被差別部落とは何か。部落の人たちはなぜ厳しい差別にさらされ続けるのか。それを解明するためには事実を一つひとつ積み重ね、それを基にして考えていかなければならない。

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だが、部落問題に関しては、事実を積み重ねるというそのこと自体が難しい。被差別部落はどこにどのくらいあるのか。部落の人口はどのくらいか。そういう基礎的な事実すら曖昧模糊としている。

1993年の総務庁の調査によれば、全国には4,442の同和地区があり、その人口は約89万人となっている。これは、政府が被差別部落の生活向上と環境改善のために進めた同和対策事業の対象になった地区と人口の合計である。事業の対象にならなかった地区、あるいは対象となることを望まなかった地区は含まれていないので、被差別部落の人口はこれよりかなり多いと推定される。

部落解放同盟は「全国には6,000の被差別部落があり、300万の同胞がいる」という。これは、総務庁の調査結果をベースに同和対策事業の対象外の地区やその人口を推計して積み上げた概数と思われる。実態にかなり近いと考えられるが、疑問も残る。

というのは、被差別部落の解放を目指して全国水平社が設立された大正時代から、すでに「部落の数は6,000、人口は300万人」と唱えられていたからだ。こんなに長い間、部落の数も人口も変わらない、ということがあり得るだろうか。

もっと具体的で都道府県別の内訳も分かるような統計はないのか。そう思って資料を探したが、戦後のものは見当たらない。昭和10年の統計があるようだが、入手できていない。網羅的で信頼性の高い統計は、なんと大正時代まで遡らなければならなかった。

水平社運動の闘士、高橋貞樹が1924年(大正13年)に出版した『特殊部落一千年史』に、1921年(大正10年)の内務省統計が掲載されている。この統計によって、道府県別の部落の数と人口を知ることができる(高橋の著書は戦後、『被差別部落一千年史』と改題され、復刻出版された)。

図1は、この内務省統計を基に被差別部落の人口の多い道府県を五つに分類したものである(東京は当時、東京府)。1位から10位までの府県とその人口を記すと、次のようになる(11位以下は添付の資料参照)。

1.兵庫県 107,608人  2.福岡県 69,345人
3.大阪府 47,909人   4.愛媛県 46,015人
5.岡山県 42,895人 6.京都府 42,179人
7.広島県 40,133人   8.三重県 38,383人
9.和歌山県 36,072人  10.高知県 33,353人

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この分布図から読み取れるのは以下の3点である。(1)被差別部落は関西と中国・四国、九州北部に集中している(2)東日本では埼玉、群馬、長野、静岡、栃木にやや多いものの、全体として少ない(3)東北にはほとんどなく、北海道と沖縄にはない。

兵庫や福岡、大阪のように人口が多い府県では部落の人口も多くなる。従って、「被差別部落の人口密度」を見るためには「府県全体の人口との比率」を調べなければならない。この内務省統計の前年、大正9年には第1回の国勢調査が実施されており、この時の府県の人口を分母にすれば、部落の人口の百分率が得られる。

図2は、部落の人口比率を道府県別に5分類したものである。部落の人口比率が3%を超えるのは次の12府県だ(道府県すべての人口と比率は添付の資料を参照)。

1. 奈良県  5.79%  2.高知県  4.97%
3. 和歌山県 4.81%  4.兵庫県  4.67%
5. 愛媛県  4.40%  6.鳥取県  4.18%
7. 滋賀県  3.97%  8.三重県  3.59%
9・岡山県 3.52%  10.徳島県  3.33%
11.京都府 3.28%  12.福岡県 3.17%

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この人口比率のデータは、図1の人口分布で示された傾向をより鮮明な形で浮かび上がらせる。ここから読み取れるのは、(1)部落の人口の比率が最も高いのは奈良であり、比率の高い地域は畿内からほぼ同心円状に広がっている(2)北関東と埼玉、長野を除けば、東日本の人口比率は低い(3)とりわけ東京と千葉の比率は低く、東北はさらに低い、ということだ。奈良の被差別部落の人口比率は山形0.10%の58倍、青森0.02%の290倍になる。これらは何を意味するのだろうか。

被差別部落の起源については、戦後長い間、「部落は豊臣政権の時代から江戸時代にかけて、封建的な身分制度が固まる中で民衆を分断統治するために政治的につくられた」と唱えられてきた。いわゆる「被差別部落=近世政治起源説」である。

しかし、この二つの分布図を見れば、近世政治起源説に大きな疑問を抱かないではいられない。江戸幕府が置かれた東京とその隣の千葉に、なぜこれほど部落が少ないのか。豊臣政権や江戸幕府の支配が及んでいた東北にほとんど部落がないのはなぜか。近世政治起源説では、どちらも全く説明がつかない。

二つの分布図は、被差別部落の起源について、豊臣や徳川の武家政権より、むしろ畿内を拠点とした天皇制との関連が強いことを示唆している、と言えるのではないか。

部落の歴史についての研究が進み、中世の文献の掘り起こしが進むにつれて、近世政治起源説を唱える研究者は少なくなり、今では「部落の起源は中世あるいは古代と考えられる」という研究者が大勢を占めるようになった。部落と天皇制との関連にも、あらためて光が当てられるようになってきた。

けれども、部落問題の素人である私には「中世の文献などを調べるまでもなく、こうした人口や比率の地域的な偏りを見るだけでも、近世政治起源説がおかしいことは明白ではないか」と思える。なぜ、そのような説得力のない学説が生まれ、長い間、幅を利かせたのか。

そうした疑問を抱いて、被差別部落をめぐる研究や運動の経過をたどっていくと、イデオロギーに囚われた者たちが学問と文化をいかにゆがめ、政治や行政をどのように捻じ曲げていったのかが見えてくる。近世政治起源説の流布は「日本社会がずっと抱えてきた知的脆弱さの表れ」と言えるのではないか。



(長岡 昇:NPO「ブナの森」代表)



*初出:調査報道サイト「ハンター」(2022年10月31日)
https://news-hunter.org/?p=14868


≪添付資料≫
◎被差別部落の道府県別の人口
◎被差別部落の道府県別の人口比率


≪参考文献≫
◎『これでわかった!部落の歴史』(上杉聰、解放出版社)
◎『はじめての部落問題』(角岡伸彦、文春新書)
◎『被差別部落一千年史』(高橋貞樹、岩波文庫)
◎『国勢調査以後 日本人口統計集成 第1巻』(内閣統計局、東洋書林)
◎『部落問題入門 部落差別解消推進法対応』(全国部落解放協議会、示現舎)
◎『天皇制と部落差別』(上杉聰、解放出版社)
◎『部落・差別の歴史』(藤沢靖介、解放出版社)