*メールマガジン「風切通信 30」 2017年7月27日

 7月初めに集中豪雨に襲われ、甚大な被害を受けた福岡県の朝倉市は今、どうなっているのか。今朝のニュースで、NHKが被災地のその後を伝えていました。道路が土砂で埋まり、まだ孤立状態の集落がある。災害ボランティアの人たちも、この村には来ることができないのだそうです。初老の男性は、自宅の床上1メートルの高さにまで達した濁流の跡を指さしながら、「家族で少しずつ片付けとります」と語っていました。

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 田んぼも畑も濁流に呑み込まれました。水が引いたサトウキビ畑は石ころだらけ。74歳の農民は小石を取り除く作業をしながら、淡々と「それでも(サトウキビ作りは)やめんよ。今まで、ずっとやってきたことじゃけん」と話していました。茎を傷めつけられながらも、サトウキビは生き抜こうとしている。彼はその力を信じているのです。

 私たちが暮らすこの国を誇らしく思うのは、こういう生き方に接した時です。豊かな水に恵まれ、緑に包まれた国、日本。その見返りのように、あらゆる天災が降りかかるこの国で、私たちは災害から免れることはできません。けれども、それに打ちのめされることなく、再び歩み始めることはできる。そういう気高い心を持つ人たちがそこかしこにいることを誇らしく思うのです。

 6年前、雪が舞う東日本大震災の被災地で、支援物資を受け取るため、静かに列に並ぶ人たちがいました。その時にも、同じ気持ちになりました。こんな時にこそ、声を荒らげることなく、いつものように振る舞う。「いずれ、支援の手がきちんと届くはず」。社会にそういう信頼感があるからこそ、被災した人たちのあの姿があるのだ、と。

 その映像は世界に衝撃を与えました。大規模な災害が起こり、ライフラインが破壊されれば、人々は飢え、生き残るために必死になります。支援物資が届けば、我さきに奪い取ろうとして、暴力沙汰になる。それが普通のことだからです。2005年夏にアメリカ南部がハリケーン・カトリーナに襲われた時も同様で、先進国も例外ではありません。被災者が静かに並んで支援物資を受け取る姿が世界に流れたのは、あれが初めてだったのです。

 生きかはり死にかはりして打つ田かな
 そういう姿を見るたびに、私は、市井の人々の暮らしを謳い続けた俳人、村上鬼城(きじょう)のこの句を思い出します。春先、固く締まった田んぼに三本鍬を打ち込み、一つひとつ掘り起こしてゆく。子どもの頃、冷たい雨に打たれながら鍬を振るっている姿を見て、粛然とした気持ちになったことを今でも覚えています。

 今では、トラクターが軽やかに土を掘り返していきますが、かつて田起こしは農作業の中でも、とりわけきつい労働でした。けれども、すべてはそこから始まります。次いで代(しろ)掻きをし、田植えをし、夏の草取りをして、ようやく秋の収穫を迎えることができるのです。命をつなぐための最初の仕事。だからこそ、代々、あのつらい仕事に耐えることができたのです。私には、三本鍬を振るう姿と被災者の姿が重なって見えてくるのです。

 被災地のその後を丁寧に伝えようとするNHKの取材陣にも頭が下がります。カメラをかついで徒歩で被災地を回り、また徒歩で戻ってその姿を伝える。「災害報道を担うのは自分たちだ」という気概が伝わってくる映像でした。息長く、丁寧な報道。成熟した社会でメディアに求められているのは、そういう仕事です。

 昨今、永田町や霞が関から流れてくるニュースは、ごまかしと嘘のオンパレード。何と醜悪なことか。被災地から伝えられる気高い心とのその著しいコントラストもまた、私たちの社会が抱える哀しい現実の一つです。気高さ、とは言わない。せめて、まともさを政治の世界にも広げられないものか。


≪参考サイト≫
◎ウィキペディア「平成29年7月九州北部豪雨」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%9029%E5%B9%B47%E6%9C%88%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E5%8C%97%E9%83%A8%E8%B1%AA%E9%9B%A8
◎ウィキペディア「村上鬼城」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E9%AC%BC%E5%9F%8E
◎「生きかはり死にかはりして打つ田かな」の解説
https://note.mu/masajyo/n/n200114148230


≪写真説明とSource≫
◎福岡県朝倉市の豪雨被災地(2017年7月7日撮影)
http://www.afpbb.com/articles/-/3134927