*メールマガジン「小白川通信 17」 2014年8月17日


 戦争をしている国が敵国の使っている暗号を解読するということは、どういうことを意味するのでしょうか。ポーカーや麻雀を例にとれば、分かりやすくなります。対戦相手の後ろに立っている人がその相手の手の内をすべて教えてくれるのと同じです。暗号の場合は、暗号解読を担当する人たちが「後ろに立っている人」に当たります。

 ゲームでは、後ろに立っている人が仲間に対戦相手の手の内を教えるのは「八百長」と呼ばれますが、戦争で暗号を解読するのは「極めて重要な戦闘」の一つです。同じような戦力、国力であっても、暗号を解読されてしまえば、まず勝ち目はありません。戦略や戦術、作戦をすべて見透かされてしまうわけですから、戦えば悲惨な結果になることは目に見えています。日本外務省の暗号は1941年の真珠湾攻撃のずっと前から、日本海軍の作戦暗号も1942年の春ごろから解読されていました。手の内を知られていたわけですから、海軍の暗号が解読されてからは、どんなに死にもの狂いになろうとも勝てるはずがなかったのです。

小白川17 海軍の暗号書.jpg
日本海軍の暗号書の一部(長田順行『暗号 原理とその世界』から)

 当然のことながら、第2次大戦の前から、日本もドイツも暗号の重要性はよく分かっていました。ですから、「絶対に解読されない暗号システム」をそれぞれ開発し、運用しているつもりだったのです。日本海軍の場合には、よく知られているように重要な作戦暗号(いわゆるD暗号)は「数字5ケタの暗号」でした。5ケタの数字の組み合わせは10の5乗、つまり10万通りあります。(実際には通信兵が検算しやすいように、そのうちの3の倍数のみを使用)。その5ケタの数字を組み合わせて、「49728」は「連合艦隊」、「20058」は「連合艦隊司令長官」を表す、といった具合に打電していました。地名についてはそのまま表現することはせず、例えばミッドウェー島を「AF」という略号で表し、たとえ解読されてもそれがどこを意味するか分からないように工夫していました。また、すべての単語を5ケタの数字にすると暗号書が分厚くなりすぎて戦場で使いにくいため、仮名や数字にも5ケタの数字を割り振って運用していました。

 もちろん、こうした5ケタの数字だけで無線通信を交わせば、比較的簡単に暗号解読者に解読されてしまいます。お互いに専門家を集めて、解読にしのぎを削っていたのですから。そこで、5ケタの数字にさらに5ケタの「乱数」を加えて、その数字をモールス信号で発信していました。多くの乱数を用意し、それと組み合わせることで、5ケタの数字の組み合わせは天文学的な多様さを生み出します。それでも、理論的には解読は可能ですが、手作業で解読しようとすれば、「1000人がかりで10年かかる」といった状態になります。10年後であれば、たとえ解読されたとしても実害はなく、そのシステムは事実上「解読不可能なシステム」のはずだったのです。

 ではなぜ、日本とドイツの暗号は解読されてしまったのでしょうか。いくつかの原因が折り重なっており、戦闘の中で重要な暗号書が米英軍の手に落ちてしまったといったこともあったようですが、私は「手作業で解読する」という前提条件が崩れてしまったことが最大の要因だった、とみています。英国と米国は数学者や統計学者、言語学者、文化人類学者らを総動員して解読に当たると同時に、解読のための解析に「電気リレー式の計算機」を利用しました。そしてほどなく、より計算速度の速い、真空管を使った「電子計算機」を開発して、暗号解読に活用するに至ったのです。「1000人がかりで10年かかる」はずのものが「数時間で計算し、解析できる」――それは日本もドイツも想定していなかった事態でした。「総合的な知力の戦い」と「科学技術の軍事への応用」の両面で、日本とドイツは英米に敗れたのです。

 その実態は、前回の通信で紹介した暗号関係の本を読めば、うかがい知ることができます。そして、第2次大戦中の熾烈な暗号解読の戦いの中で、電気計算機や電子計算機は飛躍的な発展を遂げ、それが現在のコンピューターやIT技術の基礎になったのです。このあたりの事情を知るためには、大駒誠一・慶応大学名誉教授の労作『コンピュータ開発史』(共立出版)を参照することをお薦めします。

 英国と米国はそれぞれ、英国はドイツ、米国は日本の暗号解読を主に担当し、その手法と成果を共有しましたが、第2次大戦後もその緊密な協力関係は続きました。そしてさらに、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドを加えた英語圏5カ国が「情報収集と暗号解読の連合」を組み、冷戦の主要な敵であるソ連や中国の暗号の解読にあたりました。長い間、「ソ連の暗号は強力で米国はついに解読することができなかった」と信じられていましたが、現実にはソ連の暗号の解読にもかなり成功していたことが明らかになっています。それを詳しく紹介しているのが1999年に出版された『Venona : Decoding Soviet Espionage in America 』(邦訳『ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動』PHP研究所)です。

 「ソ連の暗号が解読されていた」というのは、乱数を巧みに織り込んだソ連の複雑な暗号システムを知る者にとっては実に驚くべきことですが、それ以上に衝撃的なのは、米英を中心とする5カ国が2001年の9・11テロ後に乗り出した「情報収集活動」です。彼らは「テロとの戦い」という旗印の下で、暗号の解読にとどまらず、あらゆる有線・無線通信、インターネット空間を飛び交う情報の収集と解析を始めたのです。

 9・11テロの後、その活動は「エシュロン」プロジェクトという名称でおぼろげに浮かび上がり、国際社会で一時問題になりかけましたが、「ならば国際テロ組織とどうやって戦うのか」という恫喝めいた圧力の中で、追及は尻すぼみに終わってしまいました。そのプロジェクトの中心になり、牽引役を果たしているのが米国の国家安全保障局(NSA)と英国の政府通信本部(GCHQ)です。両者の活動はその後、ますますエスカレートしていきました。権力の監視役を果たしてきた米国のジャーナリズムもその中に取り込まれていき、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストといった新聞ですら、十分に追及できないような状況が生まれてしまいました。「何よりも優先しなければならないのはテロとの戦いだ」という風潮が法の支配や表現の自由を覆い尽くしてしまったのです。

 彼らは何をしているのか。2013年、その内情を完膚なきまでに暴露したのがエドワード・スノーデンでした。NSAやCIA(米中央情報局)でコンピューターのセキュリティ担当者として働いていたスノーデンは、ある時から「これは言論、出版の自由をうたった合衆国憲法に違反する」と思い始め、周到な準備を重ねて内部告発に踏み切ったのです。内部告発する相手として、ニューヨーク・タイムズなどの大手メディアを避けたのも、上記のような米国の言論状況を考えれば、当然の選択だったのです。

小白川17 スノーデンの写真.jpg
Edward Joseph Snowden

 スノーデンが内部告発の相手として選んだのは、米国の権力機関からの圧力を避けるためブラジルを拠点に活動していたフリージャーナリストのグレン・グリーンウォルドでした。そして、グリーンウォルドと手を組んで果敢な報道を展開したのは英国の新聞ガーディアンの米国オフィス(ウェブメディア)です。伝統的な活字メディアではなく、インターネット上で情報を発信するジャーナリストが権力の濫用を追及する主役に躍り出た、という意味でも、スノーデンの内部告発は画期的な意味を持っています。

 彼が内部告発に至るまでの経過は、まるでアクション映画のようです。グリーンウォルドの著書『暴露 スノーデンが私に託したファイル』(新潮社)と、ガーディアンの記者ルーク・ハーディングが著した『スノーデンファイル』(日経BP社)はどちらも、実にスリリングで刺激的な本です。と同時に、NSA(米国家安全保障局)やGCHQ(英政府通信本部)はそんなことまで行っているのかと驚愕し、ついにはおぞましさを覚えてしまうほどです。

 NSAは外国諜報活動監視裁判所(諜報活動を規制するため1978年に設立された米国の秘密裁判所)の令状を得て、プロバイダー会社にデータをすべて提供させる。グーグルやヤフー、フェイスブック、アップルにもすべてのデータを提供させる。海底ケーブルを使う有線通信もバイパスを作ってすべて覗き見る――要するに、すべて。「穴があればテロリストに悪用される」という理由で、彼らはすべてのデータへのアクセスを通信会社やIT企業に要求し、裁判所もそれを追認しているというのです。

 英国の作家ジョージ・オーウェルは代表作『1984年』ですべての行動が当局によって監視される社会を描き、全体主義への警鐘を鳴らしましたが、皮肉なことに、スノーデンの内部告発は「自由の国」アメリカが自分たちの憲法すら踏みにじって監視社会への先導役となり、その完成に向かって邁進していることをあぶり出したのです。

 「発言や行動のすべて、会って話をする人すべて、そして愛情や友情の表現のすべてが記録される世界になど住みたくない」。スノーデンは告発の動機をそう語っています。その彼が、南米への亡命を望んでいたにもかかわらず、米国の強烈な圧力のせいで受け入れてもらえず、トランジットのつもりで立ち寄ったロシアで亡命生活を送らざるを得なくなってしまいました。自由を求めて立ちあがった者が、旧ソ連の強権体質を受け継ぎ、いまだに言論弾圧を繰り返している国に庇護を求めるしかなかった――なんという不条理、なんという巡り合わせであることか。
(長岡 昇)

*エドワード・スノーデンの写真:Source
http://www.csmonitor.com/USA/2013/0609/Edward-Snowden-NSA-leaker-reveals-himself-expects-retribution