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あることを表すのに、どのような言葉を選ぶか。それは、その人あるいはその組織の品格にかかわる重大事である。そういう観点から山形県庁の組織図を眺めると、吉村美栄子知事の県政運営は及第点には程遠い。

土木部を県土整備部と改めたのは愚の骨頂である。「汚職や談合疑惑にまみれてイメージが悪いから」といった理由で変えたようだが、土木という言葉に罪はない。むしろ、近代以降、橋やダム造りに汗を流した人たちは誇りにすら思っていたはずだ。実際、見識を持って、そのまま使い続けている自治体も少なくない。

新設した観光文化スポーツ部という名称には、元新聞記者として情けなくなる。観光産業とスポーツの間に「文化」を挟み込む、その粗雑な感覚。文化とは、もっとふくよかで奥深いもの。こんな使い方をして、いいはずがない。

その部の幹部が新しい県民会館の指定管理者選びでどのような振る舞いをしたか。月刊『素晴らしい山形』の4月号で詳しく報告したら、選考にかかわった部次長と課長が3人とも春の人事異動でいなくなってしまった。在席1年で異動になった人もいる。

「指定管理者の問題で責任を取らされた」と見る向きもあるが、「そうではない」との観測もある。事情通は「サッカーの新しいスタジアム建設構想をめぐって不手際があった。そっちの方ではないか」と言う。

われらのチーム、モンテディオ山形は天童市の陸上競技場をホームにしている。1992年の「べにばな国体」のメイン会場として建設された施設で、球技場を兼ねている。かなり傷んでおり、何よりも「観客席の3分の1以上を屋根で覆うこと」というJリーグの基準を満たしていない。サポーターからは「サッカー専用のところでプレーを観たい」と、新しいスタジアムを望む声が寄せられていた。

新スタジアム構想が具体的に語られ始めたのは、表1に見るようにモンテディオ山形のチーム運営が県の外郭団体、山形県スポーツ振興21世紀協会から株式会社モンテディオ山形に移された2013年前後からである。山形市の市川昭男市長が吉村知事に新スタジアムの建設を要望し、(株)モンテディオ山形の高橋節(たかし)社長(元副知事)が構想に意欲を示す、といった動きが出始めた。

ただ、新スタジアムの建設には100億円前後の資金が必要になる。建設地をめぐって、新スタジアムを街起こしの起爆剤にしたい山形市とホームを抱える天童市との間で激しい鍔迫(つばぜ)り合いになることが予想される。誰もが「実現するのは容易なことではない」と分かっていた。

2015年に新スタジアム構想検討委員会を立ち上げた高橋氏も「資金や建設候補地の議論には踏み込まなかった。どのようなスタジアムが建設可能かというビジョンを検討することに留めた」と語る。

鍔迫り合いは、山形市と天童市の間よりも先に、まず同年9月の山形市長選で演じられた。市川市長が後継候補の梅津庸成(ようせい)氏の出陣式で「吉村知事が新スタジアムを山形市内に建設することを了解した」と受けとめられる発言をした、と報じられたのだ。

対立候補の佐藤孝弘氏を担いだ自民党はいきり立った。県議会自民党は梅津氏支持の知事に釈明を求めようと、知事室に押しかけた。知事は面談を拒み、記者会見で「事実無根のことが書いてある」と説明する騒ぎになった。

市長選で佐藤氏が勝ったことで市川・梅津陣営の目論見はついえたが、火種はくすぶり続けた。一昨年9月の新スタジアム推進事業株式会社の発足は、第2ラウンドの始まりを告げるものだった。

新スタジアム会社の代表取締役には、県経営者協会の寒河江(さがえ)浩二会長(山形新聞社長)と県商工会議所連合会の清野伸昭会長(山形パナソニック会長)、県経済同友会の鈴木隆一代表幹事(でん六社長)が就いた。表2のように、役員には県内の主な企業と団体のトップが名を連ねた。強力な布陣である。

ただし、内情を知る関係者によると、3人の代表取締役も他の役員も頼まれて神輿に乗っただけ。プロジェクトを実際に仕切っているのは吉村知事の義理のいとこ、ダイバーシティメディアの吉村和文社長とアビームコンサルティングの松田智幸執行役員の2人だという。両者とも発足と同時に新スタジアム会社の取締役になっている。

和文氏が知事との縁を活かして、地元の経済界と県庁内の根回しに動く。県の窓口は、かねて昵懇の観光文化スポーツ部の面々だ。アビームはNECグループのコンサルタント会社で、松田氏はスタジアムの建設構想と事業化計画を担う。寝技と頭脳のタッグだ。

実は、この2人の付き合いは長い。和文氏のブログ「約束の地へ」(2016年11月20日)によれば、この10年ほどの間に総務省関連の情報通信技術(ICT)事業や地域活性化プロジェクトを一緒に手がけた仲という。

吉村知事が2016年春に山形にゆかりのある著名人を「山形ブランド特命大使」に委嘱して「山形の応援団」を組織した際には、ともに「特命大使」に選ばれたりもしている。和文氏とNECとの関係の深さは、『素晴らしい山形』の連載の1回目で報じた「山形県庁のパソコン入札問題」を通して、うかがい知ることができる。

この2人が手を組み、県内の経済界のトップをそろえたのだから、普通なら「新スタジアム構想は官民合同のプロジェクトとして粛々と進む」はずだ。ところが、現実にはなかなか進まなかった。県庁内の根回し、つまり観光文化スポーツ部の幹部による財政課を始めとする関係部局との調整がうまく行かず、吉村知事の了承も得られなかったようなのだ。同部の幹部3人の人事はその不手際の始末、という見方が出る背景にはこうした経緯がある。

吉村知事は、経済3団体の代表が新スタジアム構想で面会を求めても、なかなか会おうとしなかったという。新スタジアム会社の日程表には「2018年9月に山形県に官民連携事業化を要請」とあったが、それが半年もずれ込み、今年の3月27日にようやく面会が実現した。

知事に提示された新スタジアムの整備基本計画は(1)観客席のみ覆う固定式屋根型かフィールドまで覆う可動式屋根型のどちらか=図1参照(2)観客席は1万5000人から2万人分(3)建設費は72億5000万円から113億円(4)建設地は公募して2020年9月に決定(5)2025年に運用開始、というものだった。建設費は県費で、運営は民間でという「大甘の計画」だ。

当然のことながら、吉村知事は「協力します」という言質を与えなかった。「将来的には必要なものと認識している」と、そっけなく応じた。面会後、経済3団体の代表は憮然としていたという。「神輿に乗ったのに、はしごを外された」という思いがあるのかもしれない。

歯車はうまく回っていない。吉村知事は巨額の負担を抱えそうで躊躇している。山形市は静かに見守っている風情。天童市に至っては冷淡ですらある。口に出しては言わないものの、誰もが「どこか既視感がある」と感じているからではないか。

新スタジアム会社の立ち上げは、吉村和文氏が27年前、1992年に起業したケーブルテレビ山形の構図とそっくりである。経済界の重鎮を担ぎ上げ、経営の実権は自分がしっかりと握る。事業費は国や県、市からの公金を当てにする、という点で。

潤沢な補助金を受け、最初の頃、ケーブルテレビ山形の経営は順調だった。だが、情報技術革命の急激な進展で環境はがらりと変わった。図2のように、ケーブルテレビ関係の売上高がじりじりと減っており、経営は極めて厳しい。表3にある山形県からのパソコン落札や業務委託で経営を支えている状態だ。

同社のある株主はこう語った。「彼はこの会社を作ってから、一度も株主に配当を出したことがない。経営者なら、きちんと利益を上げて株主に配当するのが基本。その基本ができていない」

吉村和文氏の仕事ぶりを見ていると、「政商」という言葉が浮かんでくる。三省堂の『大辞林』には、政商とは「政府や政治家と結びつき、特権的な利益を得ている商人」とある。なんと簡潔で的確な定義であることか。

そういえば、かつて山形にはもう少しスケールの大きな政商がいた。彼が亡くなって真空状態が生じた途端、取って代わろうとする者が現れ、動き回っている。

メールマガジン「風切通信 56」2019年4月27日


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 ≪訂正≫本誌4月号の山形県総合文化芸術館の指定管理者選考に関する記事(4ページ)に「細谷理事長に『県側から要請されて、渋々引き受けたと聞きました』と問うと、肯定も否定もしなかった」と書きましたが、「問うと、否定した」に訂正します。細谷氏から申し入れがありました。山形県生涯学習文化財団が指定管理者の共同企業体の代表を引き受けた経緯についてはなお調査中です。

*このコラムは月刊『素晴らしい山形』の5月号に寄稿した文章を若干手直しし、加筆したものです。見出しも異なります。表や図をクリックすると、内容が表示されます。

≪写真説明とSource≫
モンテディオ山形の選手。胸には山形のブランド米「つや姫」の文字(モンテディオ山形広報のサイトから)
https://twitter.com/monte_prstaff/status/1072399042469081088