*メールマガジン「風切通信 13」 2016年9月30日
  
 大阪府と大阪市による二重行政の無駄と非効率を批判して「大阪都構想」を推し進めた橋下徹氏は、その言動から判断して「保守の政治家」に分類していいでしょう。東京の改革を訴えて都知事選に勝ち、築地市場の移転と東京五輪開催費用の検証に乗り出した小池百合子氏はもともと自民党の代議士ですから、間違いなく保守の政治家です。

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 東京と大阪。日本の核ともいうべき二つの大都市の改革がいずれも保守政治家の手で推し進められつつあるのは、今の日本の政治状況を端的に表しています。この国の変革を牽引するのは、かつて「革新」と呼ばれた政治勢力ではなく、保守の指導者だということです。皮肉なめぐり合わせのように思えますが、過去半世紀の歩みを振り返ってみれば、当然の帰結だったような気もします。

 かつての「革新陣営」の主体は、社会党と共産党でした。平和と護憲の旗印を掲げ、自民党の政権運営を「大企業中心」と批判し、働く者のための政治を訴えてきました。国際情勢や国家の安全保障は二の次、三の次。市場経済の厳しさと激しさも意に介さず、自民党と大企業の批判を繰り返していれば済んだのです。社会党の土井たか子委員長(1986ー1991年)が北朝鮮の日本人拉致について、「社会主義の国がそんなことをするはずがない。拉致は創作された事件」と断言したのは象徴的な出来事でした。

 1970年代に学生生活を送った私は、キャンパスで共産主義に触れ、マルクスや毛沢東の著作を熟読した人間の一人です。新聞記者になってからも「革新陣営の応援団」のような気分で取材していました。それが徐々に変わっていったのは、社会の現実に触れ、選挙取材で生身の政治家に触れるようになってからです。自民党には、清廉な政治家はほとんどいない。言うことにも理路整然としたところはない。けれども、懐の深い人が多く、何よりも「人々の心の襞(ひだ)」をよく理解していると感じました。人間として魅力を覚える人もいました。

 一方、革新陣営の政治家はどうだったか。その主張は自分の考えに重なるものでした。訴えていることも、もっともらしい。ですが、どこか虚ろで、深さが感じられない。人間味も足りない。何よりも、この国の政治を担い、社会を変えていくという気概が感じられませんでした。労働組合や左翼的な人たちが主な支持層で、それを越えて共感を広げていくことができませんでした。「恵まれない人々のための政治」を唱えながら、本当に苦しんでいる人たちに寄り添うことが十分にできなかった、と言ったら言い過ぎでしょうか。

 インドやアフガニスタンで取材を重ねたことも、「政治とは何か」を考えるうえで貴重な体験でした。カースト差別に打ちのめされ、宗教の違いを理由に暴虐の限りを尽くされる人々に出会って思ったのは「日本はなんて牧歌的な、恵まれた社会なんだろう」ということでした。民族と部族、宗教と宗派で分断され、いつまでも戦い続けるアフガンの人々からは「生き抜くことの厳しさ」を教えられたような気がします。抜け目なく考え、振る舞わなければ生きていけない社会でした。

 1995年にインドから帰国してみると、日本では政党の再編が花盛り。自民党と社会党の五五年体制は崩れ、合従連衡が始まっていました。名前を覚えきれないほどの政党の乱立と消滅。2009年の民主党政権の誕生はその一つの帰結とも言えるものでした。この時に民主党が掲げた「コンクリートから人へ」というスローガンは、日本の社会が向かうべき方向をある意味、的確に示していたのではないか。

 惜しむらくは、その政権を担う政治家たちに「1億2000万人の国家」を率いる責任の重さへの自覚がまるでなく、変革を推し進める覚悟も欠落していたことでした。大規模な公共事業の見直しは腰砕け。事業仕分けをつかさどった蓮舫氏は「2番じゃダメなんですか」と子どもじみた妄言を吐く始末。東日本大震災という未曽有の災害に襲われ、危機管理能力のなさを完膚なきまでに露呈してしまったのは不運でもあった、と言うべきかもしれません。

 実際に政権を担うことで、変革を唱えてきた政治家たちの力量と本性が露わになり、その政治勢力は瓦解してしまいました。民進党と名前を変えてみても、体質は変わりようがないでしょう。息も絶え絶えだった自民党は勢いを取り戻し、今や「一強多弱」の様相。あれだけの原発事故を経験しながら教訓とすることもなく、なお原発の再稼働と輸出をもくろむ政治家と政治は「羅針盤が壊れてしまった船とその操舵手」と言うしかありません。それに乗り合わせた恐ろしさ。日本は進むべき道から大きく外れ、厄災への道を静かに歩んでいる、と感じます。

 もはや「保守と革新」という区分けは意味がない。海図なき航海をしなければならない今という時代に、イデオロギーなど何の役にも立ちません。私たちは、進むべき道からどれほど外れてしまったのか。未来にどんな厄災が待っているのか。まず、それをしっかりと見つめなければなりません。そして、覚悟をもって患部に切り込まなければなりません。

 小池都知事は、東京五輪の準備作業や築地市場の移転問題になぜ、あのように果敢に挑むことができるのか。それは、東京選出の自民党代議士として、東京を舞台にして蠢く政治家や経済人の動きをつぶさに見て、その実態と闇の深さを知っているからでしょう。森喜朗・元首相や内田茂都議らがその闇の奥で何をしていたのか。石原慎太郎・元都知事が息子の伸晃代議士や宏高代議士かわいさから、どのように泥にまみれていったのか。詳細はともかく、その輪郭を知っているからこそ、「勝機がある」とみたのではないか。

 一人の政治家がその政治生命をかけて、東京の闇の切開手術に踏み切ったのです。心あるジャーナリストなら、その患部を照らし出す仕事をしてみてはどうか。まだ志を捨てていない検察官がいるなら、闇に蠢く人間たちを裁きの場に引きずり出す算段をしてみてはどうか。



≪写真説明とSource≫
◎東京五輪組織委員会の森喜朗会長
http://cyclestyle.net/article/2015/12/18/31004.html