*メールマガジン「風切通信 37」 2017年10月17日
 
 日本生まれの英国人作家、カズオ・イシグロの代表作『日の名残り』を読んだ時、私は不思議な感覚を味わいました。舞台は第二次大戦前後のイギリス、貴族のダーリントン卿に仕える執事スティーブンスの物語です。第一次大戦の惨状を知るダーリントン卿は新たな戦争を避けるため、ドイツとイギリスが共存する道を探ろうとします。国王や首相をヒトラーに会わせるべく、卿はドイツとのパイプ役となって動くという筋立てです。

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 英独の仲介を試みるダーリントン卿について、貴族の友人は「卿は紳士だ。ドイツとの戦争を戦った。敗れた敵に寛大に振る舞い、友情を示すのは、紳士としての卿の本能のようなものだ」と語りかけ、ドイツはその高貴な本能を汚い目的のために利用しているのだ、それを黙って見ているのか、と執事のスティーブンスに迫ります。それに対して、長く卿に仕えてきたスティーブンスはこう答えます。「申し訳ございません、カーディナル様。私はご主人様のよき判断に全幅の信頼を寄せております」

 物語は、貴族の館ダーリントン・ホールを舞台に淡々と進む。卿は対独宥和派とさげすまれ、失意のうちに世を去る。派手な立ち回りは何もない。ロマンスもごく淡いものが少し描かれるだけ。文章も平易です。普通なら途中で投げ出してしまうところですが、なぜかやめることができず、そのまま読み通してしまいました。最初に手にした本で、私も「イシグロワールド」に引き入れられてしまったのかもしれません。

 次に読んだ『わたしたちが孤児だったころ』はもう少しドラマチックでした。戦火にさらされ、混乱きわまる1930年代の上海。この街で失踪した両親の行方を追うイギリス人探偵の物語です。戦場の状況が描かれ、父と母がなぜ失踪したのか、少しずつ解き明かされていきます。イシグロ作品の中では、一番ドキドキワクワクする小説かもしれません。が、それも普通のミステリー小説に比べれば、きわめて地味でイシグロらしい。

 生まれ育った長崎と並んで、上海はイシグロにとって特別な街です。祖父の石黒昌明は滋賀県大津市の出身で、上海の名門私大・東亜同文書院を卒業した後、伊藤忠商事に入社し、上海で働いていました。父の石黒鎮雄はこの上海で生まれ、東大で学んだ海洋学者です。カズオ・イシグロは父親が長崎海洋気象台に勤務していた時に誕生し、5歳まで長崎で暮らしました。その父がイギリス国立海洋研究所に招かれ、家族で渡英しました。

 長崎での穏やかな暮らしは突然、断ち切られてしまいました。彼がかなりの映画好きで小津安二郎の作品を繰り返し観たのは、長崎の記憶と重なるところがあるからなのでしょう。英国で勤め始めた父は何度も「来年は日本に帰るから」と約束したそうですが、それが果たされることはありませんでした。懐かしい長崎の思い出を何度も何度も切なく思い出していたのです。それが彼の作家としての礎になったと思われます。

 カズオ・イシグロはイギリスで教育を受け、ケント大学とイースト・アングリア大学大学院で文学を学んで作家になりました。最初の作品『遠い山なみの光』を出版した1980年代初めに英国籍を取得しています。彼をよく「日系英国人作家」と表現します。その通りなのですが、彼の場合は5歳で故郷から不意に引き離され、長崎の記憶を忘れまいともがき続けたという点が特異です。むしろ、ディアスポラ(故郷喪失者)と呼びたくなります。

『日の名残り』のあとがきで翻訳家の土屋政雄は、カズオ・イシグロが最初の2冊の作品(『遠い山なみの光』と『浮世の画家』)について、次のように語ったと紹介しています。「私の日本を2冊の本に封じ込め、初めて日本を訪れる気持ちになった」。土屋によれば、最初の2作は「彼が自分の日本人性を再確認し、それに形を与えるための作業だったといえるのではなかろうか」という。心の中の日本と折り合いをつけ、もはやその喪失を心配しなくてもよくなって、第3作『日の名残り』に進んだのだと。

 彼はまず、自らの日本への追憶を小説という作品にして、それから世界に飛び出していったのです。彼が作品に込めた思いは『日の名残り』の執事が語る言葉に象徴的に示されています。執事のスティーブンスはこう語るのです。
「私は選ばずに、信じたのです。私は卿の賢明な判断を信じました」「私どものような人間は、何か真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がいたします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうであれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚えてよい十分な理由となりましょう」

 読みながら、胸が熱くなったくだりです。2001年に来日して講演した際には、別の言葉で自らの思いを語りました。「ひとはみな、執事のような存在だと思うのです」「人生はとても短い。振り返って間違いがあったと気づいても、それを正すチャンスはない。ひとは、多くの間違いを犯したことを受け入れ、生きていくしかないのです」(『AERA』2001年12月24日号)

 ノーベル文学賞については、かつてこんな風に語っていました。「それほど重要な賞でしょうか。科学分野では権威はありますが、文学の世界では奇妙な賞だと思います。たしかに偉大な作家が受賞していますが、受賞後はあまり素晴らしい作品が書けていません。ノーベル賞の影響なのか、それともキャリアの終わりを迎えた人に賞が贈られているのか、私にはよく分かりません」

 連続テレビドラマ『わたしを離さないで』の主演女優、綾瀬はるかと原作者カズオ・イシグロとの対談も味わい深い。主役のキャシーの生き方について質問した綾瀬に、彼はこう答えています。「キャシーは臓器提供のために作られたクローンで、閉ざされた、非常に特殊な環境で育ったわけですよね。外の世界の価値観を知らない。だから、過酷な運命も自然に受け入れる。現実の世界を見てみてください。今も様々な国で、本当に過酷な環境で生きている人が大勢います。彼らは天使なのではなく、必然としてその環境に適応し、精一杯生きている。自分が生きている意味を何とか築こうと奮闘している」

 カズオ・イシグロを「記憶と追憶の作家」のように言う人がいますが、私は違うと思う。彼は「人が生きることの哀しみ」を描きたいのではないか。そして、その哀しみに寄り添い、そっと励ます。それが自分の役割、と考えているのではないか。ノーベル文学賞はその営みへの小さなご褒美、と受けとめているように思います。(敬称略)


≪参考文献・記事&サイト≫
◎『日の名残り』(カズオ・イシグロ、土屋政雄訳、中央公論社)
◎『わたしたちが孤児だったころ』(カズオ・イシグロ、入江真佐子訳、早川書房)
◎『忘れられた巨人』(カズオ・イシグロ、土屋政雄訳、早川書房)
◎『夜想曲集』(カズオ・イシグロ、土屋政雄訳、早川書房)
◎文芸ブログ「Living Well Is the Best Revenge」(ペンネーム、クリティック)
http://tomkins.exblog.jp/20864422/
◎ウィキペディア「カズオ・イシグロ」(日本語)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%82%B0%E3%83%AD
◎Wikipedia 「Kazuo Ishiguro」(英語)
https://en.wikipedia.org/wiki/Kazuo_Ishiguro
◎ウィキペディア「東亜同文書院大学」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%90%8C%E6%96%87%E6%9B%B8%E9%99%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6_(%E6%97%A7%E5%88%B6)
◎週刊誌『AERA』2001年12月24日号のカズオ・イシグロ日本講演に関する記事(伊藤隆太郎)
◎2009年7月20日の朝日新聞朝刊文化欄の記事「たそがれの愛・夢描く 初の短編集『夜想曲集』を出版」でノーベル賞について言及(土佐茂生)
◎2017年10月15日の朝日新聞朝刊読書欄の書評「忘れてはならない記憶の物語」(福岡伸一)
◎カズオ・イシグロと綾瀬はるかの対談記録(文春オンラインから)
http://bunshun.jp/articles/-/4425
◎2002年7月18日の朝日新聞夕刊のコラム・窓「望郷の念」(長岡昇)

≪写真説明&Source≫
◎作家カズオ・イシグロ
http://muagomagazine.com/1825.html