*メールマガジン「小白川通信 26」 2015年4月7日

 沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)知事は5日、米軍普天間飛行場の移設をめぐって菅義偉(すが・よしひで)官房長官と会談し、次のように発言したと伝えられています。

「今日まで沖縄県が自ら基地を提供したことはない、ということを強調しておきたい。普天間飛行場もそれ以外の取り沙汰される飛行場も基地も全部、戦争が終わって県民が収容所に入れられている間に、県民がいるところは銃剣とブルドーザーで、普天間飛行場も含めて基地に変わった。私たちの思いとは全く別に、すべて強制接収された。そして、今や世界一危険になったから、普天間は危険だから大変だというような話になって、その危険性の除去のために『沖縄が負担しろ』と。『お前たち、代替案を持ってるのか』と。『日本の安全保障はどう考えているんだ』と。『沖縄県のことも考えているのか』と。こういった話がされること自体が日本の国の政治の堕落ではないかと思う」(琉球新報の電子版から)

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 翁長氏は自民党沖縄県連の幹事長を務めたこともある保守の政治家です。その彼が安倍政権の官房長官に向かって「日本の政治の堕落」という言葉を突きつけたのです。この言葉には、戦争中の沖縄戦の惨状や戦後の米国統治下での苦難、祖国復帰後も続く基地負担、そうした沖縄が背負わされたすべてのことに対する思いがこもっている、と感じました。政治の堕落――沖縄の基地問題に対する本土の政治家たちの対応は、自民党にしろ民主党にしろ、まったくその通りだと思うのです。

 300万人を超える日本人が命を落としたアジア太平洋戦争で、南方や北方の戦場を除けば、沖縄は唯一、住民を巻き込んだ地上戦が行われたところです。日本軍にとって、沖縄戦の位置づけは明白でした。「本土決戦までの時間稼ぎ」です。圧倒的な兵力と物量で押し寄せる米軍を1日でも長く釘付けにして、本土決戦の準備を整えるために時間稼ぎをしようとしたのです。

 その目的のために、沖縄の住民を文字通り根こそぎ動員しました。男たちを兵士として徴兵しただけでは足りず、町村ごとに義勇隊を組織し、男子生徒は鉄血勤皇隊、女子生徒はひめゆり学徒隊などと名付けて動員し、戦闘に投入しました。沖縄県平和祈念資料館によれば、沖縄戦の日本側死者は約18万8000人、その半数は一般の住民でした(米軍の死者は1万2520人)。

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 その献身ぶりとあまりの犠牲の多さに、当時の沖縄方面根拠地隊司令官、大田実・海軍少将は海軍次官あてに次のような電報を送っています(昭和20年6月6日付)。
「沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク 三十二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付 本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ 之ニ代ツテ緊急御通知申上グ
 沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ シカレドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ 残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノ・・・ニ中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ジアリタリ 而モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ(中略)本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形・・・一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」(・・・は判読不能の部分)

 海軍守備隊の司令官ですら「後世、特別のご高配をたまわりたい」と打電しないではいられなかったほどの犠牲を払った沖縄に、戦後の日本はどう報いたのか。報いるどころか、見捨てたのです。戦争が終わるやいなや、米国がソ連との対決色を強め、対ソ包囲網の一環として沖縄の軍事基地化を要求したからですが、共産主義の台頭を恐れる日本の指導層も自ら進んで沖縄を差し出したという側面があります。

 公開された米国の公文書によれば、昭和天皇は1947年9月、宮内庁御用掛の寺崎英成を通してGHQ(連合国軍総司令部)に次のような申し出をしています。
「アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。その占領はアメリカの利益になるし、日本を守ることにもなる。(中略)アメリカによる沖縄の軍事占領は、日本に主権を残存させた形で、長期の(25年から50年ないしそれ以上の)貸与をするという擬制の上になされるべきである」
(月刊誌『世界』1979年4月号所収、進藤榮一「分割された領土」から引用)

 見捨てられた沖縄の人たちは当時、このような申し出があったことを知るよしもなく、戦後27年間も米国の統治下に置かれました。そして、本土復帰を果たした後も基地は戻らず、国土の0.6%を占めるにすぎない沖縄にいまだに在日米軍基地の74%があるのです。「普天間基地を返してほしい」「辺野古(へのこ)にその代替基地を造るのは認められない」と叫ぶのを、誰が非難できるというのか。

 菅官房長官にしてみれば、「普天間基地の移設問題は長い間、歴代政権が米国と協議を重ねてきたことであり、辺野古への移設以外に選択肢はないのだ」と言いたいのでしょう。「沖縄振興のために3千億円台の予算を確保する」とも発言しています。新たな方策を見出すのが至難のわざであるのはその通りでしょう。しかし、これまでの沖縄の苦しみを思うなら、また昨年11月の沖縄県知事選で示された移設に反対する民意を尊重するなら、為すべきことはまだあるのではないか。少なくとも、木で鼻をくくったような「(辺野古への移設を)粛々と進める」といった言葉ではなく、もっと沖縄の人々の心に響く言葉があるはずです。

 沖縄の米軍基地問題は、あの戦争が終わって70年たつというのにまだ戦後が終わっていないこと、沖縄はいまだに見捨てられた存在であること、本土の政治家で本気になって沖縄の現状を変えようとする者がいないことを私たちに突きつけてきます。それは「政治の堕落」としか言いようのない現実であり、私たち一人ひとりにも「あなたは沖縄の痛みに思いを寄せたことがありますか」という問いとなって返ってくるのです。
(長岡 昇)

《Sourceとリンク》
翁長雄志・沖縄県知事の冒頭発言全文(琉球新報電子版)

菅義偉・官房長官の冒頭発言全文(同)

大田実・沖縄方面根拠地隊司令官の電文

《写真説明とSource》
翁長雄志・沖縄県知事
http://tamutamu2011.kuronowish.com/onagatijisyuuninn.htm
ふじ学徒隊の女子生徒たち
http://www.qab.co.jp/news/2012052935780.html