山形県の戸沢(とざわ)村には「最上川舟下り」の会社がある。江戸時代に船番所があった場所に本社を構え、冬には和船にコタツをしつらえた「コタツ舟」を運航している。鍋をつつきながら熱燗を手に、雄大な最上峡の冬景色を楽しむことができる。

そんな戸沢村で最近、こんなことがあった。
その男性は夏でも冬でも、朝の4時半に散歩に行くことを日課にしている。夏なら薄明るくなっているが、冬が近づけば、4時半では真っ暗だ。

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それでも、彼はいつも通り、4時半に散歩にでかけた。歩き慣れたコース。暗闇でも道に迷うことはない。が、街灯のあるところに差しかかったら前を行くものがいる。「誰だ」と思ってよく見たら、ツキノワグマが歩いていたという。

それを伝え聞いた人がひと言、「知らないうちに追い越さなくて、よかったね」。もし、暗がりですれ違ったりしていたら、こんな軽口はたたけなかっただろう。

熊にまつわる話なら、戸沢村を持ち出すまでもない。私が暮らしている山形・新潟県境沿いの朝日町では農作物、とりわけリンゴ農家が大打撃を受けている。

朝日町は「無袋(むたい)フジ 発祥の地」として知られる。かつて、リンゴ栽培では1個1個に袋をかけて栽培するのが普通だったが、その袋掛けをしないでフジリンゴを栽培する手法を編み出した町である。太陽の光をたっぷり浴びさせることで、糖分やビタミンを豊富に含むリンゴができる。

そのリンゴ栽培の名人の畑がこの秋、熊に荒らされた。人家から遠い、山あいの畑にある10本のリンゴの木が収穫寸前にすべて熊に食べられてしまったのだ。1頭で食べきれる量ではない。何頭もの熊が入れ代わり立ち代わりやって来たようだ。

1本のリンゴの木からは、約1000個のリンゴが収穫できる。全部で1万個前後。これほどの被害は初めてで、さすがの名人も肩を落としていたという。10本どころか、手塩にかけて育ててきたリンゴをほとんど食べられてしまった篤農家もいる。

今年は全国的に熊が人里に下りてきて人を襲う事例が相次いだ。北海道のヒグマはともかく、本州に生息するツキノワグマは体長1.5メートルほどで、元来、それほど戦闘的ではない。人里に出てきて人間に出くわし、驚いて攻撃してしまったというケースが多のではないか。

問題は「なぜ、人里に下りてくるようになったのか」である。専門家は「エサとなるドングリが今年は不作だから」と解説している。それも大きな理由のようだが、もっと根本的な理由もある。

それは、人間が里山にあまり出入りしなくなったことだ。熊は臭覚が鋭い。山の畑や森に人間が通い、働いていた時代は「人間の臭い」を敏感に嗅ぎ分け、「ここいらは人間の縄張りだ」と警戒して、あまり出入りしなかったと考えられる。

ところが、農業も林業もすたれ、山の畑は荒れ放題。山林も手入れが行き届かない。ツキノワグマにしてみれば、「誰も出入りしないなら、おいらの縄張りにしてしまえ」と決め込んだのではないか。同じリンゴ畑でも、人家の近くより山あいにあるリンゴ畑で被害が続発しているのは、熊が自分の縄張りとみなした結果だろう。

里山まで縄張りを広げた熊の一部は、さらに人家の近くや市街地にまで足を延ばしたと考えられる。柿も栗もリンゴも、人間がたくさん植えてくれた。熊は「格好のエサ場」とみなして、これを当てにする個体が増えた、と見るのが自然だ。

人間の暮らしの変容が熊の生態にも影響を及ぼし、両者の境界線がぼやけてしまった結果が「熊の出没多発となって表れた」と言えるのではないか。

熊に襲われて亡くなった方やけがをした方の多さを考えれば、市街地や人里に出てきた熊を殺害するのはやむを得ない。農作物の被害の甚大さも考え合せれば、「熊と人間が共存する道はないか」などと悠長に構えていられる状況ではない。熊に加えてイノシシの食害に苦しむ農家にとっては、死活問題になりつつある。

(長岡 昇:NPO「ブナの森」代表)

*メールマガジン風切通信 123 (2023年11月25日配信)


≪写真説明≫
◎ツキノワグマ(よこはま動物園のサイトから)
https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/zoo/zoorasia/animal/yamazato/JapaneseBlackBear/

≪参考サイト≫
◎「最上川芭蕉ライン舟下り」(山形県戸沢村)のサイト
https://www.blf.co.jp/
◎「山形 味の農園」のサイト
https://www.ajfarm.com/1916/