*メールマガジン「小白川通信 13」2014年6月9日


涙があふれ
滂沱(ぼうだ)と流れ落ちる時
それは悲しみ

涙が一筋
頬をそっと伝う時
それは哀しみ

悲劇はこの世の闇の深さを人に伝え
哀歌は人の心にひそむ切なさを刻む

悲しき者は
過ぎ去った日々を悔やみ
哀しき者は
残された日々を慈しむ

悲しみは沈み、哀しみはたゆたう

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ミヤコワスレ(都忘れ)  山形に帰郷して知った花の一つ


 1980年代、駆け出しの記者だった頃、朝日新聞の国際面に「喜怒哀楽」というタイトルの付いた記事がありました。各地の特派員が1ページをほぼ全部使って、任地で起きた政変や事件、事故、あらゆることの背景と意味を随時、ゆったりと綴る欄でした。地方支局で小さな事件や事故を追いかけ、他社にスクープされた特ダネの追っかけ記事をデスクに怒られながら書いていた頃、よく読んでいました。大好きな欄でした。

 なのに、外報部に配属されて自分が国際報道に携わるようになった時には「喜怒哀楽」はもう消えていました。代わりに登場したのは、物事が動いたら即刻、息せき切ってその背景を書き飛ばす「時時刻刻」や、片肘張った感じの「特派員報告」という大型解説記事でした。どちらも好きになれないタイトルでしたが、「喜怒哀楽」のようなゆったりした記事を書くことは、もう時代が許さなくなっていたのかもしれません。

 さらに時が過ぎ、今の記者はより一層スピードを求められるようになりました。なにせ、インターネット用に「電子版」の記事も出稿しなければなりません。「時時刻刻」というタイトルもあまり見かけなくなりました。時計の長針と短針どころか、秒単位のスピードを求められる時代、タイトルそのものが時代にそぐわなくなってしまったからでしょうか。

 それでも、かつての「喜怒哀楽」というタイトルには愛着が尽きません。この世のすべての感情と情念が込められているように感じるからです。ちっとも理性的でなく、しばしば感情をほとばしらせてしまう人間としては、「それ以外に何があると言うのか」と言いたくなってしまうのです。

 この四文字熟語に接するたびに心にうずくものもあります。「どの国のことを報じる時でも、喜怒哀楽をバランス良く伝えなければならない」と頭では分かっているのに、私が書く記事はいつも「怒」と「哀」の記事ばかりでした。持ち場が血なまぐさいことの多いアジアだったということを割り引いても、人々の喜びと楽しみに目を向けることのできない記者でした。どんなに悲惨な戦地にも、普通の人々の普通の暮らしがあり、その暮らしの中で喜びを見出して生きる人がいるのに、その姿を記事にする力量を欠いていました。

 「育ちが暗いから」と自分で言い訳をしてきましたが、やはりそれでは済まされないものがあります。その罪滅ぼしの気持ちもあって、「喜怒哀楽」の中で一番好きな「哀」という言葉のことをずっと考えてきました。メールマガジン「小白川通信」の再開にあたり、その罪滅ぼしの営みの断片を掲げます。

*2月のメールマガジンで小保方さんの「万能細胞」発見を激賞したら、その後、雲行きが怪しくなり、ついには「懲戒処分」が取り沙汰される事態になってしまいました。それで気落ちしたこともありますが、細かい体調不良もあって配信を休んでいました。ようやく「書く元気」を取り戻しました。また、ポツポツと書いていきます。
(長岡 昇)