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February 2013 の投稿一覧です。
*メールマガジン「おおや通信 100」 2013年2月22日


 災害や紛争で犠牲者がたくさん出て、食料や水が手に入らなくなった時、人はどのような行動を取るものでしょうか。やっと届いた救援物資に群がり、奪い合う。けんかも始まる。それが普通の姿でしょう。

 生き残った家族を守るために、みんな必死なのです。責めることはできません。貧しい国や地域に限ったことではありません。2005年の夏にアメリカ南部がハリケーンに襲われた時にも同じことが繰り返されました。

 ところが、東日本大震災の被災者はそうではありませんでした。津波で身内を失い、家を流されながら、彼らは列を乱すことなく、静かに支援物資を受け取りました。悲しみに打ちひしがれ、寒さに震えながら、隣人に手を差し伸べることを忘れませんでした。そして、その映像が世界に流れたのです。

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ひな祭りの季節。大谷小には「御殿(ごでん)飾り雛」が鎮座しています。

 
 多くの国の人々にとって、それは「世界の常識」をくつがえす振る舞いであり、姿でした。映像でこうした姿を見た人から1通の英語のメールが発せられ、インターネットで世界に広まりました。「日本から学ぶ10のこと10 things to learn from JAPAN 」というメールです。以下のような内容です。

1. 静けさ THE CALM
 胸をたたいたり、取り乱したりする映像はまったくなかった。悲しみそのものが気高いものになった。
Not a single visual of chest-beating or wild grief. Sorrow itself has been elevated.

2. 厳粛さ THE DIGNITY
 水や食料を求める整然とした行列。声を荒げることも粗野な振る舞いもなく。
Disciplined queues for water and groceries. Not a rough word or a crude gesture.

3. 力量 THE ABILITY
例えば、信じがたいような建築家たち。建物は揺れたが、倒れなかった。
The incredible architects, for instance. Buildings swayed but didn’t fall.

4. 品格 THE GRACE
 人々は取りあえず必要な物だけを買った。だから、みんな何がしかのものを手にすることができた。
People bought only what they needed for the present, so everybody could get something.

5. 秩序 THE ORDER
 商店の略奪なし。道路には警笛を鳴らす者も追い越しをする者もいない。思慮分別があった。
No looting in shops. No honking and no overtaking on the roads. Just understanding.

6. 犠牲 THE SACRIFICE
 50人の作業員が原子炉に海水を注入するためにとどまった。彼らに報いることなどできようか。
Fifty workers stayed back to pump sea water in the N-reactors. How will they ever be repaid?

7. 優しさ THE TENDERNESS
 レストランは料金を下げた。ATMは警備もしていないのにそこにある。強き者が弱き者の世話をした。
Restaurants cut prices. An unguarded ATM is left alone. The strong cared for the weak.

8. 訓練 THE TRAINING
 老人も子どもも、みんな何をすべきかよく分かっていた。そして、それを実行した。
The old and the children, everyone knew exactly what to do. And they did just that.

9. 報道 THE MEDIA
 速報に際して、彼らはとてつもない節度を示した。愚かな記者はいない。落ち着いた報道だった。
They showed magnificent restraint in the bulletins. No silly reporters. Only calm reportage.

10. 良心 THE CONSCIENCE
 店が停電になると、人々は品物を棚に戻し、静かに立ち去った。
When the power went off in a store, people put things back on the shelves and left quietly.

(http://www.facebook.com/notes/xkin/10-things-to-learn-from-japan-/202059083151692)

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この冬も大谷小に「ばくだん屋さん」が来て、ポン菓子を作ってくれました

 
 私はこのメールのことをつい最近、2月10日付の毎日新聞に掲載された西水美恵子さん(元世界銀行副総裁)のコラムで知りました。大きな組織を率いた経験を持つ人らしい、力強く明晰なコラムでした。日本語訳も付いていましたが、英文を探し出して自分で翻訳し直してみました。
 
 「褒めすぎ」のところもあるような気がします。東北の被災地ではATM荒らしもありました。保存食品の買いだめに走った人もいます。けれども、被災者の多くが信じられないような強さと優しさを見せてくれたのは確かです。同じ国に住む者ですら、目頭が何度も熱くなりました。世界各国で多くの人が被災者の姿を驚きの目で見つめたのも、分かるような気がします。

 彼らはこうしたことを当たり前のことのように、淡々と成し遂げました。東北に生まれ、東北で暮らしていることを私は今、誇らしく思う。

          *大谷小のPTA便り「おおや」90号に寄稿したエッセイに加筆。






*メールマガジン「おおや通信 99」 2013年2月15日


 1月から2月にかけて、NHKのBSプレミアムで放送された「北の英雄 アテルイ伝」は画期的なドラマだった。アテルイとは、古代の東北に住み、「蝦夷(えみし)」と呼ばれた人たちの指導者の名前である。奈良時代から平安時代の初めにかけて、支配地を北へ広げようとした大和朝廷に対し、蝦夷は大規模な反乱を起こした。ドラマは、その史実をベースに展開する。

 ハリウッドの西部劇の定番は、勇敢な騎兵隊が野蛮なインディアンと戦い、打ち負かす物語だ。そのハリウッドがインディアンを主役にした映画を作ったようなものだ。蝦夷の英雄を主人公にしたテレビドラマは初めてだろう。

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朝日町の小学校スキー記録会。町内にもアイヌ語に由来するとされる地名がある


 ドラマの最終回で、桓武天皇は「この国の土地も民もすべて朕(ちん)の手の中にある」と豪語する。征夷大将軍の坂上田村麻呂は投降したアテルイの助命を願うが、天皇はこれを許さず処刑を命じる。斬首の前に、アテルイは田村麻呂に問う。「帝は我等(わあら)をなにゆえ憎む。なにゆえ殺す。同じ人ぞ。同じ人間ぞ」。深い問いである。

 そもそも蝦夷とはどういう人たちだったのか。岩手大学の高橋崇(たかし)・元教授は『蝦夷(えみし)』(中公新書)で「彼らはアイヌ人か、あるいは控え目にいってアイヌ語を使う人といってよいだろう」と記した。一方、秋田大学の熊田亮介・副学長は、最近の考古学の成果も踏まえて「東北にはアイヌ系の人たちもいたし、大和政権の支配地から逃れてきた人たちもいた」と、蝦夷=アイヌ説を否定する。蝦夷の実像については諸説あり、いまだに決着がついていない。

 大和朝廷と戦った蝦夷の中には捕虜になり、関西や九州、四国に移住させられた人も大勢いた。文献にも、しばしば登場する。彼らはその後どうなったのか。それも歴史の闇の中に埋もれたままである。
 アテルイはその闇を照らし、私たちを歴史の深みへと誘(いざな)う。
 
 *2月15日付の朝日新聞山形県版のコラム「学びの庭から」(11)より

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 蝦夷(えみし)の実像について詳しいことを知りたい方のために、ミニ解説を試みます。
私の理解では、古代の東北地方に住み、大和朝廷の支配に屈しなかった蝦夷(時に「まつろわぬ民」と表現される)については、主に四つの説があります。

(1)蝦夷=アイヌ説
 コラムで引用した元岩手大学教授の高橋崇(たかし)氏が代表的な論者。同氏の著書『蝦夷(えみし)』『蝦夷の末裔』『奥州藤原氏』(いずれも中公新書)の3部作は、この立場に立つもの。とくに、最初の『蝦夷』をお薦めします。

(2)蝦夷=辺民説
 秋田大学副学長の熊田(くまた)亮介氏らの説。古代東北にはアイヌ系の人たちと大和朝廷の支配地域から逃れてきた人たち、それ以外の集団などが混住していたと主張する。最近の考古学の発掘調査などを踏まえれば、蝦夷=アイヌ説では説明できないことが多すぎることを根拠にする。参考文献『東北の歴史 再発見』(河出書房新社)。
(3)蝦夷=和人説 蝦夷は辺境に追いやられた大和民族の一部であるとの説。戦前、皇国史観に立つ学者が唱えた。

(4)蝦夷=イエッタ説(これは私が勝手に名付けたものです)
 大正から昭和初期にかけて、在野の民俗学研究者、菊池山哉(さんさい)が唱えた。東北の蝦夷はアイヌ系の人たちではなく、北方から日本列島に入ってきたツングース系のイエッタ民族であるとの説。学界からは異端視され、事実上、黙殺された。近年、歴史民俗学研究者の礫川(こいしかわ)全次氏が再評価し、菊池山哉の著作『先住民族と賤民族』や『蝦夷とアイヌ』の復刻版を出しました(どちらも批評社、1995年)。
 
 個人的な感想を記せば(3)は論外、(2)は「いろいろな民族、人間集団がいた。どれが反乱を起こしたのかは分からない」と言っているだけで、学説と言えるのか疑問です。
(1)の蝦夷=アイヌ説が一番自然で説得力があると考えていますが、日本の先住民族が一つであると考える理由はなく、(4)が主張するイエッタ民族など「第2、第3の先住民族」がいて、古代の東北で混住していた可能性は十分にあるのではないか、と考えています。
また、東北の蝦夷論とは別に、(4)の菊池山哉の研究は日本の部落差別のルーツを考えるうえでも再評価されてしかるべきだ、と受けとめています。