぴったりの動物だ、とあらためて思った昼下がりでした。



≪参考文献≫
◎『美しき孤高のハンター 世界の野生猫』(エンディング出版編集部、ファミマ・ドット・コム)
◎『ネコ学入門』(クレア・ベサント、築地書館)
◎『猫は魔術師』(『ねこ新聞』編集部、竹書房)
◎『The CAT』(Penguin Random House, UK)

≪写真説明≫
◎柿の木に登って遊ぶクリちゃん(耳のあたりが栗色)=撮影・長岡昇


*メールマガジン「風切通信 33」 2017年9月11日
            
 税金の無駄遣いを監視し、不正を追及する市民オンブズマンの全国大会が9月2日と3日に和歌山市で開かれ、山形県の会員の一人として参加してきました。各地で活動するオンブズマンが200人ほど集い、数多くの事例発表がありました。公務員が職務遂行のために日々発信しているメールも公文書であること。これをどうやって開示させ、追及の素材にしていくのかといった報告もあり、とても有益でした。

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 全国大会で先達に学んだことを山形県の税金の無駄遣いの追及にどう活かしていくのか。それは後日、報告するとして、今回は市民オンブズマンの全国大会に先立って行われた記者会見で特筆すべき資料が公表されましたので、ご紹介します。

 全国市民オンブズマン連絡会議は大会前日の1日に記者会見を開き、2016年度の政務活動費の執行率調査というのを発表しました。都道府県や政令市、中核市の議会の議員が昨年度に支給された政務活動費をどの程度使ったのか(執行したのか)を一覧表にまとめたものです。これが都道府県の政治状況やオンブズマンの追及ぶりを如実に反映していて、実に興味深いのです。

 政務活動費の執行率が一番落ち込んだのは富山市でした。2016年度に使われた富山市議の政務活動費は支給額の62.4%で、前年度から37.6ポイントも減りました。つまり、富山市議会は2015年度に支給された政務活動費を全議員が100%使い切り、「文句なしの全国トップ」だったのに、2016年度は3分の2しか使わず、残りの3分の1を「余りました」と富山市に返却したのです。この結果、富山市議会は全国48の中核市のうち、執行率が三番目に低い市議会になってしまいました(一番低いのは函館市議会の59.5%、二番目が長崎市議会の60.7%)。

 富山では、白紙領収書を使った架空請求やカラ出張などが次々に発覚し、元議長を含め14人の市議が辞職に追い込まれました。悪質なケースについては有印私文書偽造・同行使の疑いで刑事告発されています。それに懲りて、市議たちが正直ベースで請求したら、2016年度は政務活動費が3分の1も余ってしまった、というわけです。裏返して言えば、それまではその分の税金をかすめ取っていた疑いがある、ということになります。

 ちなみに、48の中核市のうち、政務活動費の執行率が高いところは?青森県八戸市議会の97.6%?愛知県豊橋市議会の97.0%?愛知県豊田市議会の95.4%の順です。20の政令市では?横浜市議会の99.6%?川崎市議会の95.7%?大阪市議会の93.4%が飛び抜けて高い。議員のみなさんが熱心に活動した結果、政務活動費をほぼ使い切ってしまった、という可能性もあるのですが、それはあくまでも「論理的にはあり得る」という話です。オンブズマンとして自治体の議会を監視してきた経験から言えば、それぞれ「無駄遣いの多い議会の順位」と考えていいでしょう。富山市議会の激変ぶりが何よりの証拠です。

 都道府県別の政務活動費の執行率一覧も興味深い。執行率の低い県議会は次の通りです。
?徳島県議会の62.2%?兵庫県議会の65.2%?鳥取県議会の67.5%。兵庫県議会は、カラ出張を繰り返した野々村竜太郎県議(当時)が号泣会見をして有名になりました(詐欺罪などで有罪確定)。その後、ほかの議員も悔い改めて質素になった、ということでしょう。徳島県議会も不正が発覚したところ。鳥取県議会は政務活動費をガラス張りにする努力を重ねてきた議会です。きちんとすれば、政令市や中核市と同じく、都道府県議会でも政務活動費の執行率は3分の2程度に収まる、ということを示しています。

 そうなると、政務活動費の執行率が高い都道府県議会はどこかが気になります。順位は次の通りです。?神奈川県議会 99.1%?鹿児島県議会 97.0%?熊本県議会96.3%?東京都議会 95.2%?京都府議会94.9%?長野県議会 94.7%?福島県議会 94.3%?香川県議会 93.6%?埼玉県議会 93.1%?福岡県議会 92.9%。この数字は東京、京都、神奈川、埼玉といった大都市の議会で無駄遣いがいまだに続いている可能性を示しています。大震災と原発事故からの復興に取り組むべき福島県の議会でも、このような政務活動費の使い方がまかり通っていることが悲しい。

 政務活動費の無駄遣いを減らすために何をすべきか。市民オンブズマンたちの長い監視活動の経験から、為すべきことは明白です。収支報告書や領収書だけでなく、その明細である会計帳簿の公開をいっそう進めること。そして、政務活動費を一括して支給して後で精算する仕方をやめ、まず議員が自分の金で支払い、後で実費を精算する方法(世間では当たり前のこと)に変えることです。

 政務活動費の一括前払いという手法は、経済が成長し続けて気前よく税金をばら撒いていた時代の名残りです。そんな時代はとうに過ぎ去ったのに、いまだに改めようとしない議員たち。彼らの意識を変えていくことが大切です。限られた資産をどう有効に使っていくのか。そういう時代になっていることを肝に銘じてもらわなければなりません。



≪参考サイト&記事≫
◎全国市民オンブズマン連絡会議が発表した「2017年度 政務活動費 情報公開度ランキング」。都道府県、政令市、中核市ごとの一覧は118?119ページ。兵庫県議会の政務活動費の執行率は46.7%と発表されましたが、65.2%の誤り。後日、訂正されました。
https://www.ombudsman.jp/seimu/seimu2017.pdf
◎2017年9月2日の毎日新聞の記事

≪写真説明とSource≫
◎政務活動費の無駄遣いを追及され、号泣して有名になった野々村竜太郎氏
http://www.huffingtonpost.jp/2014/07/09/nonomura-kokuhatsu_n_5569542.html




*メールマガジン「風切通信 32」 2017年8月24日
 
 「対馬でカワウソ発見」を伝える新聞記事に「フンを回収してDNA解析をしたところ、カワウソと確認された」という表現がありました。山林に設置した自動撮影カメラの映像だけでは心配なので、念のためDNA鑑定もして慎重を期した、ということでしょう。

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 「カワウソおたく」としては、「では、フンの何をDNA鑑定したのか」が気になります。食べたものをいくら解析しても、カワウソかどうかは分かりません。毛繕いをする際に飲み込み、フンと一緒に出てくる体毛を鑑定したのか。旧知の動物生態学者、齊藤隆さん(北海道大学教授)に問い合わせたところ、丁寧な解説が寄せられました。専門家のすごさを感じさせる文章です。以下、全文を引用させていただきます。

     *     *

 フンには未消化物以外にも様々なものが含まれていますが、フンをした当該個体の組織としては体毛と腸の細胞が含まれている可能性があります。体毛は毛繕いした時に口に入るものですが、体毛が含まれていないフンもあります。一方、腸の細胞はすべてのフンに含まれていると期待されます。

 フンから持ち主(当該個体)のDNAを分析したい場合は、フンの表面を丁寧にぬぐい、腸の細胞を採取します。フンの表面についた細胞の劣化は早く、また、もともとの量も多くないために、分析の成功率はあまり高くありません(よくて50%くらい)。今回の場合は、複数のフンからDNAが採取できたと思われます。

 分析対象のDNAは、ミトコンドリアDNAとマイクロサテライトDNAであったと思われます。ミトコンドリアDNAからは母系分析が可能です。家系図のような系統解析から、類縁関係が推定できます。カワウソのDNA分析にはすでに蓄積がありますから、種ごとに特徴的なミトコンドリアDNAのタイプがすでに明らかになっています。ですから、採取されたミトコンドリアDNAのタイプがユーラシアカワウソのタイプであるならば、フンをした個体はほぼ間違いなくユーラシアカワウソであると考えて良いことになります(この個体が別の種でユーラシアカワウソを食っていた可能性は、論理的には排除できませんが、仮にそうだったとしても、対馬に食われたユーラシアカワウソがいたことになりますから、今回の発見は揺らぎません)。

 ミトコンドリアDNAを使って、種よりも小さな単位の分析も可能ですが、まだその分析は進んでいないようです。近い将来、亜種レベルでの特徴も分析できるようになると思います。

 マイクロサテライトDNAを分析すれば、個体識別や親子判定が可能です。今回は韓国で分析された個体のマイクロサテライトDNAの特徴と似たものを検出できたようです。このような分析を丁寧に進めていけば、対馬にいる個体の由来をかなりの確度で推定できるでしょう。どのような分析を行ったのかわかりませんが、性別もDNAでわかったようです。

     *     *

 この解説に先立って、私が「発見されたカワウソがニホンカワウソとユーラシアカワウソのどちらか、などということは瑣末なこと」と表現したことについては、お叱りを受けました。一つひとつの事実を丁寧に洗い出し、解明していく、専門家の仕事への敬意を欠いた表現でした。お詫びします。今回発見された個体はユーラシアカワウソなのか、ニホンカワウソなのか。それによって、何が明らかになるのか。以下、再び、齊藤隆さんの文章を引用させていただきます。

     *     *

 それは、いつ(カワウソが日本に)渡ってきたのかが問題となるからです。ユーラシア大陸からの渡来が頻繁で最近(昭和の前半くらまで)も続いていたのならば、「どちらでも良い」と考えても差し支えないと思います。しかし、ユーラシア大陸からの渡来が古く(20ー30万年前)、その後の遺伝的な交流が限られ、日本で独自に進化を遂げていたのなら、どちらでも良いことになりません。

 日本列島の哺乳類相の成り立ちはまだ十分に解明されていません。陸続きでなければ渡来できない種、列島成立後も大陸と交流を持ち続けた種などの類別は不十分です。今回の発見が対馬を経由した朝鮮→九州の可能性を強く示唆するのならば、日本列島の哺乳類相の成り立ちを考える上で重要な知見になります。


≪写真説明とSource≫
◎イギリスのカワウソ(英紙Express から)
http://www.express.co.uk/news/weird/380943/Otters-eat-2m-fishery




*メールマガジン「風切通信 31」 2017年8月22日

 何を隠そう、と気張って言うほどのことでもないのですが、実は私は「カワウソおたく」の一人です。「カワウソ」という言葉を聞いただけで、心がピクッと動いてしまいます。当然のことながら、長崎県の対馬でカワウソが発見された、というニュースには血がザワザワと騒ぎました。

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 琉球大学の伊沢雅子教授らのグループが「ツシマヤマネコ」の生態を調査するため、対馬の山林に自動撮影カメラを設置したところ、それにカワウソが写っていたというのです。8月17日に発表されました。フンのDNAを鑑定し、カワウソに間違いないと確認したようです。日本でカワウソの姿が最後に確認されたのは高知県須崎市の新荘川で、昭和54年(1979年)のこと。実に38年ぶりの生存確認です。

 ニホンカワウソはユーラシアカワウソの亜種もしくは独立種とされています。対馬で発見されたのがどちらのカワウソか、まだ判然としないようですが、そんなことは瑣末なことです。日本列島にいるカワウソは、もともとユーラシア大陸から渡ってきたと考えられるからです。目撃例が途絶え、2012年に環境省によって「絶滅種」とされたカワウソが日本で生きていた。それだけで十分、心躍るニュースです。

 私が「カワウソおたく」の仲間入りをしたのは1980年代初めのことです。当時、私は駆け出しの新聞記者として朝日新聞の横浜支局で働いていました。同僚の一人が神奈川県の清川村で建設計画が進んでいた宮ケ瀬ダムの取材をしていて、彼から「なんか宮ケ瀬にはまだカワウソがいるらしいよ」と聞いたのがきっかけです。

 同僚はダム建設をめぐる補償交渉の取材に追われ、カワウソの話はしなくなったのですが、変人の私は「スイッチが入った状態」になってしまい、日頃の取材などそっちのけで、カワウソに関する情報収集にのめり込んでいきました。かつては日本のあちこちの川にカワウソがいたといいます。山形の山村に住んでいた父親に聞くと、「昔はおらほの川にもいたようだ」と言うではありませんか。

 清流が姿を消すにつれ、また川岸がコンクリートで固められていくにつれてすみかを奪われ、消えていったニホンカワウソ。それが神奈川県の山奥でまだ生きているとなれば、間違いなく1面トップのニュースです。高知県の新荘川でその姿が確認されたと報じられてから、まだ数年しかたっていない頃のことでした。

 もちろん、「宮ケ瀬のカワウソ」は確認できなかったのですが、簡単にあきらめたりしないのが「おたく」の「おたく」たるゆえんです。その後、北海道に転勤になってからも「カワウソの残影」を追い続けました。日本海親善ヨットレースの取材で、札幌からソ連のシベリアに出張した際には、ヨットレースの取材もそこそこに、「カワウソはいるか?」と聞き回る始末(ロシア人から「アムール川にいっぱいいるよ」と言われ、拍子抜けしました)。

 国際報道部門に異動になり、インドに駐在していた時にもこっそり隠れて、カワウソの資料を集めていました。イギリスをはじめヨーロッパ各地にも生存しており、海岸伝いに別の川に移動したり、人間になついて猟の手伝いをしたりすることも知りました。

 人間が生息域を広げるのに伴って住む場所を奪われ、消えていった生き物はカワウソに限りません。ニホンオオカミもそうです。けれども、山や森の奥深くではなく、身近な川にいたカワウソには、何か惹かれるものを感じます。対馬だけではないのではないか。まだ、日本のどこかで、カワウソはしたたかに生き延びているのではないか。人間たちのさかしらな「絶滅宣言」など、あざ笑うかのように。



≪参考サイト≫
◎対馬で撮影されたカワウソの動画(琉球大学のサイト)
http://www.u-ryukyu.ac.jp/univ_info/announcement/press2017081701/
◎ニホンカワウソ(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%82%A6%E3%82%BD
◎1979年にニホンカワウソが確認された高知県の新荘川についてのサイト
http://mantentosa.com/sightseeing/susaki/try/shinjo_river/index.html
◎神奈川県の宮ケ瀬ダムについて(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E3%83%B6%E7%80%AC%E3%83%80%E3%83%A0
◎イギリス各地にカワウソ Otter が生息していることを伝える報告(英文)。推定生息数は12,900匹で、最近は微増傾向にあるという。
https://www.britishwildlifecentre.co.uk/planyourvisit/animals/otter.html

≪写真説明とSource≫
◎1979年ごろ、高知県須崎市の新荘川で撮影された二ホンカワウソ(須崎市の鍋島誠郎さん提供)
http://www.sankeibiz.jp/compliance/photos/170817/cpd1708171337002-p2.htm




*メールマガジン「風切通信 30」 2017年7月27日

 7月初めに集中豪雨に襲われ、甚大な被害を受けた福岡県の朝倉市は今、どうなっているのか。今朝のニュースで、NHKが被災地のその後を伝えていました。道路が土砂で埋まり、まだ孤立状態の集落がある。災害ボランティアの人たちも、この村には来ることができないのだそうです。初老の男性は、自宅の床上1メートルの高さにまで達した濁流の跡を指さしながら、「家族で少しずつ片付けとります」と語っていました。

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 田んぼも畑も濁流に呑み込まれました。水が引いたサトウキビ畑は石ころだらけ。74歳の農民は小石を取り除く作業をしながら、淡々と「それでも(サトウキビ作りは)やめんよ。今まで、ずっとやってきたことじゃけん」と話していました。茎を傷めつけられながらも、サトウキビは生き抜こうとしている。彼はその力を信じているのです。

 私たちが暮らすこの国を誇らしく思うのは、こういう生き方に接した時です。豊かな水に恵まれ、緑に包まれた国、日本。その見返りのように、あらゆる天災が降りかかるこの国で、私たちは災害から免れることはできません。けれども、それに打ちのめされることなく、再び歩み始めることはできる。そういう気高い心を持つ人たちがそこかしこにいることを誇らしく思うのです。

 6年前、雪が舞う東日本大震災の被災地で、支援物資を受け取るため、静かに列に並ぶ人たちがいました。その時にも、同じ気持ちになりました。こんな時にこそ、声を荒らげることなく、いつものように振る舞う。「いずれ、支援の手がきちんと届くはず」。社会にそういう信頼感があるからこそ、被災した人たちのあの姿があるのだ、と。

 その映像は世界に衝撃を与えました。大規模な災害が起こり、ライフラインが破壊されれば、人々は飢え、生き残るために必死になります。支援物資が届けば、我さきに奪い取ろうとして、暴力沙汰になる。それが普通のことだからです。2005年夏にアメリカ南部がハリケーン・カトリーナに襲われた時も同様で、先進国も例外ではありません。被災者が静かに並んで支援物資を受け取る姿が世界に流れたのは、あれが初めてだったのです。

 生きかはり死にかはりして打つ田かな
 そういう姿を見るたびに、私は、市井の人々の暮らしを謳い続けた俳人、村上鬼城(きじょう)のこの句を思い出します。春先、固く締まった田んぼに三本鍬を打ち込み、一つひとつ掘り起こしてゆく。子どもの頃、冷たい雨に打たれながら鍬を振るっている姿を見て、粛然とした気持ちになったことを今でも覚えています。

 今では、トラクターが軽やかに土を掘り返していきますが、かつて田起こしは農作業の中でも、とりわけきつい労働でした。けれども、すべてはそこから始まります。次いで代(しろ)掻きをし、田植えをし、夏の草取りをして、ようやく秋の収穫を迎えることができるのです。命をつなぐための最初の仕事。だからこそ、代々、あのつらい仕事に耐えることができたのです。私には、三本鍬を振るう姿と被災者の姿が重なって見えてくるのです。

 被災地のその後を丁寧に伝えようとするNHKの取材陣にも頭が下がります。カメラをかついで徒歩で被災地を回り、また徒歩で戻ってその姿を伝える。「災害報道を担うのは自分たちだ」という気概が伝わってくる映像でした。息長く、丁寧な報道。成熟した社会でメディアに求められているのは、そういう仕事です。

 昨今、永田町や霞が関から流れてくるニュースは、ごまかしと嘘のオンパレード。何と醜悪なことか。被災地から伝えられる気高い心とのその著しいコントラストもまた、私たちの社会が抱える哀しい現実の一つです。気高さ、とは言わない。せめて、まともさを政治の世界にも広げられないものか。


≪参考サイト≫
◎ウィキペディア「平成29年7月九州北部豪雨」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%9029%E5%B9%B47%E6%9C%88%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E5%8C%97%E9%83%A8%E8%B1%AA%E9%9B%A8
◎ウィキペディア「村上鬼城」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E9%AC%BC%E5%9F%8E
◎「生きかはり死にかはりして打つ田かな」の解説
https://note.mu/masajyo/n/n200114148230


≪写真説明とSource≫
◎福岡県朝倉市の豪雨被災地(2017年7月7日撮影)
http://www.afpbb.com/articles/-/3134927



*メールマガジン「風切通信 29」 2017年7月5日

 次の世代に何を語りかけ、どう育むのか。教育は「人づくり」であり、「未来づくり」です。教育がおかしくなれば、社会そのものがおかしくなってしまいます。だからこそ、教育という仕事には使命感と誠実さが求められるのです。

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 その根本をないがしろにして、金儲けに走れば、どういうことになるか。私たちは、加計学園による獣医学部新設問題を通して、その寒々とした光景を日々、見せつけられています。獣医師をどのようにして育てていくのか、という長期的な視点などおかまいなしに、四国の今治市に無理やり獣医学部の新設を試みる。文部科学省や獣医師会が学部の新設に難色を示せば、首相の権勢を笠に着て押し切ろうとする。

 人口減に悩む地方都市にとって、若者が集まる大学や学部の新設は無理をしてでも実現したい。だからこそ、今治市は36億円相当の土地16ヘクタールを無償で提供し、愛媛県と今治市は総事業費の半分、96億円の負担に応じたのです。締めて132億円。これがタダで学校法人のものになるのですから、純粋にビジネスとして考えれば、今時、こんなにボロイ商売はありません。教育を「金儲けの手段の一つ」と考える人たちの所業です。

 教育を利用する錬金術の全国版の主役が安倍晋三首相と加計幸太郎理事長とするなら、山形県の教育錬金術の主役は、吉村美栄子知事の義理の従兄弟である吉村和文(かずふみ)氏です。彼は、東海大学山形高校を運営する学校法人「東海山形学園」の理事長をつとめる傍ら、株式会社「ケーブルテレビ山形」(本社・山形市)の社長の座にあり、IT企業や興行会社などのファミリー企業を率いています。

 ケーブルテレビ山形は、全国にケーブルテレビ網を広げることを目指した総務省の施設整備促進事業の補助金受け皿会社として、1992年に設立されました。ケーブル網の敷設費の半分を国と県、市町村が補助し、ケーブルテレビを広げようとする事業です。総務省が「アメリカで流行っているから日本でも広がるはず」と目論んで始めた事業ですが、四半世紀たっても、日本ではそれほど広がりませんでした。

 ケーブルテレビ山形も契約件数が伸びず、本業は先細り気味です。事業の多角化を図り、山形県からのパソコン受注や宣伝PR委託事業の受託に力を注いでいます。社名も、昨年1月に「ダイバーシティメディア」に変更しました。

 ファミリー企業の経営は、いずれもバラ色とは言い難い。ファミリー内で資金を融通したり、債務保証をしたりしています。それでも、資金繰りに窮したのでしょう。吉村和文氏は昨年の3月、理事長を務める学校法人「東海山形学園」の資金3000万円を自らが社長である「ダイバーシティメディア」に貸し付けました。この事実が昨年秋に山形の地域月刊誌『素晴らしい山形』11月号で報じられました。

 私は、地域おこしの小さなNPOを主宰する傍ら、公金の使途を監視する市民オンブズマン山形県会議にも加わっています。学校法人が民間企業に金を貸すなどということが許されるのか。なんらかの法令に触れるのではないか。私立高校である東海大学山形高校には毎年、山形県から運営費の半分、3億円余りが私学助成費として支給されています。その1割近い資金が「短期貸し付け」とはいえ、民間企業への融資に回されたのですから。

 私学助成を所管する山形県学事文書課の見解を問うため、今年の4月、県情報公開条例に基づいて東海学園山形関係の公文書の開示を求めました。私学助成の実績などの公文書は比較的すんなり開示されましたが、東海山形学園の会計文書に関しては白くマスキングされたり、黒塗りされたりして、かなりの部分が不開示になりました。その理由は「学校法人の競争上の地位、財産権その他正当な利益を害するおそれがある」というものでした。

 あきれました。学校法人の収支計算書や貸借対照表は、民間企業の損益計算書や貸借対照表に相当する基本的な会計文書です。民間企業は株主総会でそうした会計文書を株主に配布しています。そうしたからといって、自社の利益を損なうおそれなどないからです。学校法人にとっても、利益を害するおそれなど、あるはずがありません。

 あまりにも理不尽なので、私は「法的措置を取ります」と宣言し、一昨日(7月3日)、不開示の決定をした吉村美栄子・山形県知事を相手取り、山形地裁に不開示処分の取り消しを求める訴訟を起こしました。新聞やテレビがこの処分取消訴訟について報じましたが、山形県学事文書課のコメントが興味深い。河北新報の取材に「毎年、学校法人の監査報告書を確認している。現時点で学園側に問題は見当たらない」と答えているのです。

 毎年度、3億円余りの私学助成を受け取っている学校法人が、年度末に3000万円もの資金を民間企業に貸し出している。なぜ、そんなに余裕があるのか調べたのか。一方で、借りた側のダイバーシティメディアの吉村和文氏は山形新聞に「複数金融機関の融資承認がそろうまでの間の短期貸付」として、設備投資を目的に借りた、と語っています。

 融資が本業の金融機関の承認が間に合わないような経営状態の会社に、学校法人が3000万円も貸すとは、驚きです。吉村氏は「学校法人の評議員会や理事会の承認も得ている」と主張していますが、学校法人側はきちんと担保を取ったのでしょうか。3000万円の貸付金は2カ月後に金利を含めて返済されたとのことですが、返せば済む話ではありません。「学校法人を率いるのも自分。会社の社長も自分」という意識が為せるわざでしょう。

 情報公開請求に対応する山形県の職員からは「グループを率いるのは知事の従兄弟。余計な詮索から守ってあげなければ」という意識が透けて見えます。でなければ、学校法人の基本的な会計文書を開示することが「法人の利益を害するおそれがある」などという理由を思い付くはずがありません。彼らの脳裏には「私学助成の原資は国民の税金。その使途について、納税者には知る権利がある」という考えは、まったく浮かんで来なかったのでしょう。

 この国の主権者は国民であり、政府や自治体が持つ公文書も本来、国民のもの。原則として公開されるべきものであり、非公開になるのは明確な理由がある場合に限られる。それが情報公開制度の大原則です。そうした大原則すら忘れ果て、権力者につながる者の顔色をうかがって動く。加計学園問題と同じ構図がここにもあるのです。黙って見ているわけにはいきません。


≪参考記事&サイト≫
◎ダイバーシティメディア(旧ケーブルテレビ山形)の公式サイト
http://www.catvy.jp/company/
◎ウィキペディア「吉村和文」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9D%91%E5%92%8C%E6%96%87
◎地域ケーブルテレビネットワーク整備事業(総務省の公式サイト)
http://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/ictseisaku/housou_suishin/cable_kyoujin.html
◎地域月刊誌『素晴らしい山形』2016年11月号?2017年7月号
◎2017年7月4日の河北新報、山形新聞の非開示処分取消訴訟に関する記事

≪写真説明とSource≫
◎吉村美栄子・山形県知事(PRESIDENT Online のサイトから)
http://president.jp/articles/-/18589





*メールマガジン「風切通信 28」 2017年5月25日

 かつて、この国には「ブルドーザー宰相」と呼ばれた政治家がいました。新潟が生んだ鬼才、田中角栄氏です。苦労を重ねて首相まで上り詰めた人だけあって、人々の心の襞(ひだ)をよく知り、一方で利権漁りも得意でした。公共事業がらみの情報をいち早く入手して土地を転がし、土建業界から得た資金で政界を牛耳り、日本列島改造論をぶち上げました。「ブルドーザー宰相」と呼ばれた所以です。

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 その内実が立花隆氏の論考『田中角栄研究ーその金脈と人脈』(1974年)で暴かれ、2年後にはロッキード事件が発覚して、角栄氏は政治の表舞台から消えていきました。これ以降、土木建設工事をめぐって談合事件の摘発や報道が相次いだこともあって、公共事業や土地転がしで巨利を得るのは段々と難しくなっていきました。

 代わって、政治家の金づるになったのが株取引です。その象徴的な事例が、値上がり確実な未公開株を政治家や官僚にばらまいて便宜を図ってもらったリクルート事件(1988年発覚)でした。この事件には多くの政治家や官僚が関与し、当時の竹下登首相は辞任、藤波孝生(たかお)官房長官は受託収賄罪で有罪判決を受けました。

 公共事業で利権を漁るのはダメ。株取引で甘い汁を吸うのもいけない。ならば、政治家はどうやって資金を得ればいいのか――。1990年代に政治改革論議が高まり、政党交付金の制度ができたのは、そうした政治家の悲鳴に応えた面もありました。「税金で面倒を見るから、汚い金には手を出さないでね」というわけです。その延長線上で、地方議員にも政務活動費(旧政務調査費)という公金が支給されるようになりました。

 とはいえ、どんなに手厚い制度を作っても、権力に群がり、公金をむさぼろうとする連中がいなくなるわけがありません。それは、森友学園問題や最近、報道が増えた愛媛県今治市の獣医学部新設問題を見れば、明らかです。安倍晋三首相のお友達が経営する学校法人「加計(かけ)学園」が新設を計画している岡山理科大学の獣医学部には、今治市が16ヘクタールの土地(36億円相当)を無償で譲渡し、愛媛県と今治市が総事業費の半分96億円を負担することになっています。注がれる公金は締めて132億円。これがタダで手に入るわけですから、関係者は笑いが止まらないでしょう。

 小泉政権が「構造改革特区」構想を打ち出してから、加計学園は獣医学部を新設したいと15回も提案したのに、これまでは「獣医師は足りている」という日本獣医師会の意向や文部科学省の反対にあって、ことごとく却下されていました。それが安倍政権になり、「構造改革特区」が「国家戦略特区」に衣替えされた途端、トントン拍子に事が進んだというのですから、便宜供与がなかったと考える方がおかしい。

 森友学園問題では、矢面に立った財務省が「関係書類は保存期間が過ぎたので全て破棄した」とか「土地売却費の8億円値引きは適正な手続きに基づく決定」とか、強弁と詭弁を繰り返しています。加計学園問題では、獣医学部の新設容認が「総理のご意向だと聞いている」と記した文部科学省の内部文書について、菅義偉(すが・よしひで)官房長官が「怪文書みたいな文書じゃないか」と迷言を吐く有り様です。

 私たちの社会にとって深刻なのは、こうした政治家や官僚の醜い対応が「教育」を舞台にして為されている、ということです。次の時代、未来を担う人間をどうやって育てていくのか。それを考え、実践していくべき場で、公金をむさぼる行為がまかり通り、不正をごまかす言葉がまき散らされているのです。憂うべきことです。

 自民党や文部科学省は「人間としての生き方についての考えを深める学習が必要だ」として、道徳をこれまでの「教科外の活動」から「教科」に格上げすることを決めました。来年以降、小中学校で正式に教科としての道徳の授業が始まります。いっそのこと、森友問題や加計問題での政治家や官僚の嘘とごまかしをそのまま教材にしてはどうか。子どもたちにとって、何より分かりやすい「道徳の反面教師」になるのではないか。

 子は親の背中を見て育つ、と言います。政府が嘘とごまかしで押し切ろうとする姿を見ていれば、子である都道府県や孫である市町村も右ならえをすることになります。実際、私が暮らしている山形県でも似たようなことが起きています。全国津々浦々で続く公金のむさぼり合い。こんなことを許していたら、それこそ、国が滅びてしまいます。



≪参考文献・記事&サイト≫
◎『田中角栄研究?その金脈と人脈』(立花隆、月刊誌『文藝春秋』1974年11月号)
◎リクルート事件(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E4%BA%8B%E4%BB%B6
◎加計学園の獣医学部新設問題に関する報道
 ・2017年5月18日付の朝日新聞、毎日新聞(山形県で販売されている版)
 ・2017年5月25日付の朝日新聞(同)
◎今治市と愛媛県の獣医学部新設に伴う負担に関する報道(毎日新聞のサイト)
https://mainichi.jp/articles/20170304/ddl/k38/010/544000c
◎道徳教育について(文部科学省の資料)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/078/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/08/05/1375323_4_1.pdf


≪写真説明とSource≫
◎愛媛県今治市に新設される岡山理科大学獣医学部の完成予想図
http://mera.red/%E5%8A%A0%E8%A8%88%E5%AD%A6%E5%9C%92%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81

*メールマガジン「風切通信 27」 2017年5月17日

 優れた本は、すらすらと読み進むことができません。時折、本を置いて考え込んでしまいます。忘れかけていた記憶を呼び覚ましたりもします。国谷裕子(くにや・ひろこ)さんの著書『キャスターという仕事』(岩波新書)も、しばしば立ち止まってしまう本でした。

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  NHKの「クローズアップ現代」はよく観ていましたので、番組のキャスター、国谷さんの顔は何度も拝見していましたが、どういう道を歩んできた人かはこの本で初めて知りました。彼女は、父親の勤務の関係で海外生活が長く、小学校の数年間を除けば日本での教育を受けていません。そのため、英語は堪能なのに日本語に自信が持てず、日本の事情にも疎いためコンプレックスを抱いていたといいます。

 彼女のキャスターとしてのキャリアは、1981年にNHKが夜7時のニュースを英語でも放送し始めた際、その英語放送用のアナウンサーとして採用されて始まりました。といっても、大事なところはベテランのアナウンサーが読むので、国谷さんは日本語の原稿を受け取って英語放送用の作業部屋に走って届ける、といった雑用もこなしたといいます。

 駆け出しのアナウンサーからNHKの看板番組のキャスターになるまでの艱難辛苦は読み応えがあります。毎週4回、23年にわたって続けたキャスターとしての仕事を振り返り、反芻している各章は、それぞれがドラマのようです。一人の人間が修練を積み重ね、骨太のジャーナリストになっていく物語になっています。

 その意味で、この本はジャーナリストを志す若者にとって教科書とも言えるような良書なのですが、私にとって最も印象深かったのは、2001年5月17日に放送された「クローズアップ現代 高倉健 素顔のメッセージ」について詳述しているところでした。

 俳優の高倉健は寡黙なことで知られています。番組でインタビューを始めたものの、返ってくるのは短い答えのみ。対話はまったく弾まなかったといいます。国谷さんは、「テレビのインタビューにほとんど応じることのない高倉さんがくださった貴重な機会。覚悟を決めて待とう」と思った、と記しています(p133)。実際、インタビューの中で沈黙が17秒も続いたのだとか。

 当時、高倉健は映画『ホタル』の撮影を終えたばかり。「これからはどういう作品に出たいと思いますか?」という彼女の問いかけに、高倉健はこう答えました。
「まだ頭のなか、何にも考えていないですね。もう嫌でも封切りの日がきますから、その日が一番辛くなる日なんですけど。でも、どっかでいい風に吹かれたいというふうに思いますね」「いい風に吹かれるためには、自分が意識して、いい風が吹きそうな所へ自分の身体とか心を持っていかないと。じっと待ってても吹いてきませんから。吹いてこないっていうのが、この頃わかってきましたね」

 「いい風に吹かれたい」。この言葉に出くわして、私は忘れかけていた、南インドで吹かれた風のことを思い出しました。1992年から3年間のインドでの仕事と暮らしは、充実していたものの、とてもしんどいものでした。摂氏50度の熱波にさらされる取材。出張先は戦火が収まらないアフガニスタンや政争激しいパキスタン・・・。その厳しさからしばし逃れるために、私は南インドの古都マイソールに旅に出ました。

 マイソールは南インド研究の泰斗、辛島昇・東大名誉教授(故人)が若い頃に貴子夫人と暮らした街です。インドとはどういう国、どういう社会なのか。戸惑い、立ちすくむたびに、私は辛島夫妻に教えを請い、2人の著書をひもときました。私にとって、辛島氏監修の『インド 読んで旅する世界の歴史と文化』と貴子夫人の著書『私たちのインド』は、どちらもインド取材の礎のような本でした。

 2人が暮らした街はどんな街なのか。それが知りたくて、私は南インドのバンガロールに飛び、さらに車を駆ってマイソールを訪ねました。記事になるような話は何もなく、今となってはどんな街だったのかすら思い出せないのですが、その帰り道のことはかすかに覚えています。マイソールを去り、ダム湖のほとりに辿り着いた時です。空っぽの心を抱えて、漫然と湖を眺めていると、柔らかな風が吹き、頬をかすめていったのです。「いい風だな」。生まれて初めて、心からそう思いました。そして、「これでまた明日から力を出すことができる」と感じたのです。

 楽しいことや嬉しいこともあるけれど、つらいことや悲しいことの方が多いのが人生です。つらくて、つまずきそうになった時、支えてくれるのは、ささやかな喜びや小さな恵みの記憶です。この頃、しみじみそう思います。いい風に吹かれたい。そして、また少し、生きる力を補いたい。


≪参考文献≫
◎『キャスターという仕事』(国谷裕子、岩波新書)
◎『私たちのインド』(辛島貴子、中公文庫)
◎『インド 読んで旅する世界の歴史と文化』(辛島昇監修、新潮社)
◎『今夜、自由を』(上下、ドミニク・ラピエール、ラリー・コリンズ共著、早川書房)

≪写真説明とSource≫
◎高倉健
http://pinky-media.jp/I0004294




*メールマガジン「風切通信 26」 2017年4月12日

 シリアでの化学兵器使用疑惑、トランプ政権によるシリア空軍基地へのミサイル攻撃と大きなニュースが続き、森友学園問題は小さなニュースになりつつあります。大阪地検特捜部は、森友学園の籠池泰典氏が国の補助金を不正に受け取った疑いがあるとの告発を受理し、補助金適正化法違反で取り調べる構えを見せています。新聞各紙はこの告発受理を比較的大きく取り上げ、「ここが落としどころ」のような報道をしています。

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 冗談ではありません。こんな報道をしているから、新聞はますます「信用できない」と相手にされなくなるのです。森友学園問題の核心は、「9億円の国有地がなぜ8億円も値引きされて森友側に売却されたのか」にあります。新聞各紙には、その核心に迫る記事が見当たりません。掘り下げようとする気迫も感じられません。そんな中で、またしてもウェブのニュースサイトに核心をつく記事が登場しました。環境ジャーナリスト、青木泰(やすし)氏の「森友問題 地中深部ごみは『存在しない』との報告書」という記事です(全文は末尾のURL参照)。

 すでに報道されている通り、森友学園が「瑞穂の國記念小學院」の建設を予定していた土地は、隣の豊中市の公園建設予定地とともに国有地でした。もともと住宅地だったところを国土交通省大阪航空局が伊丹空港の騒音防止区域として買い上げ、取得した土地です。阪神大震災の後、豊中市はこの土地を防災避難公園として国から購入しようとしたのですが、財政的に全部買うのは無理だったため半分だけ購入し、あとの半分は国有地のまま残っていたものです。それを森友学園が小学校建設用地として購入した、という経緯があります。

 豊中市は9492平方メートルの土地を14億2300万円で購入、一方の森友学園は隣の8770平方メートルを1億3400万円と格安の値段で購入しました。しかも、財務省近畿財務局は森友学園への売却額を非公開にしました。それを、豊中市の木村真(まこと)市議(無所属)が情報公開請求をして暴露し、8億円も値引きしていたことが明るみに出たのです。これが明らかになるや、財務省は「地下に大量のごみがある。その撤去費用として8億円値引きした」と釈明しました。とくに、「地中深くにごみがたくさんある」というのが大幅値引きの理由でした。

 従って、メディアが追及すべきは「本当に地中深くに大量のごみがあったのか」という点です。青木泰氏は、技術者の立場からこの問題を掘り下げ、「地中深くにごみなどない。専門業者がボーリング調査した報告書があり、財務省が保管している」ということを突きとめ、Business Journal というニュースサイトで特報しました。

 青木氏によれば、問題の報告書が作成されたのは平成26年(2014年)12月で、「(仮称)M学園小学校新築工事 地盤調査報告書」というタイトルが付いています。この報告書には土地の地層図も添えられており、?盛り土(3メートル)?沖積層(7.3メートル)?洪積層(4?7メートル)という3層になっていることが分かります。?の盛り土は、沼地や田畑だったところを宅地化するさいに盛られたもので、ここには植物の根や塩化ビニール片、木片などが混入している可能性があります。しかし、その下部、沖積層や洪積層には、大量のごみなど存在し得ないのです(あったら、考古学上の大発見になります)。

 財務省はそうした報告書を保管し、土地の状況を知っていながら、国土交通省大阪航空局に「地下深くに大量のごみがあり、撤去に多額の費用がかかる」との鑑定を出させ、8億円の値引きをしていたわけです。これは国有財産の価値を不当に下げて政府に損害を与える背任行為であり、立派な犯罪です。「籠池氏は小学校建設工事の契約額をごまかして補助金を不正に受け取った」という容疑より、はるかに深刻で姑息な行為です。

 そうした罪を犯した者たちが素知らぬ顔で国の財政をつかさどり、国民から税金を取り立てる。そんなことがまかり通っていいはずがありません。森友学園への8億円値引き売却を暴いた木村真・豊中市議らは3月22日、大阪地検特捜部に「財務省近畿財務局の職員(氏名不詳)が国有地を不当に安く売却して国に損害を与えた」として、背任容疑で告発しました。大阪地検特捜部は4月5日、この告発を受理し、新聞各紙はそのニュースをベタ記事で伝えました。「どうせ受理しただけ。検察には立件する気はない」と言いたいのでしょう。

 検察にも心ある人はまだいる、と信じたい。告発を正面から受けとめ、「裁かれるべき者には裁きを与えなければならない」との判断が下る日が来ることを信じたい。


≪参考サイト≫
◎森友問題、地中深部ごみは「存在しない」との報告書(青木泰氏、Business Journalのサイト)
http://biz-journal.jp/2017/04/post_18667.html
◎環境ジャーナリスト、青木泰(やすし)氏による解説「実はなかった8億円のごみ」の動画(ユーチューブ)
https://www.youtube.com/watch?v=Cxm6YoXgXL4
◎青木泰氏のプロフィール
http://www.hmv.co.jp/artist_%E9%9D%92%E6%9C%A8%E6%B3%B0_200000000454851/biography/media_all/


≪写真説明とSource≫
◎財務省保有の「(仮称)M学園小学校新築工事 地盤調査報告書」(平成26年12月)に添えられている地層図(記事の中ほどにあります)
http://biz-journal.jp/2017/04/post_18667_3.html




*メールマガジン「風切通信 25」 2017年3月22日

 疑獄事件と言えば、政治家がその権限を使って民間人に便宜を図り、見返りに大金を受け取る、というのが通り相場でした。昭電疑獄(1948年)、造船疑獄(1954年)、九頭竜(くずりゅう)ダム疑獄(1965年)、ロッキード事件(1976年)、リクルート事件(1988年)ではいずれも政治家が巨額の金品を受け取ったとされ、収賄容疑で追及されました。

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 ところが、今回の森友学園への国有地売却問題はいささか様相が異なります。9億円の国有地が8億円も値引きされて払い下げられたのですから、特段の便宜が図られたことは間違いないのですが、森友側から「大金」が流れた形跡がありません。かつての疑獄とどこがどう異なるのか。それを分析した優れたリポートがあります。『サンデー毎日』の3月26日号と4月2日号に掲載された伊藤智永(ともなが)毎日新聞編集委員の記事です。

 記事のタイトル「森友疑惑は思想事件である」が問題の所在を的確に表現しています。伊藤編集委員の分析はこうです。
「この事件は、安倍政治に特有の『何だか嫌な感じ』がてんこ盛りになっている。つまり、政治事件としての本筋は、『教育・首相夫人・勅語(=天皇制・国体論)・排外主義』の問題にこそある。ひっくるめて『安倍流保守』の問題と名付けよう。これは政治思想事件なのである」

 森友学園問題をめぐってモヤモヤしていたものが、この記事を読んですっきりと晴れていくような気がしました。「戦後レジームからの脱却」を目指す安倍晋三首相にとって、取り戻すべき日本の美点のエッセンスは、戦前の教育勅語でうたわれていることと重なります。森友学園が推し進めようとする「日本で初めての神道に基づく小学校教育」とも共鳴するところがあります。だからこそ、昭恵夫人は講演を引き受け、「こちらの教育方針は主人もすばらしいと思っていて」と語ったと考えられるのです。

 安倍首相夫妻と思想やイデオロギーを共有し、シンクロナイズする。交友もある。それゆえに、籠池泰典理事長は財務省や国土交通省との折衝で強気を押し通すことができたのではないか。官僚たちも、それを知っているから目端を利かせて譲歩に譲歩を重ねたのではないか。森友学園側から巨額の金品を贈らなくても小学校の開校準備がスムーズに進んだ背景にそうした構図があったと考えると、これまでの経緯が分かりやすくなります。

 伊藤編集委員の続報「安倍政治を担いだ『保守ビジネス』」も、戦後日本の政治思想の変遷を考えるうえで、示唆に富んでいます。記事の中で、保守ビジネスの起業家の「1990年代末から保守が売り物として成立するようになった」という言葉が紹介されています。このころから、日本の神話や皇室、国史をテーマにしたセミナーを開催すると、3000円の会費で参加者が面白いように集まる。ネット塾にも有料会員が次々に登録してくる。「保守ビジネス」が成り立つようになり、太い流れになっていった、というのです。

 1989年に東欧の社会主義体制が次々に倒れていきました。1991年には社会主義の本家、ソ連そのものが消滅し、共産主義・社会主義というイデオロギーは総崩れになりました。政治思想やイデオロギーという面から考えると、「社会の左翼」が真空状態になり、その空白を埋めるべき「強靭なリベラル」が育たないまま、21世紀を迎えました。空いた領域に中道と保守がじわじわと広がっていったのです。

 日本では、2009年に民主党が政権の奪取に成功しましたが、ぶざまな政権運営によって有権者に愛想を尽かされ、「やっぱり自民党に任せるしかないね」という選択が定着してしまいました。そうした中でグローバリゼーションは勢いを増す。冷戦を勝ち抜いた自由主義・資本主義体制の中で、大手を振ってまかり通るのはアメリカ型の貪欲な資本主義。社会は不安定さを増し、その不安を巧みに掬い取ったのは保守のタカ派であり、極右勢力だったのです。森友学園問題はそうした中で噴き出しました。今の日本社会の病理を象徴するスキャンダルと言えるのではないか。

 悲しいのは、今の日本には、これをただす勢力があまり見当たらないことです。国会での民進党議員の追及を見ていると、脱力感に襲われます。なんでこんな質問しかできないのか。自分たちで腐敗の根っこを掘り起こす力がない。一番気を吐いているのが、なんと共産党です。けれども、彼らにはノスタルジア(郷愁)はあっても、未来の展望はないでしょう。かつて腐敗した政治家に恐れられた検察官もどこへ消えてしまったことやら。

 繰り言を重ねても、未来を切り開くことはできません。どんな社会も、一人ひとりの人間が集まってできています。一人ひとりが、今いる場所でできることを積み重ねて、この社会を変えていくしかありません。森友学園問題は「今、あなたにできることは何か」と問いかけているとも言えます。

 山形の山村で暮らす私にできることは限られていますが、幸いなことに、こんな山奥にも光ファイバー回線が張り巡らされ、情報はあふれ返っています。ネットの海に漕ぎ出し、森友疑惑の核心に可能な限り迫るつもりです。元新聞記者として、何が至らなかったのか、深く自省しつつ。



≪参考サイト、記事≫
◎戦後の疑獄政治史
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/seitoron/seijikasotuishi/sengoshi.htm
◎『サンデー毎日』(2017年3月26日号)の記事「森友疑惑は思想事件である 教育勅語と安倍政権の危険度」
◎上記の記事(毎日新聞のニュースサイトから)
http://mainichi.jp/sunday/articles/20170313/org/00m/040/003000d
◎『サンデー毎日』(2017年4月2日号)の記事「安倍首相を担いだ『保守ビジネス』 稲田防衛相、森友学園、田母神俊雄の交点」
◎上記の記事(毎日新聞のニュースサイトから)
http://mainichi.jp/sunday/articles/20170319/org/00m/070/004000d
◎毎日新聞のコラム「1強栄えて吏道廃れる」(伊藤智永編集委員、3月4日)
http://mainichi.jp/articles/20170304/ddm/005/070/003000c


≪写真説明とSource≫
◎森友学園の塚本幼稚園で園児に囲まれる安倍昭恵夫人
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/f5b90bd8e3ab960b5bf0d8e648239e0f




*メールマガジン「風切通信 24」 2017年3月14日

 森友学園への国有地売却問題には不可解なことがたくさんあります。その一つが「国会でも大阪府議会でも、小学校の建設予定地がある豊中市の議会でも、公明党の議員がまったく質問しないこと」です。公明党の支持母体である創価学会の会員の中には不満が渦巻いているとのことです。

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 公明党の議員はなぜ、この問題に触れないのか。その理由を探っていくと、一人の人物に辿り着きます。かつて国土交通相をつとめた冬柴鉄三代議士(故人)の次男、冬柴大(ひろし)氏です。1988年から大和銀行(現りそな銀行)に16年勤め、2004年にソニー生命保険に転職、冬柴元国交相が病没した2011年にソニー生保を退職して「冬柴パートナーズ株式会社」(大阪市)を設立しました。その代表取締役です。経営コンサルタントを業務とし、人脈紹介や助成金の申請援助を得意としている会社です。

 官僚側のキーパーソンが財務省の前理財局長、迫田(さこた)英典氏(国税庁長官)とするなら、民間側のキーパーソンは、この冬柴大氏と言っていいでしょう。前回のコラムで、「この問題には疑惑の3日間がある。2015年の9月3日から5日までの3日間だ」との志葉玲(しば・れい)氏の記事を引用し、安倍晋三首相が9月4日、安保法制法案の国会審議のさなかに大阪を訪問していたことを紹介しました。安倍首相はこの日、大阪・東梅田駅前の海鮮料理店「かき鉄」で冬柴大氏と会食しています。店のオーナーは冬柴氏です。牡蠣(かき)料理の店で、父親の名前「鉄三」の一文字を冠したのでしょう。

 日刊ゲンダイの電子版(3月8日)は、経営が思わしくない森友学園は小学校の建設資金に窮していたが、ある都市銀行が20億円を超す融資に応じた、と報じました。そして、その融資を仲介したのは「大臣経験者の子息A氏ではないか、という憶測が流れている」と伝えています。日刊ゲンダイの取材に対して、A氏は「その日に安倍首相と会食したのは事実です」と認めたものの、融資の仲介については「まったくありませんでした」と否定しました。この「A氏」が冬柴大氏で、融資に応じたのは彼がかつて勤めていた「りそな銀行」と見られています。

 多忙を極める首相が国会審議の合間を縫って大阪を訪れてテレビに出演し、その後、経営コンサルタントと彼の店で会食する。「重要な案件があったから」と見るのが自然です。その前日、安倍首相は財務省の迫田理財局長と会い、翌日(9月5日)には昭恵夫人が森友学園経営の幼稚園で講演し、小学校の名誉校長就任を引き受けています。「疑惑の3日間」と言われる所以です。

 キーパーソンが冬柴元国交相の息子では、公明党の議員は国会でも大阪府議会でも質問する気にはなれないでしょう。これで「不可解なこと」の一つへの疑問は氷解します。問題の土地の評価を民間の不動産会社ではなく、国土交通省の出先機関、大阪航空局が行ったことも「冬柴人脈」を考慮に入れれば、納得がいきます。

 もう一つの疑問、土地の評価をした国土交通省大阪航空局はなぜ「ゴミの撤去」を理由に8億円も値引きしたのか。大阪航空局の鑑定によれば、縄文時代に相当する深い地層にも「たくさんゴミがあるので、撤去に多額の費用がかかる」ということになります。これに関しては、この土地の元地権者たちが怒って、メディアに発言し始めています。元地権者の1人、乗光恭生さん(元豊中市議)は「災害時の一次避難地としての役割も担う公園を建設するというから、みんなで立ち退いて土地を国に売ったのに、いつの間にか森友学園に売られていた。あそこはもともと田んぼや畑。立ち退き時に家を解体してきれいにしたのでゴミなどない」と語っています。なんということでしょうか。

 森友学園の籠池泰典理事長が小学校の設置認可の申請を取り下げ、理事長も退任する意向を表明したことで、関係者はこの問題の「幕引き」を図る構えを見せていますが、冗談ではありません。「公園にする」と称して大勢の住民を立ち退かせて土地を国有化した挙げ句、元地権者たちが「ゴミなどない」と言う土地を8億円も値引きして森友学園に譲り渡し、そのうえ「ゴミの撤去」と「土壌汚染対策」の名目で1億3200万円もの公金を支給していたのです。森友学園が払ったのは、実質わずか200万円。ただ同然です。

 国の財産も税金も、自分たちの裁量でどうにでもなる、と考えているのです。こんな人たちにこの国の未来を託せるのか。こんな人たちが責任を問われることもなく、のうのうと生きていていいのか。


≪参考サイト、記事≫
◎森友学園の資金調達問題を報じた記事(日刊ゲンダイの電子版から)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/200917
◎冬柴パートナーズ株式会社の公式サイト
http://fuyushiba.com/index.html
◎産経ニュース「安倍日誌」2015年9月4日
http://www.sankei.com/politics/news/150905/plt1509050012-n1.html
◎東梅田の海鮮料理店「かき鉄」(「食べログ」から)
https://tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27084357/
◎「公園にするというから立ち退いた」と憤る元地権者の1人、乗光恭生さんの記事(YAHOOニュースから)
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20170313-00068645/
◎メディアに経過を説明する乗光恭生さん(ユーチューブの動画)
https://www.youtube.com/watch?v=YArhC_jOI1Y

≪写真説明とSource≫
◎メディアに語る元地権者の1人、乗光恭生さん(中央)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/200917




*メールマガジン「風切通信 23」 2017年3月10日

 大阪の森友学園への国有地払い下げ問題は、ますます奇怪な様相を呈してきました。学園の籠池(かごいけ)泰典理事長の言動は支離滅裂ですが、国有地の売却を決めた財務省の対応も奇怪です。この問題を所管する理財局の佐川宣寿(のぶひさ)局長は3日の参議院予算委員会で次のように答弁しています。「2012年の閣僚懇談会の申し合わせで、(政治家の不当な働きかけがあれば)記録を保存することになっていますが、不当な働きかけが一切なかったので、記録は保存されていません」

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 この人は官僚としては優秀なのかもしれませんが、役者としては「折り紙付きの大根」です。何かを、そして誰かをかばおうとしていることが見え見えです。佐川局長はこれに先立つ、2月24日の衆議院予算委員会では次のように答弁しています。
福島伸享(のぶゆき)議員「このような異例中の異例のやり方で(国有地の処分を)やっている時の理財局長はどなたでしょうか?」
佐川理財局長「えーと、今、手もとに資料がございません。大至急、調べてきます。(質疑を中断)前々任者ということであれば、えーと、中原でございます」
福島議員「なんでそんなにとぼけるんですか。(平成)27年から28年、前任者の理財局長!」
佐川理財局長「27年の夏から28年の夏という意味で言えば、迫田でございます」

 自分の前任者の名前を出したくないので、「手もとに資料がない」と言う。中座して戻ってきたら、前々任者の名前を出す。森友学園への国有地処分を決めた時の理財局長の名前を何とかして隠そうとする。が、隠しきれなくなって、ついに苗字だけ出してしまった、ということです。本当に大根です。彼が必死になってかばおうとした迫田英典(さこた・ひでのり)氏とは、どのような人物なのか。

 1959年、山口県生まれ。県立山口高校から東大法学部に進み、1982年に卒業して大蔵省に入省。竹下首相の秘書官補、金融庁信用機構室長、徳島県企画総括部長、東京国税局徴収部長、関東信越国税局長、主計局次長、財務省大臣官房総括審議官を経て、2015年7月に国有財産を管理する理財局長に就任。2016年6月、1年足らずで国税庁長官に就任しています。後輩が一所懸命、守ろうとするのもうなずける経歴です。

 2月28日のYAHOOニュースに掲載されたフリージャーナリスト、志葉玲(しば・れい)氏の記事「国有地8億円値引した迫田英典氏を国会に!」によれば、この迫田氏こそ、森友学園に国有地を8億円も値引きして売却した疑惑のキーマンです。志葉氏によれば、森友学園問題を解く鍵は2015年9月3日から5日までの3日間にある、といいます。

 産経新聞の「安倍日誌」9月3日によると、安倍首相は午後2時17分から10分間、財務省の岡本薫明官房長と迫田英典理財局長に会いました。その翌4日、首相は国会で安保法制の法案審議が続いていたにもかかわらず、空路、大阪入りしました。大阪の読売テレビに出演し、海鮮料理店で食事をしています。翌々日の5日、安倍首相夫人の昭恵さんは森友学園が経営する塚本幼稚園で講演し、「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長を引き受けました。なるほど、いろいろなことを想像させる3日間です。

 「昭恵夫人は籠池理事長に頼まれ、断りきれなくて『名誉校長』を引き受けた」といった報道もなされていますが、むしろ、その教育方針に賛同して積極的に引き受けたのではないか。夫の安倍首相も事情を承知したうえで同時期に大阪を訪れたのではないか。もしそうならば、この疑惑をめぐる様々なことが実にすっきりと見えてきます。

 権勢のピークにある首相とその夫人が賛同する小学校の設立計画。ここで思い切った仕事をすれば、強く印象づけることができる――目端の利く官僚なら「勝負のとき」と考えるでしょう。あらゆる手段を駆使して便宜を図り、売却価格も隠す。仲介する政治家も「ここで貸しを作っておいて、損はない」と蠢く。与党自民党はそんな実情が明るみに出たのでは政権の屋台骨が揺らぎかねないので、国会への参考人招致を認めない・・・。実に分かりやすい構図です。ついでに、「次の首相をめざす政治家は悠々と高みの見物」という姿も見えてきます。

 今、日本の国家財政は莫大な借金を抱えて火の車です。きるだけ支出を減らして、財政を立て直さなければなりません。国有財産も大切にして、次の世代に引き継がなければなりません。それが今を生きる私たちの責任です。ですが、森友学園問題に登場する面々には、そうした責任感はかけらもないようです。それどころか、疑惑のキーマンが国民から税金を取り立てる国税庁の長官としてふんぞり返っているとは・・・。

 この問題は、特異な学校法人の風変りな理事長が引き起こした小さなスキャンダルではありません。安倍長期政権の下で政治家や官僚たちが何をしているのか。その陰で私たちの未来がどんな風に蝕まれているのか。それを端的に示す、極めて大きな問題です。


≪参考サイト、記事≫
◎「国有地8億円値引きした迫田英典氏を国会に!」の記事(YAHOOニュースのサイト)
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20170228-00068180/
◎フリージャーナリスト志葉玲氏のブログ
http://reishiva.exblog.jp/
◎迫田英典氏の略歴(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%AB%E7%94%B0%E8%8B%B1%E5%85%B8
◎産経ニュース「安倍日誌」2015年9月3日
http://www.sankei.com/politics/news/150904/plt1509040010-n1.html
◎同2015年9月4日
http://www.sankei.com/politics/news/150905/plt1509050012-n1.html
◎朝日新聞(2017年3月8日)の2面記事「理事長ら招致、自民難渋」
◎サンデー毎日(2017年3月19日号)の「森友学園と政・官 疑惑の闇」

≪写真説明とSource≫
◎記者団に囲まれる籠池泰典理事長(3月9日)(ハフィントン・ポストのサイトから)
http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/09/kagoike-moritomo_n_15257798.html




*メールマガジン「風切通信 22」 2017年3月5日

 こんな人物が13年間も日本の首都のトップとして君臨していたのか。3日の石原慎太郎・元東京都知事の会見を聞いて、ため息を漏らした方も多かったのではないでしょうか。築地市場の豊洲移転について、石原氏は「行政上の責任は当然、裁可した最高責任者にある」と認めたものの、あとは嘘とごまかしと言い逃れのオンパレード。その姿から思い浮かんだのは「老醜をさらす」という言葉でした。

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 石原氏は会見の冒頭で声明を読み上げ、「1999年4月、知事に就任して早々に豊洲という土地への移転は既定の路線であるような話を担当の福永副知事から聞いた」と述べました。まず、これが事実とは思えない。彼が都知事になる前、東京都は築地市場の移転を断念し、市場の再整備を目指していました。立体駐車場や冷蔵庫棟を新たにつくり、築地を生まれ変わらせる計画だったのです。そして、その工事は財政難のため中断していました。

 当時、東京都は臨海副都心の開発に失敗し、8000億円もの借金を抱えていました。単年度会計も実質赤字が続き、財政再建団体に転落しかねない状況にあったのです。そうした中で、副知事が莫大な予算を必要とする築地市場の豊洲移転を「既定路線です」と知事に進言するなど考えられないことです。だからこそ、石原氏は「既定の路線であるような話を聞いた」という、あいまいな表現を使ってごまかそうとしたのでしょう。知事就任前に築地市場を豊洲に移す計画があったにせよ、豊洲に移転させることを決め、本格的に動き出したのは石原都政になってからです。

 次に、東京ガスからの豊洲工場跡地の買収について。石原氏は「具体的な交渉は2000年10月以降、浜渦副知事に担当してもらいました。浜渦氏から、交渉の細かな経緯について逐一報告は受けていませんでした。大まかな報告は受けていたかもしれません」と述べました。巧妙な表現です。豊洲工場跡地の土地代や関連費用として1281億円。その後の土壌汚染の対策工事費を加えれば、2000億円を超す大規模なプロジェクトです。しかも、移転後に築地市場の土地を売れば、莫大な収入が見込まれ、財政再建の夢も叶う。そのプロジェクトの重要事項が知事に報告されないわけがありません。

 当の浜渦武生氏は、『サンデー毎日』(3月5日号)のインタビューに答えて、土地買収交渉の経緯を語っています。東京ガスは工場跡地の売却を拒んでいました。都市ガスの製造工場だった跡地は土壌汚染がひどい。そこで、土壌汚染対策工事をしたうえでマンションやショッピングセンター、大学を誘致する開発計画を立て、すでに経営会議で正式に決定していたのです。

 浜渦氏はインタビューの中で、「東京ガスが難色を示したのは当たり前です」「決定事項を蒸し返されるのは、株主への説明も大変だし困るということでした」と述べています。そこで「水面下での交渉」に入り、東京ガスが計画していた1000億円の防潮護岸工事を東京都が引き受け、代わりに土壌汚染対策工事はすべて東京ガスが行う、という方向で土地の売買交渉を進めた、と証言しています。

 では、なぜ、護岸工事だけでなく、土壌汚染の対策工事まで東京都が行うことになったのか。浜渦氏は都議会での「やらせ質問」が問題になって2005年に辞任しており、その後の交渉には関わっていません。2011年に東京都と東京ガスが交わした土地売買契約に「土壌汚染対策費も東京都が負担する」との内容が盛り込まれたことについて、浜渦氏は「まったくもって分からない。私がいたら、こんなことにはならなかった」と語っています。

 その後の交渉で何があったのか。売買の対象物(土地)に瑕疵(かし)があった場合、売り手(東京ガス)が責任を持って対処するのが普通の取引ですが、石原氏は会見で「瑕疵担保責任留保の報告も相談も受けていない。それはもう、(部下に)任せきり。そんな小さなことにかまけてられません」と開き直りました。860億円もの費用がかかった土壌汚染対策を「小さなこと」と言ってのける神経に、唖然とします。

 土壌汚染対策のことを聞かれると、「私は専門家ではありませんから」と逃げる。「私は素人ですし、担当の司々(つかさつかさ)の職員の判断を仰ぐしかない」と部下に責任をかぶせる。挙げ句の果てに「議会も含めて都庁全体の責任じゃないですか」と言う。この人には「トップとしてすべての責任を取る」という覚悟や潔さは全くありません。

 民間企業なら経営者が背任の罪に問われてもおかしくないケースです。石原氏に対しては、都民が東京都に対して「豊洲の土地を578億円で取得したのは違法だ。都は石原氏に購入の全額を請求すべきだ」との訴訟を起こしています。元都議による住民監査請求もなされています。石原氏のような破廉恥な人間は、都議会の百条委員会に証人として呼ばれても、責任逃れを繰り返すだけでしょう。法廷に引きずり出して、ぎりぎりと締め上げるしかありません。それでも、「体調がすぐれない」などと言って逃げ回るのだろうけれど。


≪参考サイト、文献≫
◎石原慎太郎氏の記者会見(3月3日)の詳細(ハフィントン・ポストのサイト)
http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/02/ishihara-shintaro-conference_n_15124104.html
◎石原氏の声明全文(同サイト)
http://big.assets.huffingtonpost.com/20170303ishihara.PDF
◎週刊誌『サンデー毎日』(2017年3月5日号)
 「浜渦武生・元副知事、全真相を独白。本当の戦犯は誰なのか」
◎『黒い都知事 石原慎太郎』(一ノ宮美成&グループ・K21、宝島社)

≪写真説明とSource≫
◎日本記者クラブで会見した石原慎太郎氏(ハフィントン・ポストのサイトから)
http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/02/ishihara-shintaro-conference_n_15124104.html



*メールマガジン「風切通信 21」 2017年2月22日

 宮城県の伊豆沼は冬鳥の飛来地として知られ、隣接する内沼とともに、湿原の保存をうたったラムサール条約のリストに登録されています。その伊豆沼・内沼にやって来るオオハクチョウがこの冬、例年の4倍近い6000羽以上になったという話を、記者仲間の島田博さんから聞きました。

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 その原因が面白い。伊豆沼・内沼は蓮(はす)の花の名所としても知られています。毎年夏には淡いピンクの花が沼一面に咲き乱れ、地元主催の「はすまつり」が盛大に開かれています。ところが、岸辺のヨシが増えすぎて祭りの趣向がそがれてしまうのが悩み。そこで、ヨシを刈り取ってその繁茂を抑えるために、沼の水位を15センチほど下げたのだそうです。

 宮城県伊豆沼・内沼環境保全財団の研究者、嶋田哲郎さんによれば、この水位の低下が白鳥たちを呼び寄せたと考えられる、というのです。白鳥は水草の新芽や田んぼに残る落ち穂を好んで食べます。蓮の新芽やレンコン(蓮根)も好物で、白鳥は頭を水中に突っ込んで沼の底にあるレンコンを食べます。沼の水位が下がったことで、レンコンを食べられる範囲が広がり、これが飛来数の急増につながったというわけです。

 「風が吹けば桶屋が儲かる」の白鳥版のような話ですが、これはいい加減な話ではなく、説得力があります。「優雅な鳥」の典型のような白鳥にとっても、食べ物が少ない冬を乗り切るのは大変なことです。春になってシベリアに帰るまでに、しっかりと栄養を蓄えておかなければなりません。一所懸命に生きていることが伝わってきます。

 この話を聞いて、「白鳥たちは伊豆沼のレンコンが食べやすくなったことをどうやって知るのだろうか」という疑問が湧いてきました。毎年、伊豆沼に飛来する白鳥が何らかの方法で仲間に伝えているのか。嶋田哲郎さんの推論はこうです。鳥たちには餌場が何カ所かある。そこで仲間の様子をよく見ている。「あいつ、たくさん食べているな」と察知したら、その仲間に付いていく、というわけです。白鳥には白鳥の情報察知能力があり、ねぐらや餌場が情報交換の場になっている、と考えられるのだそうです。

 「伊豆沼の白鳥飛来数、急増」の記事は、1月29日の朝日新聞宮城県版に特ダネとして掲載され、2月7日には加筆して東京発行の夕刊に転載されました。その筆者が記者仲間の島田博さんです。特ダネになった経緯がまた、興味深い。宮城県の自然保護課は毎冬、各地の白鳥などの飛来数を取りまとめて記者クラブに配布しています。この冬も投げ込み資料として配られました。目にした記者はたくさんいたはずですが、数字が羅列してあるだけの資料です。ほとんどの記者はスルーしてしまいました。

 ところが、朝日新聞大崎支局長の島田さんは管内にある伊豆沼の異変に素朴な疑問を抱き、沼の環境保全に取り組む専門家に会いに行きました。そして、その背景事情を知り、特ダネとして報じるに至ったのです。彼は朝日新聞外報部時代の先輩で、元モスクワ特派員です。定年後、故郷の宮城県でシニア記者として働き続けています。「気にかかったことは愚直に追う」という新聞記者の基本動作を忘れことなく実践し、書いたのです。

 特ダネにも、いろいろなものがあります。政治家や官僚がひた隠しにしている悪事を暴く衝撃的な特ダネ。権力者にすり寄って「おこぼれ」のような話をもらって書く情けない特ダネ。半ば周知の事実をきちんと取材して伝える特ダネ・・・。伊豆沼の白鳥の記事は最後のタイプです。私はこういう特ダネが大好きです。白鳥の生態や蓮とレンコン、湖沼の保全など様々なことを考えさせ、想像力を膨らませてくれます。何よりも、行間から新聞記者の一所懸命な姿が伝わってくるところがいい。


≪参考サイト≫
◎「伊豆沼の白鳥、飛来数4倍に」の記事(朝日新聞デジタルのサイト)
http://www.asahi.com/articles/DA3S12786154.html
◎宮城県伊豆沼・内沼環境保全財団の公式サイト
http://izunuma.org/
◎水草を食べる白鳥(「NHK for School」のサイト)
http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005300650_00000&p=box
◎レンコンの栽培方法(「山里の素人農業」のサイト)
http://daii.jp/a_cul/renkon.php

≪写真説明とSource≫
◎宮城県伊豆沼の白鳥(「好きです。栗原」のサイト)
http://yumenet-kawashima.seesaa.net/article/332147463.html




*メールマガジン「風切通信 20」 2017年1月15日

 大統領の就任式を間近に控えた今の時期、その地位に就く政治家の胸は高揚感に満ちている、というのが普通でしょう。が、今、トランプ氏の胸に渦巻いているのは怒りと困惑、いら立ちと不安ではないか。彼と彼の側近たちはロシアのプーチン政権とどのような関係にあるのか。その内実を詳細に記したとされる極秘文書がメディアで報じられたからです。

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 1月10日、ウェブメディアの「バズフィード」が「アメリカ大統領選挙:共和党候補ドナルド・トランプ氏のロシアにおける活動とクレムリンとの不名誉な関係」と題された極秘文書の内容を特報しました。次いで、ニュース専門テレビのCNNが「クラッパ―国家情報長官(米国の情報機関の元締め)とコミーFBI長官、ブレナンCIA長官、ロジャーズNSA(国家安全保障局)長官の4人がオバマ大統領とトランプ次期大統領に極秘文書とその要約版を提出した」と報じました。

 CNNはA4判2ページ分の要約版の内容を伝え、極秘文書の詳細については「内容を確認できていない」として報じませんでしたが、バズフィードはこのCNNの報道の直後、「アメリカ国民が自ら判断できるように」と、ウェブで極秘文書の全文35ページの公開に踏み切りました(末尾のサイト参照)。

 極秘文書は「ロシア政府は5年前からトランプ氏との関係を深め、支持し、支援してきた。その目的は西側の同盟を分裂させ、分断するためであり、プーチン大統領の了解を得ていた」と記し、大統領選挙ではクリントン候補の足を引っ張り、トランプ氏に有利になるように、あらゆる手段を駆使して秘密工作を繰り広げたことを明らかにしています。

 その内容は詳細を極め、プーチン政権とトランプ陣営の間で定期的に情報交換がなされていたこと、ロシア側がクリントン陣営と民主党本部に大規模なサイバー攻撃を仕掛けたこと、トランプ氏の側近がプラハでロシア側と外交と安全保障にかかわる極秘の事前交渉を重ねていたといったことを具体的に明らかにしています。

 その一方で、プーチン政権はトランプ氏の弱みを握ることにも力を注いでいた、としています。トランプ氏がモスクワを訪れてリッツ・カールトンホテルに宿泊した際、オバマ大統領夫妻が利用したのと同じスイートルームを予約し、この部屋に複数の売春婦を招き入れて目の前で「ゴールデン・シャワー」と称するオシッコ・プレーをさせた、といったことまで把握し、記録していたというのです。ホテルも売春婦もロシア連邦保安庁(FSB)の支配下にあり、「必要な時には脅しの材料として使える」というわけです。

 この文書の内容が報じられた翌11日の記者会見で、トランプ氏はCNNを「インチキニュース fake news」と罵り、バズフィードを「ぶざまなゴミの山 failing pile of garbage」と切り捨て、文書の内容を事実上、全否定しました。会見場にいたCNNの記者は何度も「私たちを攻撃するなら質問の機会を与えてほしい」と要請しましたが、トランプ氏が彼を指さすことはありませんでした。そして、文書の内容を報じなかったメディアを褒めたたえたのです。

 これに応えるかのように、バズフィードとCNNの報道について、ニューヨーク・タイムズの編集主幹は「われわれは自信を持って出せない内容を公表したりはしない」とコメントし、ワシントン・ポストの幹部は「メディア全体の信用が低下している中、悪影響を及ぼす」と懸念を表明しました(14日の朝日新聞記事)。「良識ある態度」のように見えますが、私はどちらの説明にも納得できません。

 この極秘文書の存在は、昨年の夏には一部の政治家や報道関係者の間で知られていたといいます。情報の内容からいって、報道機関が裏付けを取るのは極めて難しい代物です。が、CIAやFBIといった情報機関なら、その真偽の見極めは困難ではないでしょう。彼らは、必死になってその検証を試みたはずです。そして、調べた結果、現職と次の大統領に報告するに値すると判断したからこそ、情報機関の長官4人が顔をそろえて要約版を付けて報告したのです。

 ならば、大統領と次期大統領に報告したという事実を報道することのどこがおかしいのか。彼らが手にした重要な文書を主権者である国民が共有できるようにすることのどこがおかしいのか。権力者たちが「秘密にしておきたい」と考える代物を、報道機関が「裏付けできないので自分たちも内密に」と同調するのは、ジャーナリストとしての判断と責任の放棄ではないか。

 今回の事態は、米英がテロ対策の名の下にインターネットや有線・無線通信といったあらゆる分野で情報を収集している問題をスノーデンが暴露した時と同じ構図です。既存のメディアはその内容を知りながら権力者におもねり、沈黙し続けました。だからこそ、スノーデンは既存のメディアではなく、ウェブで発信しているジャーナリストに全情報を提供するに至ったのです。スノーデン事件は「メディアの主役が新聞やテレビからウェブに移行しつつあること」を鮮やかに示しました。今回のトランプ極秘文書報道は、それに次ぐ象徴的な出来事になるでしょう。

 この極秘文書は怪文書の類とは質的に異なります。調査の資金を提供したのは共和党主流派とクリントン陣営とされています。請け負ったのは民間の調査会社で、担当者も判明しています。ロイター通信によれば、英国の情報機関MI6や英外務省で働いた経験のあるクリストファー・スティールという人物です。ロシア通の諜報のプロです。文書を読めば、「だからこそ、これだけ迫力のある報告書をまとめることができたのだ」と納得がいきます。文書では、プーチン大統領がこのような工作に手を染めるのは「理念より国益に軸足を置いた19世紀型のグレートパワー政治を信奉しているから」と分析しています。時代錯誤の危険な政治家、との見立てです。

 不勉強で私は「バズフィード BuzzFeed」というメディアを知りませんでした。2006年にジョナ・ペレッティ氏によって設立されたベンチャーメディアで、2015年には「バズフィード・ジャパン」という日本法人を作り、2016年1月から日本語版の配信も始めています。日本語版の編集長は元朝日新聞記者の古田大輔氏と知りました。

 トランプ氏に「ゴミの山」と罵倒されたバズフィードのベン・スミス編集長は、極秘文書の全文公開に踏み切った後、次のようなコメントを発表しました。「この決断はジャーナリズムにおける透明性を担保し、持っている情報は読者に提供するという前提に基づいています。私たちの選択に賛成されない方もいると思います。しかし、この調査文書の公開は、2017年における記者の仕事とは何か、ということに関するバズフィードの考えを反映したものです」

 まともな考え方だ、と私は思います。取材の手法と報道のあり方は時代と共に変わる。変わらなければ、時代に置き去りにされ、やがて消えていくしかない。



≪参考サイト≫
◎ウェブメディア「バズフィード」の日本語版サイトに掲載された極秘文書の記事
https://www.buzzfeed.com/bfjapannews/these-reports-allege-trump-has-deep-ties-to-russia-2?utm_term=.dfLdKde2Gd#.asV6O6LAW6
◎極秘文書の全文(英語)
https://www.documentcloud.org/documents/3259984-Trump-Intelligence-Allegations.html
◎「バズフィード」の米国版サイト(英語)
https://www.buzzfeed.com/?country=en-us
◎米国版サイトの極秘文書に関する記事(英語)
https://www.buzzfeed.com/kenbensinger/these-reports-allege-trump-has-deep-ties-to-russia?utm_term=.qb3Q2QoyjQ#.bnwy6yB4ey
◎「バズフィード」の会社概要(日本語版ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%BA%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%89
◎「バズフィード」の会社概要(英語版ウィキペディア)
https://en.wikipedia.org/wiki/BuzzFeed


≪写真説明とSource≫
◎11日の記者会見時のトランプ次期大統領
https://www.buzzfeed.com/bfjapannews/these-reports-allege-trump-has-deep-ties-to-russia-2?utm_term=.nsr0d09rW0#.bwGp3p06Mp




*メールマガジン「風切通信 19」 2016年11月10日

 後世の歴史家は、ヒラリー・クリントン氏が敗れ、ドナルド・トランプ氏が勝った今回のアメリカ大統領選挙をどのように位置づけるのでしょうか。幾人かは「長かったアメリカの世紀が終わったことを世界に向けて告げた選挙」と記すのではないか。

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 メディアの多くは「大方の予想を覆してトランプ氏が勝利した」と伝えました。けれども、この表現には違和感を覚えます。確かに、米国内ではニューヨーク・タイムズをはじめとする多くの新聞が「クリントン支持」を打ち出し、各種の世論調査でも「クリントン優位」という結果が出ていました。が、世論調査での両候補の支持率の差はごくわずかでした。その差1ポイント台というのもありました。

 新聞記者時代に実際に何度か世論調査を担当した経験で言えば、1?2ポイントの差は「誤差の範囲内」です。それは「情勢は混沌としていて判断不能」と言うしかない調査結果です。もともと、投票箱を開けてみなければ何とも言えない情勢だったのであり、今回の場合、「予想を覆して」という決まり文句を使うのは適切ではない。そういう表現を使う記者の胸には「私たちメディアの期待に反して」という思いが潜んでいるのではないか。

 トランプ氏の主要な支持者は「アメリカ社会のエスタブリッシュメント(既得権層)に強い不満を抱く低所得の白人層」とされています。彼らにとって、ニューヨーク・タイムズなど主要なメディアは「既得権層」そのものであり、「世論調査などクソくらえ」と思って胸の内を明かさない有権者も多かったのではないか。トランプ氏が勝ったのは、そうした心理が強く働いたことを示唆しています。

 トランプ氏が大統領になったら、どんな政治をするのか。私も心配です。日本や韓国がアメリカの「核の傘」で守られていることを批判し、日韓の核保有まで容認するかのような発言を聞くと、「とんでもない人物がトップになってしまった」と思います。が、同時に「アメリカ国内にはトランプ氏のように考えている人がたくさんいるのだ」という現実をあらためて突きつけられた気もします。

 未来に希望があれば、人は理想や夢を追い求めます。希望が見えず、不満の種をためこめば、どうなるか。「昔は良かった」と思い出に浸り、古き良き時代を壊したものを攻撃することで溜飲を下げようとします。彼らは「アメリカの世紀が終わった」ことを認めたくないのです。トランプ氏は「再び偉大なアメリカに」というスローガンを掲げて、彼らの不満をすくい取ることに成功しました。しかし、歴史は冷厳です。「偉大なアメリカ」が同じような形で戻ってくることは決してないのです。

 20世紀は「戦争と革命の世紀」であり、「アメリカの世紀」でした。それまで「世界の覇者」として君臨していた大英帝国は、第一次世界大戦で疲労困憊し、第二次世界大戦で破産寸前に追い込まれました。戦後、英国は戦争中に発行した公債の返済に追われ、広大な植民地も次々に独立し、失いました。大英帝国の栄華が戻ってくることはありませんでした。

 アメリカはどちらの大戦でも、真珠湾や植民地フィリピンが戦火にさらされたことを除けば、国土が戦場になることはありませんでした。戦後、サウジアラビアをはじめとする湾岸諸国で石油利権を手にしたのもアメリカでした。政治経済や軍事、科学技術で頂点に立ち、莫大な富が流れ込みました。冷戦時代、まさに「西側の雄」でした。1991年にソ連が崩壊し、冷戦が終わった後は「唯一の超大国」と称されました。このころが栄華のピークと言っていいでしょう。

 栄えれば滅びの芽が育ち始めるのは世の常です。敗戦国の日本とドイツが灰の中から立ち上がり、「もの作り」でアメリカの優位を脅かす。産油国は石油輸出国機構(OPEC)を結成して利権の独占を阻む。中国やインドの台頭も「唯一の超大国」の地位を揺るがし始めました。「慣性の法則」が働きますので、アメリカの優位はもうしばらく続くでしょうが、元の立場に戻ることは考えられません。

 時に小さな逆流や揺り戻しが起きることはあっても、大きな歴史の流れを押しとどめることは誰にもできません。トランプ氏の勝利は、そうした「小さな逆流」の一つでしょう。ただ、アメリカという国家は巨大なので、歴史的に見れば「小さな逆流」ではあっても、日本を含め多くの国には「大きな衝撃波」となって跳ね返ってくるかもしれません。

 21世紀はどんな世紀になるのか。予測は困難ですが、少なくとも「アメリカの世紀」と呼ばれることはないでしょう。多極化、分極化が進むのは避けられません。今はただ、それが流血と戦争に至ることがないように、調整と和解の新しいシステムがつくりだされることを願うしかありません。単に願うだけではなく、そのためにできることを自分の持ち場でコツコツと積み重ねるしかありません。歴史は、より自由で、より公平で、より透明な世界に向かって進んでいる、と信じて。


≪参考文献≫
◎『覇者の驕(おご)り』(上、下)(デイビッド・ハルバースタム、日本放送出版協会)
◎『石油の世紀』(上、下)(ダニエル・ヤーギン、日本放送出版協会)
◎『東西逆転』(クライド・プレストウィッツ、NHK出版)
◎『アメリカ 多数派なき未来』(浅海保、NTT出版)

≪写真説明とSource≫
◎大統領選で当選を決め、ガッツポーズをするトランプ氏=ロイター・共同
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201611/CK2016111002000130.html




*メールマガジン「風切通信 18」 2016年11月7日

 絵画も陶磁器も、素人の私には正直言ってその価値や良さはよく分かりません。ただ、眺めるのは好きで、時折、強く惹きつけられ、心を揺さぶられることがあります。3年前、鹿児島県の薩摩焼の窯元(かまもと)、十五代沈壽官(ちん・じゅかん)さんの作品に初めて接した時もそうでした。象牙細工のような繊細な陶磁器を見て、「なんて美しく優雅なのだろう」と感じ入りました。

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 この時に沈壽官さんから、薩摩焼の歴史についてもお聞きしました。16世紀末、豊臣秀吉が朝鮮半島に2度にわたって出兵した際、諸藩の武将は撤収時に朝鮮半島の陶工や木綿職人、測量技師といった人たちを一種の戦利品として多数、日本に連れ帰りました。その数は5万人とも言われ、彼の先祖もその一人だったのです。彼らは先進技術を持つ者として厚く遇され、陶工たちは各地で窯を立ち上げました。薩摩焼だけでなく、有田焼や加賀焼、萩焼もこの時代に始まったとのことでした。

 その沈壽官さんがこの秋、盛岡市の百貨店「川徳」で個展を開くというので、盛岡を訪ねました。10月25日まで開かれた個展は大変なにぎわいで、ギャラリートークの際には椅子が足りなくなり、主催者側があわてて追加していました。彼のトークがまた味わい深かった。韓国にルーツを持ち、日本に根を下ろして生きてきた者として、沈壽官さんは両国の文化について、こんな話をしました。

「韓国の古い陶磁器としては、高麗時代の青磁があります。ところが、14世紀末に李氏朝鮮が成立すると、それまでの青磁は打ち捨てられ、以後は白磁一色になりました。それまでのものを否定して、新しいものを創っていく。否定と創造の文化です。日本はまるで異なります。自然災害から逃れられない社会だからでしょうか。日本人の心には無常観が染み込んでいます。そして、連綿として受け継いできたものを大切にして、それをより良いものにしていく。諦観と継承の文化と言っていいのではないでしょうか」

 興味深い文化論でした。そして、これと重なるような話を私の故郷、山形県朝日町のリンゴ農園経営者、崔鍾八(ちぇ・じょんぱる)さんから聞いたことを思い出しました。崔さんは、2018年に冬季五輪が開かれる韓国・平昌(ピョンチャン)生まれの46歳。23歳の時に日本に留学し、仙台の農業短期大学で学んでいる時に朝日町の「清野りんご園」の跡取り娘と知り合って結婚、リンゴ栽培専業の共同経営者として暮らしています。

 崔さんはカヌーが趣味で、私が主宰する地域おこしのNPO「ブナの森」のメンバーです。毎年夏に最上川の急流をカヌーで下るイベントを開催しており、その準備のために一緒に河川敷の草刈りをしたりしています。そうした作業をしながら、いろいろな話をするのですが、ある時、崔さんから韓国の言語事情について、こんな話を聞きました。

「韓国では漢字をほとんど教えていない。義務教育を終えた段階だと、自分の名前を漢字でやっと書ける程度です。それではいけない、と思ったのは日本に来てからです。例えば、学期末の試験のことを韓国語で『キマル・ゴサ』と言います。私は、ハングルで書かれたものを『音』として覚えて使っていましたが、日本に来て、それが『期末考査』のことだと初めて知りました。こうした日本語由来の言葉が韓国にはたくさんある。なのに、漢字を教えないので、そもそもの意味が分からないまま使っている。だから、言葉に深みがないのです」

 日本も韓国も、大昔に中国の漢字を導入して長い間使ってきました。日本はその漢字を崩して平仮名と片仮名を生み出しましたが、漢字もそのまま使い続けました。一方の韓国は、15世紀に漢字とは関係なく「ハングル文字」を生み出し、その後、歴史的な経緯もあって漢字を締め出して今日に至っています。現在の両国の言語状況もまた「否定と創造」、「諦観と継承」の一例のように思えてきます。

 歴代政権のトップが追いつめられ、断罪される韓国。一時は野に下ったものの自民党が息を吹き返し、権力を握り続ける日本。これも「否定と創造」、「諦観と継承」の一例かもしれません。


≪参考サイト≫
◎薩摩焼・十五代沈壽官の公式サイト
http://www.chin-jukan.co.jp/
◎清野りんご園(山形県朝日町)の公式サイト
http://www.47club.jp/07M-000037sre

≪写真説明とSource≫
◎十五代沈壽官の薩摩籠目総透筒型香爐
http://www.chin-jukan.co.jp/museumPreview.php?num=32&TB_iframe=true&width=520&height=500




*メールマガジン「風切通信 17」 2016年10月24日

 アメリカは厄介な問題をたくさん抱えている国です。傲慢さに腹が立つこともあります。けれども、米国発のこういう記事を読むと、「活力にあふれた、実に面白い国だ。この世界を良くするために闘う気概にあふれている」とあらためて感じます。

 「ヤクザ・オリンピック」と銘打った記事が米国のウェブ情報サイト「デイリー・ビースト」に掲載されたのは2014年2月8日(米東部時間)のことでした。ロシアのソチで冬季五輪が開催されているさなか、森喜朗・元首相がその直前に東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長に選出されたタイミングをとらえて、気鋭のジャーナリストが放ったスクープです。それは次のような書き出しで始まります。

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「米財務省は2012年9月、日本で2番目に大きい暴力団住吉会とその会長、福田晴瞭(はれあき)氏ら幹部に制裁措置を課した。これによって、米国内の彼らの資産は凍結され、米国の企業や団体は彼らと取引できなくなる。福田氏とその仲間は米国政府のブラックリストに載せられたが、日本オリンピック委員会(JOC)は彼らを『歓迎されざる団体』とは見ていないようだ。写真や文書、住吉会関係者の証言、警察筋によると、JOCの田中英壽(ひでとし)副会長は住吉会の福田会長とかつて昵懇の間柄(good friends)にあった。田中氏は日本最大の暴力団山口組や他の暴力団のメンバーとも交友がある」

「田中氏に加えて、森喜朗・元首相もヤクザと付き合いがあったとメディアで報じられている。彼は1月24日に東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長に就任した。警察筋は、この2人がヤクザと過去にどのくらい関わりがあったのか、現在どの程度のつながりがあるのかを調べている、と語った。安倍晋三首相は誘致の際、2020年東京五輪はクリーンで犯罪と無縁の大会になると約束したが、書籍や雑誌、ゲームソフトでのヤクザの人気ぶりを考えると、そのようなイメージは持てない。東京五輪は『ヤクザ・オリンピック』として、多くの観光客を惹きつけることになるのではないか」

 JOC副会長の田中英壽氏は日本大学の理事長です。日大相撲部の選手として学生横綱になり、相撲部の監督、日大常務理事を経て理事長に上り詰めました。1998年、福田晴瞭氏が住吉会の二代目会長を襲名し、ホテルニューオータニで襲名披露のパーティーを開いた際、田中氏はその祝いに駆けつけ、一緒に写真に収まっています。スポーツ界からの暴力追放をうたうJOCは、暴力団の会長襲名披露宴に出席するような人物を副会長に据えているのです。もう一人の森喜朗氏も暴力団との付き合いが長い。暴力団稲川会の会長らが主賓の結婚式に出席して来賓としてあいさつしていたことや大阪で暴力団の幹部と酒を酌み交わしていたことが週刊誌で報じられています。

 米国発の記事は、こうした日本国内での報道を警察関係者への取材で裏付けし、田中英壽氏と森喜朗氏の暴力団との付き合いが長くて深いものであることを明らかにしています。そして、東京五輪では開催に向けて巨額の公共事業が行われること、暴力団にとって土木建設工事は大きなビジネスチャンスであること、入札をめぐる情報をいち早く入手するために暴力団がJOCや五輪組織委とのコネを必要としていることを指摘しています。今日の東京五輪の競技会場建設をめぐる騒動や築地市場の豊洲移転をめぐる疑惑を見通していたかのような、鋭い記事です。

 この記事を書いたジェイク・エーデルスタイン記者は米国ミズーリ州の出身です。19歳で来日し、上智大学で日本文学を専攻した後、読売新聞に外国人初の記者として採用されました。社会部に所属し、日本の暴力団を徹底的に取材した記者です。山口組系の後藤忠政組長が米国で肝臓移植手術をするためFBIと取引していることをスッパ抜こうとして後藤組に察知され、家族ともども脅されたため読売新聞を退社して帰国した、と別の記事で明らかにしています。米国に拠点を移して、日本の裏社会を追い続けているのです。

 記事を掲載した「デイリー・ビースト」というウェブ情報サイトも面白い。直訳すれば「野獣日報」。編集長のモットーは「われわれはスクープとスキャンダル、秘められた物語を追う。ごろつきや頑固者、偽善者に立ち向かうことを愛する」。米国内で「ベストニュースサイト賞」を2度受賞しているだけのことはあります。

 当時、日本のメディアはこの記事を黙殺しました。転電したのは日刊ゲンダイだけだった、ということを前々回のコラムで紹介した『2020年東京五輪の黒いカネ』(宝島社)で知りました。こういう記事が出ると、「そんな裏の事情など知っていた。だけど、書けない事情があるんだ」とうそぶく記者がいます。立花隆氏が『文藝春秋』で田中角栄首相の金脈と人脈を暴露した時にそうであったように。しかし、書かない記者、書かれない記事には何の価値もありません。半ば周知の事実ではあっても、それをきちんと調べ、的確に書くことは大変なエネルギーと勇気を要することです。

 この記事が優れているのは、政治家とゼネコン、暴力団というトライアングルが持つもう一つの意味を暗示しているところにあります。政治家が一番恐れるのは、談合にかかわったり、入札情報を流したりしたことが発覚し、捜査の対象になって政治生命が危うくなることです。どんなに揉まれていても、ゼネコンの幹部や社員は堅気のサラリーマンです。検察官の前に引きずり出されて尋問されれば、動揺してしゃべってしまう恐れがあります。が、互いに暴力団を経由して情報をやり取りすればどうか。

 暴力団はもともと「法の支配」など気にしていません。検察官など怖くはありません。刑務所に行くことも厭いません。むしろ、箔が付くくらいです。情報を暴力団経由で流すことで発覚のリスクは格段に小さくなります。暴力団と付き合う政治家はそのメリットを十分に承知しているのです。暴力団が手に入れた資金を「マネーロンダリング」できれいにしようとするように、政治家は入手した事業計画や入札価格を暴力団経由でゼネコンに流して「情報ロンダリング」をしてきたのでしょう。

 森喜朗・元首相や石原慎太郎・元都知事といった面々はその効用をよく知っているからこそ、ゼネコンと暴力団の両方と付き合い、社会の表と裏を巧みに泳いできたと考えられます。このまま逃げ切れるか、それとも棺の蓋が閉まる前に悪事の数々が白日の下にさらされるのか。今回の騒動は伏魔殿・東京の改革などという枠を越えて、日本の政治や司法の成熟度、社会そのものの成熟度が試される機会となるのではないか。


≪参考サイト&文献≫
◎デイリー・ビーストの記事「ヤクザ・オリンピック」(英文)
http://www.thedailybeast.com/articles/2014/02/07/the-yakuza-olympics.html
◎ウィキペディア「福田晴瞭・住吉会会長」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E6%99%B4%E7%9E%AD
◎日本大学の公式サイトにある田中英壽理事長のプロフィール
http://www.nihon-u.ac.jp/history/successive/chairman_12.php
◎英語版ウィキペディア「The Daily Beast」
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Daily_Beast
◎The Daily Beast の公式サイト(英文)
http://www.thedailybeast.com/
◎日本語版ウィキペディア「ジェイク・エーデルスタイン」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3
◎『2020年東京五輪の黒いカネ』(一ノ宮美成+グループ・K21、宝島社)


≪写真説明とSource≫
◎暴力団住吉会の福田晴瞭会長(右)の襲名披露パーティーに出席した田中英壽氏(左、現在はJOC副会長、日大理事長)
http://urashakai.blogspot.jp/2015/07/blog-post_22.html





*メールマガジン「風切通信 16」 2016年10月18日

 新潟県の知事選挙で野党3党の推薦を受けた米山隆一氏(医師、弁護士)が、自民党と公明党が推薦した森民夫氏(前長岡市長)を破って当選しました。米山氏の立候補表明は告示の6日前。一方の森氏は自民、公明の推薦に加えて連合新潟の支持も得て、早くから事実上の選挙戦を展開していました。各政党のいわゆる「基礎票」だけをみれば、誰がみても「森氏の楽勝」のはずでした。

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 選挙結果は、そうした事前の予想を覆しました。何が起きたのか。新聞各社が投票直後に実施した出口調査をみれば、それは明らかです。新潟県の柏崎刈羽(かりわ)原発の再稼働には有権者の6割が反対しています。普段、自民と公明を支持している有権者のかなりの部分が再稼働に反対する米山氏に投票したのです。「政党の基礎票をもとに考える」という従来の政治手法、選挙分析そのものが「大きなテーマ」が争点になった場合には役に立たないということを示しています。

 当選後に米山氏が発したメッセージは実に明快でした。彼は「原発再稼働に関しては、皆さんの命と暮らしを守れない現状で認めることはできない」と明言したのです。新潟県知事選は、原発の再稼働の是非という問題を越えて、実は「私たちの命と暮らしをどう守り、これからどのような道を切り開いていくのか」というより大きなテーマが問われた選挙だったのではないか。

 新聞各紙は「柏崎刈羽原発の再稼働が遠のけば、東京電力の経営再建が危うくなり、日本のエネルギー政策そのものが揺らぐ」といった解説記事を載せました。もちろん、そうしたことも重要なことですが、世の中には経済の効率や発電のコストよりもっと重要なことがあります。それは「私たちはどのような社会、どのような未来を望むのか」ということです。

 原子力発電について、政府与党も経済産業省も電力各社もずっと「日本では炉心溶融のような過酷事故はあり得ない」と言ってきました。「だから、広域の避難計画は必要ない」と主張してきました。そうした説明はすべて虚偽でした。しかも、そのように説明してきたことを心から謝罪し、進むべき道を根本から考え直そうとする政治家、官僚、経済人はほとんどいません。

 福島の原発事故の検証もまともにせず、放射性廃棄物をどう処理するかの目途も立たないのに、原発の再稼働と輸出にしゃかりきになる政治家、官僚、財界人。誰も責任を取ろうとしない。誰も改めようとしない。そんな政治でいいのか。そんな社会でいいのか。新潟県の有権者は「いいわけがない」という強烈なメッセージを発した、と言うべきでしょう。

 メディアは、日本のエネルギー政策や電力供給、経済全体への影響という面からの分析に力を入れがちです。もちろんそれも必要ですが、一人ひとりの心の在り様、未来への眼差しは実はもっと「大きなテーマ」なのではないか。それを的確に伝える記事が少なかったことに寂しさを感じたのは私だけでしょうか。

 心に浮かぶのは福島県の飯舘(いいたて)村の光景です。私が初めてこの村を訪れたのは2007年の晩秋のことでした。日本の町や村に残る伝統や文化に触れ、その魅力をあらためて見出すことを目指す「日本再発見塾」がこの村で開かれると知り、参加しました。飯舘は阿武隈山系の高原に広がる人口6000人ほどの小さな村ですが、高原の地形と気候を活かして畜産や野菜・花卉(かき)の栽培に取り組む元気な村でした。

 1989年に「一番きつい立場にある嫁を海外旅行に送り出す」という試みを始めた村としても知られています。「若妻の翼」と名付けられたこの事業は、稲刈りの準備が始まる初秋に行われました。「若い女性たちがどれだけ大きな役割を果たしているか。一番忙しい時期に送り出すことで分かってほしかった」と、当時の村長は語っています。19人がヨーロッパに旅立ち、その体験を綴った『天翔けた19妻の田舎もん』は、地域おこしに取り組む人々を大いに勇気づけました。

 5年前の福島原発事故で放射能に汚染され、この村が全村避難に追い込まれたことはご承知の通りです。苦しい中で、村民が力を合わせて取り組んできた様々な試みはすべて吹き飛ばされてしまいました。日本再発見塾に参加した時、私が宿泊させていただいた藤井富男さんの家族も住み慣れた土地を追われ、福島市のアパートで避難生活を始めました。事故の翌年、人影が消えた飯舘村を歩き、その帰りに藤井さんの避難先を訪ねました。「畑に出られなくなって、父ちゃんは元気ないです」と嘆いていました。

 原発事故は数万、数十万の人たちに藤井さんの家族と同じ苦しみを与え、今も与え続けています。それは避難に伴う補償金をいくら積もうと、償えるものではありません。福島から多くの避難者を受け入れ、支えてきた近隣の宮城や山形、新潟の人たちはその悲しみを肌で知り、一人ひとりが「原発って何なんだろう」とずっと考えてきたのです。その思いは、安全な東京で机に座って「エネルギー政策はどうあるべきか」とか「発電コストはどのくらいか」などと頭をひねっている政治家や官僚より、もっと切実なのです。

 せつないのは、この国にはそうした思いを受けとめる政党が見当たらないことです。自民党や公明党は現世利益にしがみつき、そっぽを向いています。民進党は今回の新潟県知事選で自主投票という名の「逃亡」をしました。終盤にドタバタと、蓮舫代表が米山氏の応援に駆けつけても「逃亡」の烙印は消せません。「大きなテーマ」に出くわすたびに、この政党はバラバラになって逃げ出してしまうのです。

 米山氏を推薦した3党はどうか。共産主義の実現を目指す政党に私たちの未来を託すことができるでしょうか。自由党? 代表の小沢一郎氏は東日本大震災と福島の原発事故で人々が苦しんでいる時に、被災地を訪ねるどころか東京から逃げ出す算段をしていた政治家です。社民党は「過去の政党」。私たちの思いを掬い取ってくれる政党はどこにも見当たりません。多くの人が深い悲しみをもって、投票所に足を運んだのではないか。


≪参考文献&サイト≫
◎ウィキペディア「米山隆一」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%B1%B1%E9%9A%86%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)
◎米山隆一氏の公式サイト
http://www.yoneyamaryuichi.com/profile.html
◎『飯舘村は負けない』(千葉悦子、松野光伸、岩波新書)
◎「日本再発見塾」の公式サイト
http://www.e-janaika.com/index.html

≪写真説明とSource≫
◎新潟県知事選で当選した米山隆一氏
http://togetter.com/li/1037751



*メールマガジン「風切通信 15」 2016年10月15日
   
 石原慎太郎・元東京都知事の三男、石原宏高(ひろたか)代議士とは一度だけ、一緒に食卓を囲んだことがあります。昔の取材ノートを繰ってみると、2006年5月29日のパワーブレックファストの席でした。「忙しい人が昼もしくは夜に時間を取るのは難しい。朝なら集まりやすい」というので流行った朝の食事会でのことです。

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 主賓は、来日したフィリピンのデヴェネシア下院議長。当時、私はアジア担当の論説委員をしており、フィリピンの政情に詳しいジャーナリスト、若宮清氏に誘われて参加したのでした。会場はデヴェネシア氏が滞在していたホテルニューオータニの一室。6人ほどでテーブルを囲んだ記憶があります。この朝食会に宏高代議士も同席していました。

 話題の中心はフィリピンの内政で、英語での懇談でした。宏高氏は政治家になる前、日本興業銀行のニューヨーク支店やバンコク支店で勤務していますので、英語での会話にも不自由しなかったはずですが、終始寡黙でほとんど発言しませんでした。食事の前後に記した取材メモにも「昭和39年6月19日生まれ、41歳。東京3区選出の衆議院議員。石原慎太郎の3男坊」などの略歴以外、何も記述がありません。

 それでもこの会食のことを覚えていたのは、宏高代議士がずっとオドオドしていたからです。かすかながら、目には怯(おび)えのようなものがありました。気楽な朝食の席なのに、なんでそんな目をしているのか。当時は「父親の石原慎太郎氏が立ち上げた新銀行東京がらみで、苦労しているのかな」くらいに考えていました。けれども、最近明らかになった東京都をめぐる様々な疑惑を調べていくうちに、その怯えの一端が分かったような気がしました。彼が足を踏み入れた東京の闇はとてつもなく深く、暗いものだったのではないか。

 石原宏高代議士をめぐるスキャンダルで一番有名なのは「森伊蔵疑惑」です。彼は2005年9月11日投開票の総選挙で初当選しました。その直後、9月14日の夜に銀座の老舗料亭、吉兆でその当選祝いの会が開かれました。呼びかけ人は、三重県の中堅ゼネコン水谷建設のオーナーで「平成の政商」として知られる水谷功氏です。祝いの会には宏高代議士に加えて父親の石原慎太郎氏も招かれ、富豪の糸山英太郎氏も同席しています。この時に鹿児島の芋焼酎「森伊蔵」の箱に詰めて2000万円の祝い金が手渡された、とされる疑惑です。これは資金を提供した関係者の間でゴタゴタがあって表面化したものの、証言が食い違ったこともあってうやむやのまま蓋をされてしまいました。

 宏高氏の選挙区は東京3区です。品川区と大田区の一部、小笠原諸島などが地盤で、昔ながらの町工場が多いところです。石原慎太郎都知事の主導で2005年4月に新銀行東京が設立されるや、宏高氏の選挙区にある中小企業からは融資の申し込みが殺到し、どさくさの中で詐欺師や暴力団関係者も新銀行東京の金に群がりました。森伊蔵の箱が手渡された頃、新銀行東京はすでに「金のむしり取り合戦の場」になっており、宏高氏は困惑と混乱の中にあったと思われます。

 宏高氏は「選挙が弱い」ことで知られています。そういう政治家には「折り目正しいスポンサー」は付かないものです。有象無象が集まってきます。宏高氏の選挙を支えたグループ、大手パチスロメーカー「ユニバーサルエンターテインメント(UE)」もそうしたスポンサーの一つです。2009年の総選挙で宏高氏が落選すると、UEは彼の妻が代表を務める会社に毎月100万円のコンサルタント料を払って、落選中の活動と生活を支えました。

 UEの創業者、岡田和生氏は高額納税者日本一になったこともある大富豪です。日本国内でのビジネスに加えて、フィリピンで巨大なカジノリゾートの建設を進めており、石原慎太郎・宏高親子が2010年6月にマニラを訪問した際には、石原親子に先立ってマニラに入り、訪問の地ならしをしています。石原親子は日本でのカジノ解禁を熱心に唱えており、持ちつ持たれつの関係にあったことを示しています。

 一ノ宮美成氏ら関西在住ジャーナリストの共著『2020年東京五輪の黒いカネ』によると、このフィリピンでのカジノリゾート計画をめぐって、UEの岡田氏はカジノライセンスの取得がらみで4000万ドルをフィリピンに送金し、そのうちの1000万ドル(約10億円)を日本に還流させたことが明らかになっています。そして、その金は日本での政界工作に使われ、一部は石原慎太郎氏に流れた疑いがある、というのです(p204)。与野党の政治家が「日本でのカジノ解禁」に熱を上げる裏ではそうした工作が行われており、石原親子もその渦にドップリと漬かっていたということです。

 築地市場の豊洲移転や東京五輪がらみの大規模な公共事業をめぐって、日本の政治家や企業が黒幕や暴力団まで巻き込んで、どのような利権争奪戦を繰り広げているのか。前掲書には、日本オリンピック委員会の竹田恒和会長(旧皇族竹田家の出身)や皇族と旧皇族でつくる親睦団体「菊栄親睦会」の存在、この親睦会を支えるゼネコンの鹿島、日本生命、裏千家、和歌山県の世耕一族(世耕弘成参議院議員の一族)の思惑、彼らを取り巻く右翼団体の人脈も紹介されていて、その叙述は迫力満点です(p47)。

 東京都知事の交代によって、蓋をされていた「東京の闇」に少しずつ光が当てられ、患部の摘出が始まろうとしています。親の七光りを浴びて若くして代議士になった宏高氏は、当選した直後から、こうした東京の深い闇の中に叩き込まれ、身悶えしていたのではないか。怯えたようなあの目はその苦しみを映し出していた、と今にして思うのです。


≪参考文献&サイト≫
◎『2020年東京五輪の黒いカネ』(一ノ宮美成+グループ・K21、宝島社)
◎石原宏高代議士の公式サイト
http://www.ishihara-hirotaka.com/
◎ウィキペディア「水谷建設」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E8%B0%B7%E5%BB%BA%E8%A8%AD
◎ユニバーサルエンターテインメントの公式サイト
http://www.universal-777.com/corporate/
◎英紙フィナンシャル・タイムスの電子版記事「日本のパチンコ王がフィリピンでのカジノ建設に挑戦」(2016年6月11日)
https://courrier.jp/news/archives/53985/
◎日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長のプロフィール(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E7%94%B0%E6%81%86%E5%92%8C
◎ウィキペディア「菊栄親睦会」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%A0%84%E8%A6%AA%E7%9D%A6%E4%BC%9A


≪写真説明とSource≫
◎石原宏高代議士
http://www.t-hamano.com/cgi/topics2/topics.cgi







*メールマガジン「風切通信 14」 2016年10月7日

 いつ、誰が豊洲新市場の建物の下に盛り土をしないと決めたのか。小池百合子・東京都知事は先週、都職員による自己検証報告書を発表し、責任者を「ピンポイントで指し示すのは難しい」と述べました。なぜ難しいのか。実は、それを決めたのは当時の石原慎太郎都知事とその取り巻きであり、都庁の幹部や職員は決定の理由と背景を知らされていなかったからではないのか。今週発売の週刊誌『サンデー毎日』がその内実を詳しく報じています。

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 『サンデー毎日』のトップ記事「豊洲疑惑の核心! 石原都政の大罪」は、都庁幹部やOBに取材し、「盛り土の設計変更を言い出したのは、石原慎太郎都知事を支えていたメンバーです」との重要な証言を引き出しています。なぜ、設計の変更が必要になったのか。その背景にあったのは、石原氏が立ち上げた新銀行東京の経営破綻だったというのです。

 新銀行東京は、石原氏が「金融機関の貸し渋りに苦しむ中小企業を救済する」と唱えて立ち上げた「官製銀行」です。東京都が1000億円を出資して2005年4月に発足しました。当初から、「バブルの崩壊後、景気が低迷して既存の銀行ですら苦しんでいるのに、役人がつくる銀行がうまくやっていけるわけがない」との批判が噴出しました。が、石原氏は「東京から金融改革を果たす」と反対論を押し切りました。

 石原氏の政策と発言はいつも威勢がいい。けれども、誠実さと慎重さを欠くので、しばしば破綻する。新銀行東京も発足から3年で不良債権の山を抱えることになりました。経営不振の企業や詐欺師まがいの輩が国会議員や都議の口利きで次々に融資を申し込み、踏み倒したからです。これで軌道修正するなら救いがありますが、石原氏はさらに400億円もの追加出資をして傷口を広げ、厳しい批判にさらされました。

 土壌汚染を解決するため、豊洲新市場の予定地全体に盛り土をしなければならないとの専門家会議の提言が出されたのはこの頃です。費用はまたもや1000億円余り。盛り土工事をそのまま実行したら、都政への逆風は強まり、ダメージは計り知れない。そこで、都知事とその取り巻きで「設計の変更による経費の削減」へと突き進んでいった、と記事は伝えています。

 たとえ都知事からそうした指示が出されたとしても、「食の安全を損なうような設計の変更はすべきでない」と進言するのが都庁幹部の役割でしょう。ですが、石原都政の下でそのような進言をすることは即、更迭を意味していました。トップも側近も強面ぞろい。「金満自治体」の東京都にそうした気骨のある幹部を求める方が無理でした。都議会与党の自民党と公明党は一蓮托生の関係、野党民主党の一部もすり寄り、議会はチェック機能を果たせませんでした。

 せめて、「設計を変更して主な建物の下には盛り土はしない」と正直に発表していれば、救いようもありました。ところが、当時の政治情勢がそれを許さなかった。2007年の参院選で民主党が大勝し、2009年の都議選と総選挙でも自民党は大敗しました。「盛り土をしない」などと発表しようものなら、築地市場の移転に反対していた陣営が勢いづき、市場の移転計画そのものが頓挫してしまう。知事と周辺はそれを恐れて「盛り土せず」を覆い隠してしまった――というのが『サンデー毎日』の報道です。

 見出しの謳い文句に偽りはなく、文字通り「疑惑の核心をつく」優れた記事ですが、実はこの週刊誌が発売される数日前に、私は山形県立図書館で偶然、築地市場の移転や新銀行東京の問題をえぐった本に出くわしました。『黒い都知事 石原慎太郎』(宝島社)という本です。東日本大震災の直前、2011年1月の出版。執筆したのは、関西を拠点とする一ノ宮美成(よしなり)氏とグループ・K21というジャーナリスト集団です。

 この本は、羽田空港の沖合拡張工事をめぐる黒い利権疑惑から説き起こし、石原慎太郎氏と大手ゼネコン鹿島(かじま)のつながり、鹿島と指定暴力団・住吉会との関係を詳述した後、石原氏がなぜ「築地市場の豊洲への移転」に固執したのかを大きな文脈の中で活写しています。鈴木俊一都知事時代に始まった臨海副都心開発の失敗で、東京都は8000億円もの借金を抱え、臨海開発の事業会計は大赤字に陥っていた。築地市場を豊洲に移転し、都心の一等地であるその跡地を民間に売却すれば赤字を一挙に解消できる。それで移転に固執した、というのです。

 東京五輪の誘致も同じような動機とされています。オリンピックを起爆剤にして各種スポーツ施設や環状2号線の建設を進め、臨海副都心の開発を軌道に乗せて東京再生へとつなげる、という発想です。かつて田中角栄首相が唱えた「日本列島改造」の東京版ともいうべき構想。それを経済が右肩下がりになった時代に無理やり推し進め、政治家やゼネコンが利権漁りに躍起になったことが、今日の豊洲市場や東京五輪をめぐるスキャンダルにつながっている、というわけです。

 大言壮語の裏で利権漁りに走り回り、疑惑が表面化するや逃げ回る。そのような政治家が国会議員として肩で風を切り、東京都知事として13年間も君臨していたのかと思うと、怒りより情けなさが募ります。石原慎太郎氏の公式サイト「宣戦布告」に、彼が政界を引退した際の挨拶文が載っています。

「見回して見ると世界の中で今の日本ほど危うい立ち位置におかれている国はないような気がしてなりません。(中略)他力本願で贅沢を当たり前のこととするような心の甘えを払拭していかないとこの国は立っていけないのではないでしょうか」(2014年12月)

 盗人猛々(たけだけ)しい、とはこういう時に使う言葉でしょう。



≪参考記事、文献、URL≫
◎週刊誌『サンデー毎日』10月16日号の記事「豊洲疑惑の核心! 石原都政の大罪」
◎『黒い都知事 石原慎太郎』(一ノ宮美成+グループ・K21、宝島社)
◎石原慎太郎公式サイト「宣戦布告」
http://www.sensenfukoku.net/

≪写真説明とSource≫
◎石原慎太郎氏(2007年2月6日)
http://www.huffingtonpost.jp/2013/09/23/sakaicity-ishihara-yaji_n_3979408.html



*メールマガジン「風切通信 13」 2016年9月30日
  
 大阪府と大阪市による二重行政の無駄と非効率を批判して「大阪都構想」を推し進めた橋下徹氏は、その言動から判断して「保守の政治家」に分類していいでしょう。東京の改革を訴えて都知事選に勝ち、築地市場の移転と東京五輪開催費用の検証に乗り出した小池百合子氏はもともと自民党の代議士ですから、間違いなく保守の政治家です。

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 東京と大阪。日本の核ともいうべき二つの大都市の改革がいずれも保守政治家の手で推し進められつつあるのは、今の日本の政治状況を端的に表しています。この国の変革を牽引するのは、かつて「革新」と呼ばれた政治勢力ではなく、保守の指導者だということです。皮肉なめぐり合わせのように思えますが、過去半世紀の歩みを振り返ってみれば、当然の帰結だったような気もします。

 かつての「革新陣営」の主体は、社会党と共産党でした。平和と護憲の旗印を掲げ、自民党の政権運営を「大企業中心」と批判し、働く者のための政治を訴えてきました。国際情勢や国家の安全保障は二の次、三の次。市場経済の厳しさと激しさも意に介さず、自民党と大企業の批判を繰り返していれば済んだのです。社会党の土井たか子委員長(1986ー1991年)が北朝鮮の日本人拉致について、「社会主義の国がそんなことをするはずがない。拉致は創作された事件」と断言したのは象徴的な出来事でした。

 1970年代に学生生活を送った私は、キャンパスで共産主義に触れ、マルクスや毛沢東の著作を熟読した人間の一人です。新聞記者になってからも「革新陣営の応援団」のような気分で取材していました。それが徐々に変わっていったのは、社会の現実に触れ、選挙取材で生身の政治家に触れるようになってからです。自民党には、清廉な政治家はほとんどいない。言うことにも理路整然としたところはない。けれども、懐の深い人が多く、何よりも「人々の心の襞(ひだ)」をよく理解していると感じました。人間として魅力を覚える人もいました。

 一方、革新陣営の政治家はどうだったか。その主張は自分の考えに重なるものでした。訴えていることも、もっともらしい。ですが、どこか虚ろで、深さが感じられない。人間味も足りない。何よりも、この国の政治を担い、社会を変えていくという気概が感じられませんでした。労働組合や左翼的な人たちが主な支持層で、それを越えて共感を広げていくことができませんでした。「恵まれない人々のための政治」を唱えながら、本当に苦しんでいる人たちに寄り添うことが十分にできなかった、と言ったら言い過ぎでしょうか。

 インドやアフガニスタンで取材を重ねたことも、「政治とは何か」を考えるうえで貴重な体験でした。カースト差別に打ちのめされ、宗教の違いを理由に暴虐の限りを尽くされる人々に出会って思ったのは「日本はなんて牧歌的な、恵まれた社会なんだろう」ということでした。民族と部族、宗教と宗派で分断され、いつまでも戦い続けるアフガンの人々からは「生き抜くことの厳しさ」を教えられたような気がします。抜け目なく考え、振る舞わなければ生きていけない社会でした。

 1995年にインドから帰国してみると、日本では政党の再編が花盛り。自民党と社会党の五五年体制は崩れ、合従連衡が始まっていました。名前を覚えきれないほどの政党の乱立と消滅。2009年の民主党政権の誕生はその一つの帰結とも言えるものでした。この時に民主党が掲げた「コンクリートから人へ」というスローガンは、日本の社会が向かうべき方向をある意味、的確に示していたのではないか。

 惜しむらくは、その政権を担う政治家たちに「1億2000万人の国家」を率いる責任の重さへの自覚がまるでなく、変革を推し進める覚悟も欠落していたことでした。大規模な公共事業の見直しは腰砕け。事業仕分けをつかさどった蓮舫氏は「2番じゃダメなんですか」と子どもじみた妄言を吐く始末。東日本大震災という未曽有の災害に襲われ、危機管理能力のなさを完膚なきまでに露呈してしまったのは不運でもあった、と言うべきかもしれません。

 実際に政権を担うことで、変革を唱えてきた政治家たちの力量と本性が露わになり、その政治勢力は瓦解してしまいました。民進党と名前を変えてみても、体質は変わりようがないでしょう。息も絶え絶えだった自民党は勢いを取り戻し、今や「一強多弱」の様相。あれだけの原発事故を経験しながら教訓とすることもなく、なお原発の再稼働と輸出をもくろむ政治家と政治は「羅針盤が壊れてしまった船とその操舵手」と言うしかありません。それに乗り合わせた恐ろしさ。日本は進むべき道から大きく外れ、厄災への道を静かに歩んでいる、と感じます。

 もはや「保守と革新」という区分けは意味がない。海図なき航海をしなければならない今という時代に、イデオロギーなど何の役にも立ちません。私たちは、進むべき道からどれほど外れてしまったのか。未来にどんな厄災が待っているのか。まず、それをしっかりと見つめなければなりません。そして、覚悟をもって患部に切り込まなければなりません。

 小池都知事は、東京五輪の準備作業や築地市場の移転問題になぜ、あのように果敢に挑むことができるのか。それは、東京選出の自民党代議士として、東京を舞台にして蠢く政治家や経済人の動きをつぶさに見て、その実態と闇の深さを知っているからでしょう。森喜朗・元首相や内田茂都議らがその闇の奥で何をしていたのか。石原慎太郎・元都知事が息子の伸晃代議士や宏高代議士かわいさから、どのように泥にまみれていったのか。詳細はともかく、その輪郭を知っているからこそ、「勝機がある」とみたのではないか。

 一人の政治家がその政治生命をかけて、東京の闇の切開手術に踏み切ったのです。心あるジャーナリストなら、その患部を照らし出す仕事をしてみてはどうか。まだ志を捨てていない検察官がいるなら、闇に蠢く人間たちを裁きの場に引きずり出す算段をしてみてはどうか。



≪写真説明とSource≫
◎東京五輪組織委員会の森喜朗会長
http://cyclestyle.net/article/2015/12/18/31004.html




*メールマガジン「風切通信 12」 2016年9月16日

 中国の有名な故事に「人間万事、塞翁(さいおう)が馬」というのがあります。何が幸運をもたらし、何が災いを招くのか、人知の及ぶところではないという教えです。舛添要一・前都知事の政治資金のせこい使い方に端を発した東京都のスキャンダルは、舛添氏の辞任から都知事選、選挙での自民党の分裂と小池百合子氏の圧勝という結果をもたらしました。

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 その過程で、東京都を牛耳る「都議会のドン」内田茂都議の醜聞や内田氏と昵懇の間柄にある森喜朗・元首相の役割を炙り出し、2020年東京五輪をめぐる利権疑惑や豊洲新市場への移転をめぐる不可解な経緯が次々に暴露されるに至りました。すべては、政治資金を使って千葉・木更津の温泉リゾートに家族旅行に行くような「舛添氏のせこさ」が引き金になって表沙汰になったものです。納税者にとっては、まさに「万事、塞翁が馬」であり、ここは舛添氏に「ありがとう」と言ってもいい場面ではないでしょうか。

 疑惑追及の焦点は、招致活動時の予算7300億円が2兆円を超えるまでに膨れ上がった東京五輪の開催準備費用と、首都圏の台所「築地市場」の豊洲移転問題の二つに絞られてきました。そして、築地市場の豊洲移転は環状2号線の建設工事と密接不可分の関係にあります。この道路は築地市場を貫いて造られ、東京五輪の選手村と主な競技場を結ぶ幹線道路になる予定で、なんとしても市場を豊洲に移転させなければならないのです。つまり、二つの疑惑は「東京五輪の開催準備」という問題に収斂していくのです。

 週刊文春9月1日号によれば、環状2号線の「虎の門ー豊洲間 5キロ」の総事業費は4000億円と推定され、1キロ800億円もの血税が投じられる超贅沢道路です。その工事を受注した中堅ゼネコンのナカノフドー建設(千代田区)や鹿島道路(文京区)はいずれも、内田茂都議が代表をつとめる政治資金団体に名誉会長が献金したり、幹部が内田氏の長女の結婚披露宴に出席したりする間柄、と報じられています。

 利幅の大きい公共工事を受注し、そのおこぼれのような金を政治家に届ける。政治家はそうした金をかき集めて権勢を振るう。昔ながらの利権構造が日本の首都、東京に温存されていることに驚きます。移転先の豊洲新市場の土壌汚染対策をめぐる「盛り土騒動」の背後にも、似たような構図が見え隠れしています。

 もとは東京ガスの製造工場跡地。そんな所に食品を扱う新市場を造るという構想そのものに無理があるのですが、ベンゼンなどの有害物質で汚染された土壌を削り取って盛り土をし、4.5メートルの厚さの土で封じ込める、というのが専門家会議の提言でした。が、専門家の見識など吹き飛ばされ、実際に工事をするゼネコン側の都合で設計図が引かれ、入札・落札されていった経過が徐々に明らかになりつつあります。

 醜悪きわまりないのが石原慎太郎・元東京都知事の言動です。なされるべき盛り土がなされず、建物の下に「謎の地下空間」があることが判明すると、石原氏はテレビのインタビューに「私はだまされた。(盛り土を)したことにして予算措置をしていた。都の役人は腐敗している」とまくしたてました。

 ところが、なんのことはない、石原氏本人が2008年5月10日の定例記者会見で「(盛り土より)もっと費用のかからない、効果の高い技術を模索したい」と口火を切り、「地下空間」づくりの地ならしをしていたことが分かりました。それどころか、石原氏は当時の東京都中央卸売市場の比留間(ひるま)英人・市場長に対して「こんな案(地下にコンクリートの箱を埋める案)がある。検討してみてくれ」と直接、指示していたことまで判明したのです(9月16日、東京新聞電子版)。

 こうしたことが明るみに出るや、石原氏はさらに「私は素人だからね。全部、下(都の職員)や専門家に任せていた。建築のいろはも知らないのに、そんなことを思い付くわけがない」と釈明し、「東京は伏魔殿だ」と言い放ちました。何という品性の持ち主であることか。東京都知事として13年間も、自らが伏魔殿の主であったことをすっかり忘れてしまったようです。この破廉恥さに比べれば、舛添氏の振る舞いなど、かわいらしく見えてきます。

 人間万事、塞翁が馬。この際、日本の首相や東京都の知事として権力を振るった政治家たちがどのような品性の持ち主なのか、可能な限り明らかにしてほしい。そして、私たちの悲しい首都、東京にたまった膿を切開手術で取り除き、もっとまともな街にして、2020年の祭典を迎えたい。



≪参考記事&サイト≫
◎週刊文春9月1日号の記事「都議会のドン内田茂と4000億円五輪道路」
◎日刊ゲンダイ電子版「豊洲新市場『盛り土案潰し』真犯人は石原元都知事だった」(9月15日)
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/189920/2
◎東京新聞電子版「コンクリ箱案 石原氏が検討指示」(9月16日)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016091690070606.html

≪写真説明とSource≫
◎豊洲新市場の「盛り土」問題で釈明する石原慎太郎氏(東京新聞電子版)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016091690070606.html



*メールマガジン「風切通信 11」 2016年8月25日

 マーケティングとは、顧客が本当に求めている商品やサービスを的確につかみ、それを効果的に提供すること。それに沿って考えれば、昨今、日本ではやりの「おもてなしの心」だけでは外国人観光客を呼び込むのは難しい。では、何が必要なのか。人は旅に出て、何に心を揺さぶられるのか。それをすくい取る知恵が求められている――。

 そんなことを思ったのは、日本を拠点に中国情報を発信しているジャーナリストの莫邦富(モー・バンフ)さんの話を聞いたからです。伊豆半島でのセミナーに一緒に参加した後、帰りのバスの中で、莫さんからこんな話を聞きました。

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「山梨県の観光アドバイザーとして甲府を訪ねたら、どこへ行っても武田信玄と風林火山の話ばかり。日本人にとっては馴染み深い人物と旗印なのでしょうが、中国人の観光客には興味が湧かない。それよりは、山梨側から見る『湖に映える富士山』の方がずっといい。静岡側からの見慣れた富士の姿とも違って、魅力的です。東京から近いことも利点。そこから『週末は山梨にいます』という新しいキャッチフレーズが生まれ、訪れる外国人観光客が大幅に増えたのです」

「高知県に招かれたら、今度はどこへ行っても坂本龍馬。桂浜に行けば、龍馬の銅像。はりまや橋でも龍馬・・・。でも、中国人はそもそも知らないんです、坂本龍馬という人物を。知らない人を何度も紹介されてもつらい。それより、桂浜から眺める雄大な太平洋こそ、中国の人に見せたい。中国大陸には、美しい砂浜の先に大海原が広がるこうした風景はほとんどないんです」

「高知県には『日本最後の清流』と言われる四万十(しまんと)川があります。この川も中国人観光客には興味が湧かない。黄土色した中国の大河に比べれば、日本の川はどこへ行ってもきれいで、あちこちに清流があります。わざわざ高知に行くまでもありません。それよりも、四万十川で獲れる『ツガニ』の方がずっと嬉しい。これは上海ガニの仲間。しかも天然です。日本の秘境で天然の上海ガニを食べる―――これなら、中国から観光客を呼ぶことができます」

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「足摺岬もいい観光スポットです。ただし、高知市からバスで3時間もかかって退屈する。『途中に立ち寄るところはないの』と聞いたら、四万十町に廃校を活用したフィギュアの博物館があるという。行ってみたら、山奥にすごい博物館があって、日本人観光客もわんさと押し寄せている。なんだ、あるじゃないの、とびっくりしました」

 この博物館は、模型や食品玩具の専門メーカー「海洋堂」(本社・大阪府門真市)が2011年にオープンさせた「海洋堂ホビー館四万十」です。フィギュアファンのみならず、模型好きにとっては「聖地」のような存在なのだとか。海洋堂の創業者が高知県出身という縁もあって建設されたようです。莫邦富さんは「中国でも農村の過疎は深刻な問題の一つです。そういうことに関心のある人にとっても、この博物館は興味深く、人気を集めるはず」と言います。

 中国からは毎年、かなりの数の観光客が来日しており、リピーターは「あまり知られていない日本」を知りたがっているようです。キーワードの一つは「秘境」。ただし、四万十川の例に見るように、日本人とは異なる視点が必要です。清流は魅力にならない。「ツガニ(上海ガニ)」や「ホビー館」のようなものが欲しい。いくつか組み合わせて、麻雀で言えば、役を二つも三つも付け加えるような工夫が必要です、と莫さんは言います。

 「秘境」ということなら、わが故郷の山形は断然、有利です。莫さんもすでに何度か来たことがあるそうで、「掘り起こせば、中国人観光客を惹きつけられそうな観光スポットがいくつも見つかりそうですね」と乗り気でした。ところが、私が「蔵王の樹氷なんかどうでしょう?」と水を向けると、莫さんは言下に「あれは駄目です」とのご託宣。「つらい体験を思い出すから」と言うのです。

 莫さんは、私と同じ1953年の生まれ。上海生まれの都会っ子です。この世代は文化大革命の真っただ中で青春を迎え、その嵐に翻弄された人たちです。文革中、都市部の若者を農村に送り込む、いわゆる「下放(かほう)運動」が大々的に展開されました。労農の団結という革命思想を叩き込むため、とされました。莫さんは中国東北部の黒竜江省の農村で若き日々を送ったのです。

 「あの厳しい寒さは忘れられない。氷点下の蔵王に樹氷を見に行く気には、とてもなれません」と、莫さんは言うのです。なるほど、外国から観光客を誘致するためには、そういう歴史にも目配りしなければならないのか。マーケティングと一口に言うけれど、やはりどの世界も奥が深く、難しい。



≪参考サイト≫
◎土佐のツガニについて(「旬どき・うまいもの自慢会・土佐」のサイト)
http://tosa-no-umaimono.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_57c9.html
◎四万十町のフィギュア博物館「海洋堂ホビー館四万十」
http://buzzap.jp/news/20150301-kaiyodo-hobby-kan-shimanto/
◎莫邦富さんの公式サイト
http://www.mo-office.jp/

≪写真説明とSource≫
◎四万十川でのシラスウナギ漁(「ファインド トラベル」のサイト)
http://find-travel.jp/article/38544
◎土佐のツガニ(札幌を刺激するウェブマガジン「sappoko」から)
http://sappoko.com/archives/18899





*メールマガジン「風切通信 10」 2016年8月14日

 最上川をカヌーで下る地域おこしを始めた時から、「いつか最上川の源流を訪ねてみたい」と思っていました。なかなか機会がなかったのですが、最上川の源流部に「秘湯中の秘湯」があると知り、思い切って車で行ってきました。福島県境に近い米沢市の大平(おおだいら)温泉というところです。

 この大平温泉には、宿は1軒しかありません。米沢の市街地を抜け、車で山道をたどって40分ほど。尾根に駐車場があり、そこに車を停めて、あとは徒歩で渓流に下りていきます。急な坂道を20分ほど歩くと吊り橋があり、その先に目指す「滝見屋」がありました。玄関先に掲げられた由緒書には「貞観2年(西暦860年)、清和天皇の御宇(ぎょう)に修行僧によって発見された」と記してありました。江戸時代には湯治客用の宿があったといいますから、とても古い温泉宿です。


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 雪深いところです。11月上旬から4月下旬までは雪に埋もれるので、営業できません。宿のスタッフの今井正良さんによると、4月の初めから再開の準備を始めるのですが、その時期でも積雪が2メートルほどあるそうです。雪の重みで吊り橋が壊れてしまう恐れがあるので、晩秋に吊り橋の床板を外しておくのだとか。厳冬期の積雪は5メートルを超えるでしょう。

 その吊り橋を覆うようにモミジの枝が伸びていました。なんと、8月の上旬というのに、その一部が早くも朱に染まっていました。8月の紅葉を見たのは生まれて初めてです。「日本で一番紅葉が早い」とされる北海道大雪山の温泉宿でも、色づき始めるのは9月上旬ですから、最初はわが目を疑いました。宿の標高は1000メートルほど。渓流を流れる冷たい水が木々の冬支度を早めているのかもしれません。

 宿には電線も電話線も来ていません。自家発電で明かりをとり、衛星電話で外部とつながっています。谷底なのでテレビの電波も届きません。宿の案内書には「快適さを求めるお客様にはほかの宿をお勧めしています」とあり、奥ゆかしい。滝と渓流を眺めながら湯量豊かな露天風呂につかり、ボーッとするには最適の宿です。だだし、渓流が大きな音を立てて流れていますので、寝つきの悪い人には不向きでしょう。

 「よくぞ、この宿を維持してきたものだ」というのが率直な感想です。女将の安部綾子さんにお聞きすると、やはり並大抵の苦労ではありません。秘湯と呼ばれる宿でも、たいていは玄関先まで車を付けることができるので、業者に注文すれば、食材も酒類も車で届けてくれるのですが、この宿は自力で買い出しをして運ぶしかありません。予約も米沢市内の本宅の電話で受け、宿には衛星電話か無線で伝えています。東日本大震災と原発事故の後は、「福島を通って行かなければならないので」と敬遠され、予約は半減したそうです。

 それでも続けてこられたのは、代々営んできた宿を大切にしたいという思いと、「支えてくださる方がたくさんいらっしゃるから」と、綾子女将は言います。地元の人たちがスタッフとして支え、常連客は「客が少なくて困ったら電話して。いつでも行くから」と言ってくれる。言うだけでなく、本当にやって来る。大平温泉は本当の秘湯です。本物には、やはり人を惹きつけてやまないものがあるのでしょう。

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 山道に薄紫色の花が咲いていました。宿の料理を作っている佐藤きよ子さんに尋ねると、「フジバカマ(藤袴)ですよ」と教えてくれました。源氏物語に登場する藤袴がこういう花だと、初めて知りました。山菜料理の腕を磨きながら、きよ子さんは山野草のことも学び続けているのです。訪ねた人の心が安らぎ、和らぐ、すがすがしい宿でした。

≪参考サイトと文献≫
◎大平温泉・滝見屋のサイト
http://takimiya.blogdehp.ne.jp/
◎「日本秘湯(ひとう)を守る会」のサイト
http://www.hitou.or.jp/
◎ガイドブック『日本の秘湯』(日本秘湯を守る会編)

≪写真説明とSource≫
◎吊り橋を覆うモミジの紅葉(8月9日、長岡昇撮影)
◎大平温泉の山道に咲いていたフジバカマ(同)




*メールマガジン「風切通信 9」 2016年8月11日

 リオ五輪のカヌースラローム競技で、羽根田卓也選手が銅メダルを獲得しました。日本人がカヌー競技でメダルを獲得するのは初めてです。カヌー選手だった父の指導で小学3年生からカヌーを始め、高校時代には早朝から自転車で川に通って練習、放課後にまた川に戻って夜遅くまで漕いだのだそうです。国内にいては世界で戦えないと、10年前にカヌー強豪国のスロバキアに渡って練習を続けたと報じられています。長い精進が実っての快挙です。

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 昨日(10日)、羽根田選手のメダル獲得のニュースに接して、「立派な成績だけれど、これで『だから日本にもカヌーの人工コースが必要なのだ』という記事が出るな」と思いました。今朝、朝日新聞を開くと、案の定、社会面に「主要な国際大会のほとんどが人工コースで行われるが、日本には本格的な人工コースがない」「東京五輪では、東京都江戸川区の臨海部に日本初の本格的な人工コースとなるスラローム会場が新設される」という関連記事が載っていました。記事は「メダルも大きな追い風になる」とのカヌー協会関係者の言葉で締めくくってありました。

 はあー、とため息が出ました。東京五輪組織委員会の面々はニンマリしていることでしょう。これで、金にあかせて東京に人工の急流コースを造る計画に弾みがつく、と。朝日新聞は読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞と4社で計60億円を払って、東京五輪のオフィシャルパートナーになりました。1社15億円ものお金を出してくれて、おまけに「公共事業の大盤振る舞い」のような競技場建設計画の後押しまでしてくれるのですから、笑いが止まらないでしょう。

 オリンピックを資金面で支援するオフィシャルパートナーは「1業種1スポンサー」が原則です。なのに、そうした原則などどこ吹く風。日頃の談合批判もどこへやら。オリンピックについては、4社仲良く手を組んで「御用新聞」になることに決めたのです。このことについて、日刊ゲンダイ(電子版)は1月29日に「大手新聞が公式スポンサーの異常」という記事を掲載し、「知らなければいけない不都合な情報や問題が隠され、報道されないという事態」になりかねない、と批判しました。

 朝日、読売、毎日、日経の4紙がスポーツ新聞に「きちんと監視役を果たせ」と説教される日が来ようとは・・・。東京に人工のカヌースラローム競技場を造ることの問題点を指摘するどころか、それを造らなければ世界の強豪と渡り合えない、と煽り立てる記事。こういうのを典型的な「提灯(ちょうちん)記事」と言うのでしょう。記事を書いた記者が善意で、純粋にスポーツの観点から書いているだけに、なおさら影響は大きく、罪も深いのです。

 日本の経済が上向きで資金が潤沢な時期なら、話は別です。が、いまや経済はずっと右肩下がり。医療や介護に回さなければならない予算は膨らむばかり。政府も自治体も借金まみれです。そういう時代に「金にあかせた五輪」など許されるはずがありません。できる限りコンパクトに、ただし、温かい心でもてなす五輪をめざす、という道もあるはずです。東京一極集中の是正も、今の日本の大きな課題の一つです。東京への人工カヌー競技場建設はその流れにも反します。

 こういう主張をすると、「それはカヌー競技を知らない者の戯言だ」と反論されるでしょう。世界大会やオリンピックのほとんどで、カヌースラローム競技は人工のコースで行われるのだ、人工コースがなければ選手の強化もできない、と。純粋にスポーツのことだけを考えるなら、それも一理あるのかもしれません。ですが、オリンピックはスポーツ大会であると同時に、「これからの世界はどうあるべきか」ということに思いを巡らせ、メッセージを発する祭典でもあるのです。

 急流がないなら人間が造ればいい。水が必要なら巨大な揚水ポンプで揚げればいい。それが欧米的な考え方で、スポーツの世界でも支配的なのかもしれません。けれども、日本がそれに同調する必要はどこにもありません。自然の中で、自然が許す範囲で生きていく。それこそ、日本やアジアの国々が育んできた考え方であり、生き方ではないのか。川がつくり出す自然の流れの中でカヌーの技を競えばいいではないか。ごく最近まで、ずっとそうしてきたのですから。

 百歩譲って、8月は渇水期で日本のどこにも適当な水量の渓流がないとするなら、人工のカヌースラローム競技場は東京以外に造るべきです。「すべて東京に」という考えにこだわった結果が今の東京一極集中と地方の疲弊をもたらしたのですから。2020年東京五輪の公式種目に追加されたサーフィンも東京以外で開催される予定です。狭い東京ですべてをまかなう必要など、どこにもないのです。

 朝日新聞が社会面で無邪気な提灯記事を書いているのに対して、読売新聞や毎日新聞が羽根田選手の歩みを中心に人間ドラマとしての報道に徹していたのも印象的でした。目を通した範囲では、「カヌースラロームの人工コース」に触れた記事を書いているのは共同通信くらいでした(日経新聞と山形新聞が掲載)。東京五輪をどういうオリンピックにしたいのか。どういう理念で4年に一度の祭典を照らしたいのか。リオ五輪の熱狂から覚めたら、そうした視点で東京五輪の計画と準備状況の問題点をえぐり出し、より良き祭典につながるような報道に接したい。


≪参考サイト≫
◎「4紙で60億円負担 大手新聞が東京五輪公式スポンサーの異常」(日刊ゲンダイ電子版)
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/174215
◎カヌースラローム競技場とスプリントカヌー競技場の整備計画(カヌーカヤックネットマガジンのサイトから)。この記事によれば、スプリントカヌー競技場の整備費は491億円、カヌースラローム競技場の整備費は73億円。
http://www.fochmag.com/kayak/index.php?itemid=1272

≪参考記事≫
◎8月11日付の朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞、産経新聞、山形新聞、河北新報(いずれも山形県で配達された版)

≪写真説明とSource≫
◎リオ五輪のカヌースラローム(男子カナディアンシングル)で銅メダルを獲得した羽根田卓也選手
http://www2.myjcom.jp/special/rio/news/story/0022021276.shtml




*メールマガジン「風切通信 8」 2016年8月6日

 郷里の山形に戻って間もなく、2010年に地元の人たちと地域おこしのNPOを立ち上げ、毎年7月の下旬に最上川をカヌーで下るイベントを開いています。日本三大急流の一つとされる最上川は変化に富み、カヌーを愛する人たちの間でとても人気があります。この夏も県内外から31人が集い、急流下りを楽しみました。

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最上川の急流を下るカヌーイストたち(山形県朝日町)

 このイベントに参加した首都圏在住の人たちから、都市伝説ならぬ都市怪談のような話を聞きました。2020年に開かれる東京オリンピックのために、東京の江戸川区にカヌーのスラロームコースを造る計画があるというのです。カヌーのスラローム競技は、300メートルほどの激流に旗門を設けてカヌーで下り、タイムを競うものです。スキーの回転のカヌー版のような競技です。仰天して調べてみたら、本当の話でした。

 東京都オリンピック・パラリンピック準備局のホームページに計画の概要が掲載されています。それによると、東京都立葛西臨海公園の隣にある都有地に水路を造り、国内で初めての人工的なカヌーのスラロームコースを整備する、となっています。上流に巨大な貯水池を建造し、大量の水を流して急流を造り、そこをカヌーで下る。流れ落ちた水は揚水ポンプでまた貯水池に戻す、という計画です。要するに、税金で東京に渓流を造ってカヌー競技を開催する、というわけです。

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福島県二本松市で開かれたカヌースラローム競技会(2013年5月)

 あきれました。東京オリンピックの開催を推進する人たちがどういう思考の持ち主かを象徴的に示しています。カヌーに限らず、ヨットやサーフィンは自然の中で行う競技です。実際、カヌーのスラローム競技は富山県の井田川や岐阜県の揖斐(いび)川、福島県の阿武隈川などで開かれています。ただし、水量が豊富でなければなりませんから、大会は雪解け水が流れる春先か秋雨の集まる時期に開かれるのが普通です。

 しかし、東京の中心部にはそうした川はありません。東京近郊の川を活用することも考えられますが、2020年東京五輪は7月下旬から8月上旬にかけての開催ですから、渇水期でカヌー競技はとても無理です。そこで「人工的に造ってしまえ」となったのでしょう。いったい、いくらかかるのか。組織委員会も東京都も試算を示していませんが、建設費は数十億円あるいは数百億円の規模になると見込まれます。

 建設だけでなく、維持管理も大変です。建設系シンクタンクを経営する橋爪慶介氏の試算によれば、カヌースラロームの競技をするとなると、少なくとも毎秒13トンの水量が必要で、その水を貯水池に揚水するための電気代だけで、年に60日動かすとして1億1300万円もかかります。これに施設維持のための人件費や管理費が加わります。橋爪氏が「恒久的な施設を造るべきではない。自然の中で開催すべきだ」と見直しを提言したのは当然でしょう。

 ですが、この提言に従えば、上記のような川の水量の問題があり、夏に自然の川でカヌースラローム競技を開催するのは困難になります。議論は、そもそも東京で夏にオリンピックを開催することには無理がある、という振り出しに戻ってしまうのです。熱中症が多発するような時期になぜ開くのか、と。では、開催時期を変更することは可能か。東京五輪の夏季開催を決めたのは、巨額の放映権料を支払う世界の(具体的には主にアメリカの)テレビ局の意向を踏まえたもの、とされています。とすれば、開催時期の変更は困難です。時期を変えれば、テレビ各社に莫大な違約金を払わなければならないからです。

 思えば、1964年の東京五輪の開催を担った人たちは、とてもまともな人たちでした。東京でスポーツ大会を開くなら、気候が良くて晴れも多い10月と素直に考え、粛々と準備を進めました。それが人々の記憶に残る見事な五輪大会となって結実したのです。それに引き換え、2020年東京五輪を担う人たちには、なんと胡散臭い人が多いことか。

 新国立競技場の建設計画をめぐるドタバタ劇。五輪エンブレムのデザイン盗用疑惑。いずれも誰かがきちんと責任を取らなければならないのに、みんなで逃げ回り、東京五輪組織委員会の会長、森喜朗・元首相(79)はどこ吹く風といった顔。「せこい」という日本語を世界に広めた舛添要一氏は都知事の座を追われましたが、森元首相の取り巻きとお友達はいまだに、組織委員会でとぐろを巻いています。

 その腐敗と腐臭のすさまじさをえぐり出して見せたのが週刊文春の特集記事です。8月4日号と8月11日・18日号には、森元首相と昵懇の間柄で都政と都議会を牛耳る内田茂・自民党東京都連幹事長(77)の行状が具体的なデータに基づいて暴露されています。東京都議会から組織委員会の理事として送り込まれた高島直樹・前都議会議長と川井重勇(しげお)議長は、2人とも内田都議の側近。都庁出身の組織委役員も内田氏の息がかかった人物。要するに、東京五輪の重要な話はすべて、「都議会のドン」と呼ばれる内田氏のところに集まる仕組みになっている、というのです。

 あまり表には立たず、金と人脈で物事を動かす人物を黒幕とかフィクサーと言います。普通、フィクサーは舞台の裏手に居るものですが、東京都庁と都議会の場合はなんと表舞台に立っていた、というわけです。これも驚くべきことです。東京もまた「一つの村」だったということか。メディアも検察もこうした事情は承知していたのでしょうが、怖くて手が出せなかったのでしょう。都知事選で内田氏ら自民党都連が担いだ増田寛也氏が大敗し、東京都の利権構造はガラガラと音を立てて壊れ始めています。

 週刊文春が報じた内田茂都議の政治資金をめぐる疑惑(事務所の家賃を家族が役員を務める会社に政治資金から支出していた疑い)や、内田氏が役員を務める「東光電気工事」という会社をめぐる疑惑(五輪関連の事業を不思議な経緯で落札した疑い)に徐々に光が当てられようとしています。検察もメディアも、権勢のピークにある人物は怖いが、水に落ちた権力者は怖くない。みんなで叩き始めるでしょう。司直の手がどこまで伸びるのか、注目されるところです。

 それにしても、東京五輪をめぐる招致と準備のプロセスを見ていると、第二次大戦末期にビルマからインドに攻め込んで多くの犠牲者を出した日本陸軍のインパール作戦を思い出します。「おかしい」と思っていても、トップが怖くて口にできない。ズルズルと引きずられているうちに、数万の将兵が屍をさらす結果になりました。その悪名高い作戦を指揮した牟田口廉也(むたぐち・れんや)第15軍司令官は戦後も生き延び、「あれは私のせいではなく、部下の無能のせいだ」と言い続けました。

 このままでは、東京五輪は「現代日本のインパール作戦」になってしまうのではないか。森喜朗・元首相はさしずめ、「平成の牟田口」か。準備が本格化する前に大掃除が必要です。小池百合子・新知事に期待するところ大ですが、週刊文春によれば、小池氏の周りに集まる人たちにも「はてなマーク」の人が多いのだとか。政治の世界は本当に難しい。

≪参考サイト≫
◎東京都オリンピック・パラリンピック準備局の公式サイト
http://www.2020games.metro.tokyo.jp/taikaijyunbi/taikai/2020/index.html
◎同サイトのカヌースラローム会場関係
http://www.2020games.metro.tokyo.jp/taikaijyunbi/taikai/kaijyou/kaijyou_15/index.html
◎東京2020大会開催基本計画
https://tokyo2020.jp/jp/games/plan/data/GFP-JP.pdf
◎カヌースラローム競技場計画の見直しを求める提言(橋爪慶介氏)
http://www.dexte-k.com/image/lobbying/lobbying(proposal_of_the_temporary_stadium).pdf
◎最上川カヌー川下りのイベントと記録
http://www.bunanomori.org/NucleusCMS_3.41Release/index.php?catid=9

≪写真説明とSource≫
◎最上川の急流を下るカヌーイストたち(7月30日、撮影・佐久間淳)
◎2013年5月に福島県二本松市で開かれた「あぶくま大会」のワンシーン
http://www.canoe.or.jp/album/ww2_sla3_japancup.html




*メールマガジン「風切通信 7」 2016年6月25日

 社会がさまざまな人によって構成されているように、新聞社もさまざまな記者や社員によって構成されています。読売新聞の記者が全員、渡邉恒雄主筆(90)に心酔しているわけではないように、朝日新聞の記者も全員が「朝日の社論」で統一されているわけではありません。英国の国民投票でEU(欧州連合)離脱が決まったことを報じた25日の朝日新聞を読むと、そのことがよく分かります。

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EU離脱派の集会で演説するジョンソン前ロンドン市長

 「これが朝日新聞の社論なのだろう」とすぐに分かるのは、1面のコラム「天声人語」でした。自分の家が独立国家だと妄想している男の姿を描いたSF作家、星新一の短編『マイ国家』から説き起こし、最後はチャーチル元首相の次の言葉で締めくくっています。「築き上げることは、多年にわたる長く骨の折れる仕事である。破壊することは、たった1日の思慮のない行為で足りる」

 その言わんとするところは明白です。英国がEUから離脱するとの選択は「思慮のない行為」であり、愚かな選択、ということです。欧州統合は「戦争のない欧州」を築き上げるという崇高な理念に基づく営みであり、その道から外れるような選択は危うい、と言いたいのでしょう。社会面はもっと率直で、情緒的です。「英国よ まさか」の見出し。前文には「日本国内では今後の暮らしへの影響に不安が広がった」とあります。「これはポピュリズムの勝利であり、偏狭なナショナリズムの台頭を示すものだ」と言いたいのでしょう。社説はそうした見方をこぎれいにまとめ、「内向き志向の連鎖を防げ」という見出しを掲げました。

「相変わらずのワンパターン。昔の歌を歌い続けているなぁ」というのが率直な読後感です。EU離脱=偏狭なナショナリズム=右翼の選択、というワンパターン。欧州を中心に起きている複雑極まりない世界の動きを理解するのには、何の役にも立たない思考です。これだけなら、新聞を即ゴミ箱に投げ込むところですが、救いがありました。「偏狭な社論」に与(くみ)しない、骨のある記者もいるからです。

 1面の左肩に掲載されたヨーロッパ総局長、梅原季哉(としや)の解説は骨太でとてもいい。欧州統合の理想が崇高なものであることは認めつつ、「だが、EU本部は選挙による審判を経ない形で各国の閣僚を経験したエリートらが牛耳っている。人々の手の届かない、そんな『遠い場所』で決められる政治は、強い反発を招いている」ときちんと書いているからです。ブリュッセル支局長として、EU官僚の実態をつぶさに見てきただけに、思いも深い。離脱派=民族主義=右翼と割り切れるような、そんな単純な事態ではないことをはっきりと書いています。

 梅原の解説を肉付けするように、ブリュッセルの吉田美智子は国際面の記事で、EU官僚3万人の実態をえぐり出しています。平均月給は75万円、局長クラスなら190万円。さらに、子供1人につき毎月4万3000円の手当が上乗せされ、所得税も免除される。役人の厚遇きわまれり、と言っていいでしょう。英国では多くの人が、東欧や中東から流れ込んだ移民に仕事を奪われ、苦しい生活を強いられています。治安にも不安が募ります。こうした人たちが「おかしい」と異議を申し立てるのを「愚かだ」の一言で済ませられるわけがないのです。左翼か右翼かといった物差しで測れる問題でもありません。

 戦争が起こらないような政治・経済体制をどうやって築いていくのか。同時に、東欧や中東、アフリカの人たちの苦境に手を差し伸べるためにはどうすればいいのか。その狭間で、英国だけでなく欧州の多くの人たちが煩悶しているのです。悩み抜いた末に1票を投じた人たちの選択の結果をワンパターンの思考で報じる記者を私は信用しません。共に悩み、苦しむ心があるならば、それが行間に滲み出るはずだからです。社論は社論として、新聞記者である前にまず一人の人間として、自分の信ずるところに忠実でありたい。

 日本の憲法改正についても、朝日新聞の記者たちの意見は昔から統一などされていません。ずっと、揺れ動いていました。私が論説委員室に在籍していた2001年から2007年ころは、護憲派、改憲派、中間派(日和見)がそれぞれ3分の1の状態だったと理解しています。私を含め、国際報道を担った記者には改憲派が多く、「戦後の長い歩みを踏まえて憲法を現実に沿った形に改めるのは自然なこと」と考えていました。編集担当の幹部や論説主幹は護憲派から出てくるので、社説は護憲一本やりでしたが、論説委員室では憲法に関する社説案を議論するたびに激論になっていました。

 安倍晋三首相や自民党が唱える憲法改正は、少し前の選挙スローガン「日本を、取り戻す。」に象徴されるように「古い日本は良かった」がベースにあり、私にはとても受け入れられません。けれども、護憲を唱える朝日新聞の社論も受け入れがたい。素直に読めば、自衛隊が違憲となるような条文をそのままにしておいていいはずがない、と考えるからです。後に続く人たちのためにも「未来に耐えうる憲法」に変革していく必要がある、と考えるのです。

 英国の有権者は苦しみながら、幅広い議論を積み重ねて、この結論に達しました。私たちの社会はそれに匹敵するような広く、深い議論をしているのか。世界経済と政治の地殻がギシギシと音を立てて軋み、変わろうとしている時代にふさわしい挑戦を試みているのか。苦しむ覚悟がなければ、私たちは時代に置き去りにされ、やがて忘れ去られてしまうでしょう。

 *山形県のわが家に配達される朝日新聞は「13版▲」という統合版です。夕刊はありません。

≪写真説明とSource≫
◎EU離脱派の集会で演説するジョンソン前ロンドン市長(ロイター=共同、東京新聞のニュースサイトから)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016062301000915.html





*メールマガジン「風切通信 6」 2016年6月23日

 政治はその国、その社会のありようを映し出す鏡であり、縮図だと言います。だとするなら、私たちの国は自信を失い、目標を定めることもできずに漂い続ける巨大な船なのか。参議院選挙の公示前日、21日に東京・日比谷の日本プレスセンターで開かれた党首討論会をテレビで見ながら、私はそんな惨めな気持ちになりました。

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 壇上に並んだのは、なんと九つもの政党の党首。政党と党首の名前を覚えるだけでも一苦労です。そのうち、政党の党首と呼ぶにふさわしい器量をそなえた政治家が果たして何人いるのか。こんなに多くては、そもそも討論会として成り立たない。案の定、質問は自民党の総裁である安倍晋三首相に集中し、党首討論会は安倍首相の「実績宣伝の場」と化してしまいました。

 2012年末に安倍首相が再登板して以来、低迷していた日本の株価は一時的に持ち直し、雇用情勢も改善されました。「経済を成長軌道に戻した」との主張は、それなりに説得力があるように見えます。けれども、日本の経済は成長軌道に戻ったと言えるのか。そもそも、経済を成長させることが最優先されるべき時代なのか。そういった根本的なことがあまり論じられていないのではないか。重要な指標とされる株価ですら、再び動きが怪しげになりつつあります。

 経済に疎い私ですら、安倍政権が打ち出した政策には「こんなことをして大丈夫なのか」と心配になります。日本政府の財政はだいぶ前から借金頼みで、大量の国債を発行していますが、安倍政権下で日本銀行はその国債の買い入れに踏み切りました。中央銀行である日銀が国債を買うことは長年、「タブー」とされてきたはずです。そのタブーを破ったのです。紙幣の発行権限を持つ日銀が国債を引き受け、支払いは紙幣を増刷してまかなう。それによって、意図的にインフレに持っていってデフレから脱却するのだ、と説明されました。

 けれども、タブーにはそれなりの理由があったはずです。日銀がそんなことをしたら、財政規律が保てなくなるから禁じ手とされていたはずです。「デフレ脱却のための異次元金融緩和」などという謳い文句で「財政規律」を放り出していいのか。「収入の範囲で金を使って暮らしていく」という規律を踏み外せば、待っているのは破産、というのは子どもでも分かる道理です。「自分たちの目の黒いうちは大丈夫。地獄の訪れはずっと先」と、政治家も官僚も高をくくっているのではないか。

 厚生年金と国民年金を運用している「年金積立金管理運用独立行政法人」が安倍政権になってから、株式での運用比率を倍増させたのも気になります。年金の積立金はもともと、安全性の高い国内債券を中心に運用してきました。東洋経済オンラインの解説記事によれば、2014年10月の資産構成は国内債券60%、国内株式12%、外国債券11%、外国株式12%でした。それを国内債券38%、国内株式23%、外国債券14%、外国株式23%と劇的に変えたのです。株価が上がれば、資産は増えますが、下がれば減ります。きわめて危うい運用です。

 年金積立金の運用変更は、国内の株価を吊り上げるため、と批判されています。これも、「取りあえず、景気が持ち直したと装うことができればいい」という態度の現れではないのか。「下々の者たちの積立金など、どうなろうと構いはしない」とうそぶく声が聞こえてきそうです。この運用変更は厚生年金と国民年金の積立金を対象にしたものです。議員年金や公務員の共済年金の積立金の運用は別途行っているとか。そちらの運用比率と資産構成もぜひ知りたいところです。

 憲法改正や安全保障の問題についても、安倍政権が推し進めようとすることには危惧の念を覚えます。けれども、「ならば民進党に期待できるのか」と切り返されると、「できないよね」と答えるしかありません。2009年からの民主党政権下で何があったのか。マニフェストにはきれいごとをたくさん並べたのにほとんど実行できず、2011年の東日本大震災では惨め極まりない姿をさらけ出しました。名前を民主党から民進党に変えてみたところで、その「甘ちゃん体質」と「寄り合い所帯ぶり」は変わりようがないでしょう。

 だったら共産党か。まさか。共産主義に基づく国づくりがどのようなものか。私たちはそれを嫌というほど見聞きしてきました。先進国で共産党と名乗る政党があるのは日本だけです。戦前、戦後のいきさつもあって生き延びてきた政党に未来を託すことなど、できるはずもありません。創価学会に無縁の身には公明党も遠い存在。「生活の党云々」を率いる小沢一郎氏は、福島原発事故が起きた時に被災地に行くどころか、東京から逃げ出す算段をしていたというから論外。社民党は「まだ居たの?」という感じ。あとの3党は失礼ながら割愛させていただきます。

 一つの選挙区から複数の議員を選ぶ中選挙区制から「1選挙区1議員」の小選挙区制に変えたのは、二大政党制を実現するためだったはずです。なのに、政党の数は昔より増え、党首討論会すら実質的に成り立たないような国になってしまった日本。民族も宗教も多様なアメリカやイギリスで二大政党制が機能し、政権交代が実現しているのに、民族も宗教も比較的均質な日本で、なぜこんなに政党が乱立するのか。外から見れば、「なんとも奇妙な国」と見えることでしょう。

 海を隔てたすぐそこに歴史的にも稀な「独裁国家」があり、核兵器と弾道ミサイルの開発に血道をあげているのに、まともな安全保障論議もなされない。安保関連法の問題を憲法との関連のみで論じるのは不毛です。憲法との整合性が図れないなら、憲法の改正も視野に入れて、現実を踏まえた安全保障の論議をすべきでしょう。選挙戦で経済政策や財政運営、安全保障問題がまともに語られない奇妙な国。なのに、選択肢だけはやたらにたくさんある、奇妙な選挙。ぼやいてみても、投票日は確実にやって来ます。取りあえずは「ひどさが一番少なそうな候補」に一票を投じるしかないのかもしれません。


≪参考サイト≫
◎ 東洋経済オンライン(「年金運用で巨額評価損」という不都合な真実)
http://toyokeizai.net/articles/-/113102
◎年金積立金管理運営独立行政法人の公式サイト
http://www.gpif.go.jp/gpif/mechanism.html

≪写真説明とSource≫
◎9党の党首討論会(毎日新聞の公式サイトから)
http://mainichi.jp/senkyo/articles/20160622/ddm/010/010/029000c




*メールマガジン「風切通信 5」 2016年6月7日

 キリスト教は異国の宗教である。唯一絶対の神を信じており、やおよろずの神々をあがめるわが国の精神風土に合わない。過激な信徒もいる――こんな理屈で警察が日本にいるキリスト教徒全員を監視の対象にしたら、大変な騒ぎになるでしょう。メディアも黙っていないはずです。ところが、これと似たことが起きているのに、日本ではほとんど騒がれることがありません。監視の対象がキリスト教徒ではなく、イスラム教徒だからです。

 2010年10月に警視庁公安部の国際テロ捜査に関する情報が大量に流出する事件が起きました。流出した文書にはテロ関連の捜査対象者の情報に加えて、テロとは何の関係もない在日イスラム教徒の情報(名前や生年月日、住所、旅券番号、出入りしているモスクの名前など)が含まれていました。それが流出したのです。流出した情報を『流出「公安テロ情報」全データ』と題して本にする出版社(第三書館)まで現れました。その結果、銀行口座が凍結されたり、インターネットのプロバイダー契約を解除されたりした人もいたといいます。

 とんでもない事件です。翌2011年5月に日本人と外国人のイスラム教徒17人が政府と東京都に計1億5400万円の損賠賠償を求める裁判を起こしたのは当然でしょう。裁判は東京地裁、東京高裁とも東京都に賠償責任があることを認め、最高裁判所も5月31日付で高裁の判断を支持する決定を下しました。東京都は被害者に9020万円支払うことになりました。が、問題なのは「すべてのイスラム教徒を対象とする警視庁の捜査は違法ではない」という地裁と高裁の判断がそのまま最高裁でも認められたことです。

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自由人権協会70周年プレシンポジウムの会場

 あきれました。「こうした情報収集は国際テロ防止のためやむを得ない」と裁判所が認めてしまったのです。なんという人権感覚、なんという時代認識であることか。イスラム過激派によるテロは日本にとっても深刻な脅威であり、捜査に全力を尽くすのは当然のことです。ですが、どんな捜査であっても、憲法と法律に基づいて行うのが法治国家というものです。ある特定の宗教の信者すべてを監視の対象とするような捜査が許されるはずはありません。それなのに、最高裁判所は「やむを得ない」とする下級審の判断を支持して判決を確定させてしまったのです。

 これは大ニュースです。メディアが「とんでもない判決が確定してしまった」と大騒ぎすべき事件です。なのに、日本の通信社も新聞も「ベタ記事」扱いで報じました。私は見逃してしまい、つい先日(6月4日)、東京で開かれた自由人権協会の70周年プレシンポジウムに参加して、井桁(いげた)大介弁護士からこの最高裁の決定を聞きました。決定の内容に仰天し、それにも増して、メディアがそれをベタ記事扱いしたことに驚いてしまいました。

 日本の憲法は第14条で「法の下の平等」をうたい、「人種や信条、性別などで差別されない」と規定しています。第20条では「信教の自由」を保障しています。宗教を理由に差別することは許されないのです。これらの規定が日本国民だけでなく、日本で暮らす外国人にも適用されることは言うまでもありません。「情報が流出して損害を受けたから賠償しなさい」と言って済む話ではないのです。

 自由人権協会によれば、アメリカでも同じように捜査機関がすべてのイスラム教徒を監視の対象にしていることが発覚して大問題になりました。9・11テロを経験し、さらなるテロにおびえる国です。捜査当局としては「あらゆる手段を駆使して次のテロを防ぐ」といきり立ったのでしょう。ところが、裁判でこれが「違法」として争われ、今年の1月17日に連邦控訴審で和解が成立しました。

 その内容は「ニューヨーク市警は今後、宗教や人種に着目したプロファイリング捜査はしない」「警察の内部に民間の監督官を入れ、人権侵害的な捜査についてチェックさせる」というものです。つまり、すべてのイスラム教徒を監視の対象にして一覧資料を作るようなことはしない、と約束したのです。テロの脅威と向き合わざるを得なくても、法治国家として人権保障の大原則をゆがめるわけにはいかない。捜査する側もそれを認めたということです。まっとうな判断、と言うべきでしょう。

 なのに、なぜ日本の裁判所では「当たり前の判断」が下せないのか。憲法判断に踏み込むのを避ける体質。警察を含む行政府のすることを追認する癖が染みついており、波風を立てるような判決を嫌がる――いくつか理由は考えられるのですが、要は日本という社会に「法とはいかにあるべきか」という根本的なことが根付いていない、ということなのではないでしょうか。

 明治の憲法はドイツの憲法の焼き直し。今の憲法は戦争で負けてアメリカに書いてもらったもの。私たちの国は一度も「悶え苦しみながら、みんなで憲法を練り上げる」という営みをしたことがありません。それがこういう時に滲み出てくる、ということなのかもしれません。メディアも右へ倣え。「畏れ多くも、最高裁判所が下した判断なのだから妥当なのだろう」と思い込む。それがいかに重大な憲法問題を孕んでいるかを考えないから、「ベタ記事扱い」になってしまうのです。

 イスラム過激派によるテロの脅威を過小評価するつもりはありません。日本国内でも起きる恐れは十分にあります。捜査当局は全力を尽くすべきだし、一市民としてそれに協力する心構えもあります。けれども、犯罪の捜査はしかるべき根拠に基づいて、テロを犯す疑いのある人物を対象にして行うのが鉄則です。モスク(イスラム礼拝所)に出入りする人たちを監視する必要も出てくるでしょう。が、その場合でも、出入りするすべての信徒の個人情報を調べ上げ、それを一覧リストにするようなことは許されないはずです。

 そうした捜査そのものが「イスラム教徒はすべて危険だ」という差別感を助長し、一人ひとりの人権を守るという法治国家の大原則を掘り崩すことになるからです。日本に住むイスラム教徒はごく少数です。けれども、彼らの人権を守ることを怠れば、それは自分たち自身の厄災となって跳ね返ってきます。ある特定の宗教を信じる人たちすべてを捜査の対象にする。そんなことは法治国家で許されることではありません。

 最高裁判所がどんな理屈をこねくり回そうと、おかしいものはおかしい。それを「おかしい」と指弾しないメディアは職務怠慢ではないか。このままでは、職を失う危険を冒してまで警視庁のファイルを暴露した、勇気ある内部告発者が浮かばれない。


≪参考サイト≫
◎警視庁のテロ情報流出事件に関する最高裁判所の判断(共同通信のニュースサイトから)
http://this.kiji.is/110662350981809661?c=39546741839462401
◎警視庁国際テロ捜査情報流出事件(ウィキペディアから)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%A6%E8%A6%96%E5%BA%81%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E3%83%86%E3%83%AD%E6%8D%9C%E6%9F%BB%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%B5%81%E5%87%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
◎アメリカのイスラム捜査事件の概要と和解内容(ムスリム違法捜査弁護団のサイトから)
http://k-bengodan.jugem.jp/?eid=56
◎日本国憲法第14条、第20条(政府の公式サイト「電子政府」から)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html


≪写真説明とSource≫
◎ 自由人権協会70周年プレシンポジウム。シンポジウムでは、米英政府による広範な個人情報収集活動を告発したエドワード・スノーデン氏がネット回線を通して講演した(6月4日、東大本郷キャンパス福武ホール。長岡遼子撮影)



*メールマガジン「風切通信 4」 2016年5月29日

 「71年前の、雲一つない晴れ渡った朝、死が空から舞い降り、世界を変えてしまいました」。バラク・オバマ大統領は広島での演説をそう切り出しました。「なぜ、私たちはここ広島に来るのか。私たちは、そう遠くない過去に解き放たれた恐ろしい力に思いを馳せるためここに来るのです」と言葉を継ぎ、広島への原爆投下で亡くなった10万人以上の日本人に加えて、広島にいて命を落とした数千人の朝鮮人と十数人の米国人捕虜を悼みました。

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 心のこもった優れた演説でした。歴史への深い洞察と未来への希望を感じさせる演説でした。アメリカでは大統領だけでなく著名な政治家も、作家やジャーナリストをスピーチライターとして抱えて演説の草稿を書いてもらうのが一般的なようですが、最後にその草稿に自分の思いも十分に織り込んだのではないか、と思わせる内容でした。

「私たちは悪事をなす人間の力を根絶することはできないかもしれません。だから、国家や同盟は自衛する手段を持たなければなりません。しかし、わが国をはじめ核兵器を持つ国々は、恐怖の論理から抜け出して核なき世界をめざす勇気を持たなければなりません。私の生きている間には、この目標は実現できないかもしれません。しかし、たゆまぬ努力によって破局が起きる可能性を押し戻すことはできるし、蓄積された核兵器の廃絶に至る道筋を描くことはできるはずです」

 オバマ大統領の広島演説を聞いて、かつてイスラエルのシモン・ペレス首相(当時)が口にした言葉を思い出しました。1995年12月6日に広島で開かれた国際会議「希望の未来」。ペレス首相はエルサレムの首相官邸からインターネット回線を通してこの会議に参加し、こう言ったのです。「問題は武器ではなく、政治システムだ。最も危険なのは、邪悪な運動と核兵器が結び付くこと。独裁や腐敗した政府に信を置くことはできない。全体が民主的な体制にならない限り、核兵器のない世界にたどり着けると考えるのは妄想だ。未来の世界にとっての真の保障は民主的なシステムだ」

 この国際会議は朝日新聞社と米国のウィーゼル財団が共催したもので、私は担当記者の一人としてこの演説を聞き、記事を書きました。最初、私は「核廃絶は幻想だ」と書いたのですが、英語が堪能な同僚から「いや、 disillusion(幻想、幻滅)ではなく、delusion(妄想)と言っている。そのまま書くべきだ」と指摘され、発言を確認したうえで手直ししたのを覚えています。淡々とした口調ながら断固とした表現で、強烈な記憶として残りました。ペレス首相の言葉は国際政治の冷徹な現実を映し出したものでした。

 現実を率直に語るのは、政治家のなすべきことの一つです。米英仏やロシア、中国に加えてイスラエルやインド、パキスタン、北朝鮮が核兵器を保有していることを考えれば、核廃絶を唱えるのは、彼の言う通り、限りなく「妄想」に近いのかもしれません。しかし、それでも、現実だけでなく、理想と夢を語るのも政治家の大切な仕事の一つです。オバマ大統領の言葉もまた重いし、胸に刻みたいと思うのです。

 たとえ妄想に近いものであっても、核廃絶をめざす勇気を持ちたい。私だけでなく、多くの人が勇気と妄想のはざまで揺れ動きつつ、世界の行く末を思っているのではないでしょうか。こういう時、心の支えにする言葉があります。南アフリカで白人政権のアパルトヘイト(人種隔離)政策と闘い、長い投獄を経て政権を奪取し、黒人と白人が共存する道を切り拓いたネルソン・マンデラ氏の言葉です。彼は、自伝『自由への長い道』(東江一紀訳)の最後にこう記しました。

 「あらゆる人間の心の奥底には、慈悲と寛容がある。肌の色や育ちや信仰のちがう他人を、憎むように生まれついた人間などいない。人は憎むことを学ぶのだ。そして、憎むことが学べるのなら、愛することだって学べるだろう」


(*オバマ演説は長岡昇訳、マンデラ自伝は東江一紀訳)


≪参考サイト、文献≫
◎バラク・オバマ大統領の広島演説全文(日本語、朝日新聞のウェブサイトから)
http://www.asahi.com/articles/ASJ5W4TKRJ5WUHBI01N.html
◎バラク・オバマ大統領の広島演説全文(英語、朝日新聞のウェブサイトから)
http://www.asahi.com/ajw/articles/AJ201605270097.html
◎ネルソン・マンデラ著『自由への長い道』(上下、東江一紀訳、NHK出版)

≪写真説明とSource≫
◎広島で演説するバラク・オバマ大統領
http://nikkidoku.exblog.jp/25273980




*メールマガジン「風切通信 3」 2016年5月23日

 山村の実家で年金生活を始めた私の目下の課題は「生活力の向上」です。新聞記者として30年余り生き、その後、小学校と大学で働きましたが、炊事、洗濯、掃除のノウハウをほとんど知りません。かみさんに基礎から教えてもらっていますが、「こんなこともできないの」と冷ややかに言われる毎日。かみさんは山形市の実家で母親(92歳)の世話をするかたわら、毎週、私の生活を支援するため山奥の家まで来てくれます。「これじゃあ家事手伝いとも言えないので、家事見習いね」とのご託宣。悔しくても、言い返せません。

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 農村で生まれ育ったのに、草花や木々のこともほとんど分かりません。それではうるおいに欠けるので、前回のコラムでも書きましたが、庭先に咲いている花の名前を調べることから始めました。古い人間なので植物図鑑や山野草のハンドブックに頼る。が、本をめくってもなかなか分かりません。インターネットのサイト「みんなの花図鑑」や「四季の山野草」の方がずっと頼りになることを知りました。

 「みんなの花図鑑」はNTTグループが運営しているサイトです。2010年秋に3億円を出資してリニューアルし、3000種以上の花のデータを収めています。登録利用者は現在、1万8000人余り。このサイトに花の写真を投稿して「名前を教えてください」とお願いすると、早い時には数分で次々に回答が寄せられます。

 庭の片隅に、白い可憐な花が咲いていました。草丈10数センチ、花径3センチほど。根元から細長い葉をいくつも出しています。図鑑で調べて「ホソバノアマナ(細葉の甘菜)」ではないかと見当をつけたのですが、「みんなの花図鑑」に投稿した写真に寄せられた回答は「オオアマナ(大甘菜)」と「タイリンオオアマナ(大輪大甘菜)」の二つでした。この二つの花をさらにネットで検索しても、なかなか分からなかったのですが、コメント付きで答えてくれた方がいて、ようやくヨーロッパ原産の「オオアマナ」と判明しました(ホソバノアマナは日本原産)。

 そのコメントがすごかった。花の名前だけでなく、オオアマナの学名Ornithogalum umbellatum L. と英語名 Star of Bethlehem(ベツレヘムの星)を記し、「 学名で検索するとオオアマナとタイリンオオアマナの違いがよくわかります」というアドバイスまで付けてくれていたのです。さっそく、両方の学名で検索すると、英語のサイトに辿り着き、その説明で両者の違いがよく分かりました。タイリンオオアマナの花がバナナの房のようにくっついて咲くのに対して、オオアマナは茎から散開して咲くのです。「総状花序(かじょ)」に対して「繖形(さんけい)花序」と言うのだそうです。

 インターネットのすごさを感じるのはこういう時です。日本語のサイトで分からなければ、英語のサイトに当たり、別の言語ができれば、その言語のサイトで調べることもできます。「知識と情報の世界で革命が起きた」というのは誇張ではなく、現実であり、その流れはさらに勢いを増しています。租税回避地をめぐるパナマ文書の暴露と報道も、ネット時代でなければ考えられない出来事です。次の時代を生き抜くためには「ネットと語学」がどうしても必要になるのです。

 それなのに、日本の教育現場では何が起きているのか。小学校の校長をしている時、インターネット教育の状況に愕然としました。講師役で登場したのは地元の警察署の少年補導係の警察官だったのです。これは、私が勤めていた小学校に特有のことではなく、山形県内の小中学校の一般的な傾向でした。「ネットにはエログロがあふれている。援助交際の窓口もある。裏サイトでのいじめも深刻だ。いかに危険なものかを教えなければならない」という感覚なのです。「最初にそれを教えるのはおかしい」と私が言うと、「教育現場の厳しさを知らないよそ者の戯言」と言い返される有り様でした。山形県に限った話ではないでしょう。

 インターネットの世界は現実の世界と背中合わせになっており、ネット上には小学生や若者に有害なものもあふれています。それに対処するのは重要なことです。けれども、最初の段階でそれを強調するのは、包丁の使い方を説明するのに「包丁は危ないものだ」と教えるのと同じです。料理を作るのに包丁は不可欠です。なのに、「包丁は人を傷つけるのに使われるから危ない」と最初に教えてどうするのか。

 こういう教育が行われているのは「大人の都合による教育」がまかり通っているからでしょう。子どもを「管理する対象」として捉えており、「大人たちとは異なる時代、異なる世界を生きていく人間」として遇しようとしていない、と言ったら言い過ぎでしょうか。学校現場のIT環境の劣悪さと併せて、「世界の流れと教育の現状との乖離」を強く感じました。

 最近、文部科学省は小学校の教育に「プログラミング」を導入しようとしていると報じられています。小学生にプログラミングの基礎を教えようというわけです。「相変わらず、トンチンカンな役所だなぁ」と感じます。公立小中学校の教員のほぼ全員にパソコンが貸与されるようになって、まだ5、6年しかたっていないというのに。教員のIT教育をなおざりにし、学校のネット環境もきちんと整備しないまま、メディアが飛びつくような新規事業に血道をあげる文科省。それを垂れ流す記者クラブの面々。そのツケを払わされるのは私たちの子どもたちであり、孫たちです。

 「包丁はこうやって使って料理しましょう。でも、使い方を間違えると危ないよ」。インターネットについても、同じようにその効用とリスクをきちんと教えるべきです。教育の場にこそ、最新の設備とノウハウを提供する必要があります。そのためには、今の教育行政と教育現場を大胆に変革しなければなりません。が、このままでは、変革どころか改善すらできそうもありません。それがとても切ないです。


≪参考サイト≫
◎「みんなの花図鑑」
https://minhana.net/
◎「四季の山野草」
http://www.ootk.net/shiki/
◎ 「みんなの花図鑑」とは(NTTのホームページから)
http://www.ntt.co.jp/news2011/1104/110413a.html


≪写真説明≫
◎ 庭の片隅に咲いている「オオアマナ」(2016年5月14日、山形県朝日町で撮影)





*メールマガジン「風切通信 2」 2016年5月9日


 山形県の山村にある実家で暮らし始めて、二度目の春を迎えました。去年は亡くなった母の遺品や不要物の後片付けに追われ、庭は荒れ放題でしたが、やっと余裕が出てきたので、少しだけ庭の手入れも始めました。その庭にいくつか変わった花が咲いています。

 雪解けの後、福寿草に続いて咲いたのは「キバナノアマナ(黄花の甘菜)」という可憐な花でした。図鑑によるとユリ科の植物で、一枚だけアヤメの葉のような細長い葉を出しているのが特徴です。しばらくすると、赤紫の楚々とした花も咲きました。山と渓谷社の『春の野草』(永田芳男著)で調べても分からず、園芸愛好家のウェブサイトに写真を投稿して「どなたか花の名前を教えてください」とお願いしました。

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自宅の庭に咲いているルナリア

 ところが、投稿される「名前不詳の花」の写真はかなりの数で、どなたからも回答が寄せられませんでした。やむなく、図鑑やネット上の画像を手掛かりに探索したところ、ようやく「ルナリア」というヨーロッパ原産の花であることが分かりました。花の近くにある平べったい鞘(さや)に種子が6個ほど入っており、これが決め手になりました。この鞘は、熟すと割れて種子が飛び出し、銀貨のようにキラキラ輝くのだそうです。このため、ドライフラワーの愛好家に人気で、「銀扇草」や「大判草」の異名もあるとか。

 説明文を読んで驚きました。「みんなの趣味の園芸」というウェブサイトに、「和名の『ゴウダソウ』は、フランスからタネを持ち帰り、日本に導入した大学教授の合田(ごうだ)清氏の名前に由来します」とあったからです。合田氏は幕末の文久2年(1862年)、江戸・赤坂の生まれ。明治13年、18歳で兄と共にフランスに渡って西洋木版画を学んでその先駆者になり、東京美術学校(東京芸大美術学部の前身)で長く教壇に立った人物です。その合田氏がルナリアの種子を持ち帰り、広めたのでした。

 志を抱いてフランスに渡った若者が持ち帰った花が、いったいどのようにして広まり、どのようなルートで新潟県境に近いこの山村まで辿り着いたのか。不思議な思いにとらわれました。合田氏は、私が働いていた朝日新聞と深い縁のある人でした。手もとにある『朝日新聞社史 明治編』によると、大阪の新聞だった朝日新聞が明治21年に東京進出を決めた際、社主の村山龍平はフランスから帰った合田氏に入社するよう懇請したといいます。写真製版の技術がなかった当時、西洋木版は最先端の技術で、それを活用して紙面を飾りたいと考えたのでしょう。

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東京朝日新聞の付録に掲載された「磐梯山噴火真図」

 合田氏は「自由な立場で活動したい」と入社は断りましたが、版画家の山本芳翠氏と共に設立した生巧館を拠点にして朝日新聞に協力しました。明治21年7月15日、東京朝日新聞の創刊5日後に起きた会津磐梯山の大噴火に際しては、山本氏が被災地に急行して下絵を描き、合田氏が版木に彫って「磐梯山噴火真図」という作品に仕上げて、新聞の付録として発行しました。噴火真図は大変な評判になり、朝日新聞の東京進出を勢いづかせたといいます。この版画は有名で、私も何度か見た記憶があります。「あの版画を制作した人が持ち帰った花だったのか」と、感慨深いものがありました。

 私は18歳で山形を離れて大学に進み、新聞記者として30年余り各地を転々としましたが、インドとインドネシアに駐在した5年間を除けば、ほぼ毎年、帰省していました。その際、実家の庭にある草花も目にしていました。このルナリアも咲いていたに違いないのですが、それに心を寄せることはありませんでした。疲れ果てて、ただだらしなく眠りこけるだけ。なんと余裕のない人生だったことか。

 新聞社を早期退職して山形に戻り、民間人校長として4年、大学教員として3年働いている間も、何かに追い立てられるような日々で、相変わらず草花を愛でる余裕はありませんでした。「ひっそりと庭に咲いているこの花は何という名前なのだろう」。そんな気持ちになれるまで、63年もかかってしまいました。

 それでも、遅すぎるということはないはずです。身近にある草花や木々をゆっくりと眺め、その名前を探し、来歴に思いを巡らして楽しむことにします。月を意味する「ルナ」を冠した名前を持ち、西洋木版画の先駆者にちなむ別名を持つ「ルナリア」に続いて、「オダマキ(苧環)」という花も見つけました。淡い青紫の花で先端に白い縁取りがある素敵な花です。

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オダマキの花

 この花の漢字名の最初の文字「苧」は、日本で綿花の栽培が広まる江戸時代まで衣服や漁網の素材として広く使われていた「青苧(あおそ)=カラムシ」を意味する文字で、麻の一種です。山形県の内陸部はその青苧の大産地の一つでした。オダマキもまた、不思議な物語を秘めているに違いありません。ゆっくりと、その物語をひもとくことにします。



≪参考サイト、文献≫
◎ ルナリアの説明(ウェブサイト「みんなの趣味の園芸」から)
https://www.shuminoengei.jp/m-pc/a-page_p_detail/target_plant_code-821
◎合田清氏の経歴(東京文化財研究所のホームページから)
http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8444.html
◎『山渓フィールドブックス9 春の野草』(永田芳男著、山と渓谷社、2006年)
◎『朝日新聞社史 明治編』(朝日新聞百年史編修委員会編)194-197ページ

≪写真説明とSource≫
◎自宅の庭に咲いているルナリアとオダマキ(2016年5月7日、山形県朝日町で撮影)
◎山本芳翠・画、合田清・刻の「磐梯山噴火真図」(明治21年8月1日の朝日新聞付録に掲載)=郡山市立美術館のホームページから
https://www.city.koriyama.fukushima.jp/bijyutukan/collestion/05/16.html




*メールマガジン「風切通信 1」 2016年4月22日

 ロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席、シリアのアサド大統領、パキスタンのシャリフ首相、そして英国のキャメロン首相。租税回避地の内部文書が大量に暴露された、いわゆる「パナマ文書」事件は、日ごろ光を浴びることのない世界の裏側でどの国のどういう政治家がうごめいているのかを実に生々しく照らし出してくれました。

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 権力の専横を追及するジャーナリストが次々に奇怪な死を遂げる国、ロシア。指導部が「汚職撲滅」を唱えても全く説得力がない国、中国。アラブの春で独裁者が相次いで失脚したのに「冷酷無比」とされる独裁者が生き残った国、シリア。政治家の腐敗ぶりでは第一級と折り紙つきの国、パキスタン。こうした国々と一緒に自分の国の名前が、しかも首相がらみで出てきたことに英国の有権者が怒り、キャメロン首相に「辞任しろ」と迫るのは当然のことでしょう。

 そもそも、租税回避地(タックス・ヘイブン)という名称が美しすぎる。本来は、法人税や所得税を極端に安くして金融や物流の拠点として栄えることを目的にした制度だったようですが、その後、「こちらの方がより安全で便利」という競争原理が働いて暴走し、今ではその多くが「資産隠匿地」と呼ぶべき代物になってしまいました。腐敗した権力者が資産を隠し、大企業が税逃れに活用し、ギャングが資金洗浄に利用する場と化しています。なにせ、登記した会社の内容を詳しく公開する必要がなく、会計報告も不透明なままでいいのですから。不正が疑われる資産は数億円、数十億円というスケールのものが多数あると伝えられています。

 主要国で構成するOECD(経済協力開発機構)が透明性を高めるための行動計画を取りまとめ、対策に乗り出していますが、その主要国の中にも租税回避地を利用している政治家や企業人がいるのは半ば周知の事実です。実効性が上がるわけがありません。膨大な電子ファイルを入手した人が南ドイツ新聞に情報を提供し、同紙が「国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)」に協力を求めたのは賢明で適切だった、と言うべきでしょう。

 新聞社にいた頃、先輩記者に「日本の政治家の錬金術は主に三つある」と教わったことがあります。土地転がしと株の売買、海外取引の三つです。土地転がしは、田中角栄首相の金脈報道をきっかけに露骨な手法は通用しなくなりました。株の売買もまた、竹下登首相もからんだリクルートの未公開株汚職が発覚してからルールが厳格になり、簡単にはあぶく銭を手にすることができなくなりました。けれども、海外取引や対外援助がらみの闇資金は追及するのが極めて難しく、腐敗した政治家の錬金手法として温存されてきました。

 どの国でも、権力者の腐敗と闘ってきたジャーナリストはみな、「海外取引の壁」の厚さに何度も煮え湯を飲まされ、切歯扼腕してきたのです。国際調査報道ジャーナリスト連合は、そうしたジャーナリストたちがこの壁を乗り越えるために創った組織であり、パナマ文書事件は長く苦しい闘いの末に辿り着いた成果なのです。これまでに報道されたのは1150万点とされる文書のごく一部であり、これから続々とスクープが放たれることでしょう。

 一連の文書は、租税回避地での会社設立を引き受けているパナマの法律事務所から流出したため、「パナマ文書」事件と呼ばれていますが、会社そのものの所在地はカリブ海のバージン諸島やケイマン諸島が多いとされています。どちらも英国の領土です。その気になれば、英国の政府と議会が情報公開や会計の透明さを求める政策を打ち出して改善できるはずです。が、金融サービス部門で世界を引っ張る英国は「大事な顧客を失いたくない」と考えるかもしれません。当局に期待するのは無理でしょう。

 この手の金融サービスで英国と競っているのはアメリカです。多くの米国の政治家や企業人が「租税回避地」を利用しているはずですが、今回は全く名前が出てきていません。「大事な文書を漏らしてしまうような法律事務所」ではなく、もっとしっかりした(より悪質な)法律事務所を使っているため無傷で残っているのかもしれません。あるいは、競争相手の英国をたたくために米国寄りの勢力が意図的にリークした、という可能性も否定できません。金融取引の闇は深く、現時点では情報提供の背景は不明です。

 それにしても、カリブ海に浮かぶバージン諸島やケイマン諸島が今、「資産隠匿の島」として世界の注目を集めていることに、私は歴史の暗喩のようなものを感じます。これらの島々は大航海時代が始まってから、アフリカで拉致され売買された黒人奴隷たちが最初に連れてこられ、サトウキビ栽培の奴隷労働に従事させられたところです。厳しい歴史を背負わされた人々の島が、腐敗した政治家や企業人が資産を隠す場所として利用され指弾される――そういう歴史を強い、おとしめた人間たちの末裔が過去を振り返ることもなく、のうのうと生きているのに。

 *3月末で山形大学を退職し、4月から実家がある山形県朝日町の太郎という村で年金生活に入りました。村は、風切(かざきり)という山のふもとにあります。今月からは「風切(かざきり)通信」と改題してメールマガジンをお送りします。


≪参考サイト≫
◎国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)とは何か(東洋経済Online)
http://toyokeizai.net/articles/-/112693
◎国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)の公式サイト(英語)
https://www.icij.org/index.html
◎パナマ文書に登場する主な政治家(ICIJのサイト内。英語)
https://panamapapers.icij.org/the_power_players/
◎パナマ文書に登場する3万7000人の名前が検索できるサイト(英国の日曜紙サンデー・タイムズが開設。英語)
http://features.thesundaytimes.co.uk/web/public/2016/04/10/index.html


≪写真説明とSource≫
◎パナマ文書に登場する政治家の似顔絵(上記の3番目のサイト)