*メールマガジン「小白川通信 16」 2014年8月6日

 前回の「小白川通信」で真珠湾攻撃をテーマにし、当時のルーズベルト米大統領は事前に攻撃計画を知っていたにもかかわらず、現地の司令官たちに知らせず、日本軍の奇襲を許したという、いわゆる「ルーズベルト陰謀説」を扱いました。そして、こうした陰謀説について「断片的な事実を都合のいいように継ぎはぎした、まやかしの言説で、もはや論じる価値もない」と書いたところ、旧知の研究者から「違います。陰謀説は否定のしようがないほど明らかです」とのメールが届きました。

 びっくり仰天しました。門外漢ならいざ知らず、彼はアメリカ外交や国際政治の専門家です。そういう研究者の中にも「陰謀説」を信じている人がいるとは・・・。これでは、高校の歴史の授業で「陰謀説」を事実として教える教師が出てきても不思議ではありません。メールには「スティネットの『真珠湾の真実』と藤原書店から出た『ルーズベルトの戦争』を読むことをお薦めします」とありました。不勉強でどちらも読んでいませんでしたので、取りあえず、『真珠湾の真実』(文藝春秋)を読んでみました。

真珠湾攻撃・日本の艦載機.jpg

 著者プロフィールによれば、ロバート・B・スティネットは1924年、カリフォルニア州生まれ。アジア太平洋戦争では海軍の兵士として従軍、戦後は同州のオークランド・トリビューン紙の写真部員兼記者として働き、本書執筆のために退社、とあります。さらにBBC、NHK、テレビ朝日の太平洋戦争関係顧問とも書いてありました。米国の情報公開制度を利用して機密文書の公開を次々に請求し、入手した膨大な文書をもとにして書かれた本であることが分かります。労作ではあります。

 しかし、じっくり読めば、専門家とは言えない私ですら、いたるところに論理の飛躍と「都合のいい事実の継ぎはぎ」があることが分かります。例えば、米国が日本海軍の作戦暗号(いわゆるD暗号)をどの時点で解読できるようになったのかについて。スティネットは「日本海軍の暗号が解読できるようになったのは開戦後の1942年春から」という定説を否定して、「1940年の秋には解読に成功していた」と主張しています(『真珠湾の真実』p46)。真珠湾攻撃は1941年12月ですから、その1年も前から解読できていたと主張しています。そして、その有力な根拠の一つとして、フィリピン駐留米軍の無線傍受・暗号解読担当のリートワイラー大尉が海軍省あてに出した手紙(1941年11月16日付)を収録しています(同書p498)。

 その手紙には「われわれは2名の翻訳係を常に多忙ならしめるのに十分なほど、現在の無線通信を解読している」という記述があります。なるほど、これだけを取り出せば、「米海軍は真珠湾攻撃の前にすでに日本海軍の作戦暗号を解読していた」という証拠のように見えます。けれども、暗号解読の歴史を少しでも学んだことのある人なら、日本海軍は当時、主な暗号だけでも10数種類使っていたこと、そのうちで秘匿度の弱い暗号(航空機や船舶の発着を伝える暗号など)が解読されていた可能性はある、といったことを知っています。ですから、この手紙の内容だけではどの暗号を解読するのに『多忙』なのかは不明で、重要な作戦暗号が解読されていたことを裏付ける証拠にはなりません。

 細かい注釈をやたらと多く付けているのも、この本の特徴の一つです。第2章の最後の注釈には「米陸軍参謀総長ジョージ・C・マーシャル大将は1941年11月15日にワシントンで秘密の記者会見を開き、アメリカは日本の海軍暗号を破ったと発表した」とあります。これも作戦暗号の解読に成功していたことを印象づける記述ですが、「秘密の記者会見」の開催を裏付ける証拠や会見内容を詳述する資料はまったく示されていません。都合のいい断片的な事実、あるいは事実と言えるかどうかも怪しいようなことを散りばめて、「日本海軍の作戦暗号は真珠湾攻撃の前に解読されていた」と印象づけようとしています。

本『真珠湾の真実』.jpg

 米国による日本海軍の暗号解読については、すでに専門家の手で信頼できる著書がいくつも出版され、日本語にも翻訳されています。解読の全般的な歴史については『暗号の天才』(新潮選書)や『暗号戦争』(ハヤカワ文庫)、解読にあたった当事者の本としてはW・J・ホルムズの『太平洋暗号戦史』(ダイヤモンド社)、解読された側からの本としては長田順行の『暗号 原理とその世界』(同)があります。いずれの本も「米国は開戦前に日本外務省の暗号を解読していたが、日本海軍の作戦暗号を解読することはできていなかった」ということを物語っています。

 この『真珠湾の真実』には暗号解読に限らず、外交官や諜報機関がもたらした情報も含めて、これまでの研究を覆すような事実は何もありませんでした。だからこそ、この本が1999年に出版された時、米国の主要な新聞や雑誌は書評で取り上げなかったのでしょう。上記の『暗号戦争』の著者デイヴィッド・カーンは「始めから終わりまで間違いだらけ」と酷評したと伝えられています。ただ、陰謀説が好きな人は多いようで、アメリカでも日本でもよく売れました。とりわけ日本では、京都大学の中西輝政教授が巻末に解説を寄せ、「ようやく本当の歴史が語られ始めた」と激賞したこともあって、よく売れたようです。著名なジャーナリストの櫻井よしこ氏も「真実はいつの日かその姿を現す」と褒めそやし、来日した著者のスティネットと対談したりして、販売促進に貢献しています。

 前回の通信で「陰謀説がなぜ消えないのか、不思議でなりません」と書きましたが、ようやく理解できました。この本をはじめ、この10数年の間に出版された陰謀説を唱える本がよく売れ、広く読まれた結果と考えるべきなのでしょう。暗然たる思いです。「真実」という言葉をうたい文句にして、ウソを広める本。それを支える人たち・・・。この本の原題は『Day of Deceit』(欺瞞の日)ですが、邦訳を『欺瞞の書』とすれば、ぴったりだったでしょう。この本については、現代史家の秦郁彦氏や須藤眞志氏らが『検証・真珠湾の謎と真実』(中公文庫)という本を出し、徹底的な批判を加えています。これはしっかりした本です。むしろ、こちらを読むことをお薦めします。

 そして、あらためて思い知りました。前回の通信で紹介したゴードン・W・プランゲの著書『真珠湾は眠っていたか』(1?3巻、講談社、原題:At Dawn We Slept)はなんと奥深く、誠実な本であることか。彼の死の翌年(1981年)に出版されたこの本の第1巻「まえがき」に、弟子たちは次のように記しているのです。

 「ゴードン・プランゲ教授は、自身の言葉が最終的な決着をつけたという印象を与えることを欲しなかった。(将来)自分こそ『真珠湾の残された最後の秘密』を知っており、読者にそれを提供するのだと主張するような人があれば、それはペテン師か自己欺瞞に陥っている人なのである」
(長岡 昇)

日本海軍の空母艦載機の写真:Source
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