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「一つずつ小さなことを積み重ねていく。何かを成し遂げるためには、そうするしかない」

志半ばで凶弾に斃(たお)れた医師、中村哲さんはそう語っていた。パキスタンの辺境で貧しい人たちの治療にあたっていたものの、「飢えや渇きは医療では治せない」と思い定め、アフガニスタンで井戸を掘り、農業用水路を造ることに力を注いだ。「生きておれ。病気は後で治す」と。

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指図する人ではなかった。自らスコップを握って大地を掘り、もっこを担いで土を運んだ。農民と一緒に汗を流し、生きる道を切り拓いていった。

30年前、アフガニスタン内戦を取材した際に、ペシャワルの診療所で中村哲さんと言葉を交わしたことがある。口数は少なく、野武士のような人だった。「こんな所にいないで、現場に行って、何が起きているか自分の目で見てきなさい」と背中を押されたような気がした。

それから、私はアジア担当の新聞記者として各地を転々とし、混沌とした国々を見てきた。退職して、今は生まれ育った村に戻って暮らしている。すこぶる平和だ。けれども、私たちの国は戦争をしている国とは異なる厳しさに直面している、と感じる。社会の仕組みを大きく変えなければならないのに、それができずにもがいている。

仕組みを変えられない理由はハッキリしている。年寄りが多すぎて、しかも権限と権益を手放さないからだ。情報技術(IT)革命の大波にもまれているのに、その意味もインパクトのすさまじさも分からない人間が決定権を握って放さない。昔の成功体験にこだわっていてはいけないのに、その延長線上でしか物事を考えることができない。ならば、身を引いて、若い人たちに舵取りを任せるべきなのだ。

山形県の吉村美栄子知事(68歳)は「知事は私の天職」と口にしたと聞いた。「転職」の聞き間違いではない。困ったものだ。今の時代、ITの衝撃度が分からない指導者は「羅針盤が読めない船長」と同じだ。乗り合わせた客は、悲惨な航海を覚悟しなければならない。

山形県庁という船の船長室には、義理のいとこの吉村和文氏がしょっちゅう出入りしている。彼が率いる企業や法人が県庁からどのような物品を受注し、どのような業務を受託しているのか。これまで調べた結果を月刊『素晴らしい山形』に寄稿してきた。表1は、それをまとめたものである。総額で36億円近い。

2009年に吉村美栄子氏が知事になった途端、和文氏が経営するケーブルテレビ山形が突如として、山形県からパソコン(NEC製)を続けて受注するようになった。総額2億3927万円。ケーブルテレビ会社が入札でパソコン販売を得意とする会社を次々に打ち負かすことができたのはなぜか。いまだ謎である。

NECはこの時期、山形県の米沢市に工場を持ち、パソコンを製造していたが、その後、中国のパソコンメーカー、レノボにこれを譲渡した。2012年度以降、受注が途切れたのはそのことが影響していると考えられる。

先月号で伝えたように、NECは2018年に山形県立病院の医療情報システムを37億円で受注した。「パソコンの落札はこれと連動している」との見方もあるが、NEC側は「パソコンに関しても医療情報システムに関しても、和文氏の会社とは販売契約を結んでいない」と、関係を否定している。

ケーブルテレビ山形は1992年に、郵政省(のち総務省)の電気通信格差是正事業の補助金受け皿会社として吉村和文氏がつくった会社だ。表2のように、山形県や山形市、天童市など六つの自治体が合わせて2900万円出資した。いわゆる第三セクター会社で、ケーブルテレビ網の敷設費の半分が補助金でまかなわれた。

当初、順調だったケーブルテレビ事業がその後、IT革命の進展で苦境に陥った経緯はすでに報告した通りである。図1に見るように、本業の売上高は年々、減っており、県庁からの受注や受託でしのいでいる状況だ。社名も2016年1月に「ダイバーシティメディア」に変更した。

和文氏は事業の多角化を進め、2014年度以降は山形県が外注した県内周遊促進のキャンペーン事業を連続して受託している。その最初の業務委託が「出来レース」のような形で行われたことは、2019年2月号で詳しく報告した。

和文氏の会社と県内の民放4社、合わせて5社を指名してコンペ方式で競わせたのだが、事業の仕様書には民放テレビには対応できない項目が含まれていた。ゆがんだ発注というよりは、県幹部による「限りなく不正行為に近い発注」と言っていい。この事業での受託総額は1億2035万円になる(共同企業体としての受託分を含む)。

吉村美栄子知事が新しい事業を始めるたびに、和文氏の会社が登場する。知事は2016年から「いきいき雪国やまがた」なる標語を掲げて、安全な雪国暮らしや冬の観光の推進事業を始め、ウェブサイトの制作を発注した。これを139万円で受注したのもこの会社である。しかも、そのサイトの制作を担当したのは和文氏の長男だ。

「ミニ新幹線ではなく、フル規格の奥羽新幹線と羽越新幹線を実現しよう」と知事が呼びかけ、新しい事業が始まれば、またダイバーシティメディアが顔を出す。2018年に「奥羽・羽越新幹線整備実現同盟」のシンポジウムの開催や広告業務を1817万円で受託した。県発注のさまざまな事業で、知事と義理のいとこの名前が並ぶ契約書が交わされる。

それでも、これら3分野の落札・受託の総額は3億7920万円にとどまる。公金支出の大部分を占めるのは私学助成である。表1の通り、情報公開された2012年度以降の助成金は32億円を上回る。36億円近い総額はここまでの集計だ。

2009年度から2011年度の私学助成に関する文書は保存期間が過ぎており、文書がないため具体的な金額は不明だが、東海大山形高校を運営する学校法人東海山形学園にはこの間も億単位の助成金が支給されているのは間違いない。私学助成はおおむね、生徒数や教職員数に応じて配分されるからだ。図2の生徒数の推移から判断すれば、助成額は年間2億円前後とみられる。

これらの助成金を含めれば、吉村美栄子氏が知事に就任した2009年以降の10年間で、吉村和文氏が率いるダイバーシティメディアと学校法人東海山形学園に支出された公金(国費と県費の合計)は40億円を上回る。

和文氏はこの会社と学校法人のほかにも、映画館会社やプロバスケットボールチームの運営会社など多数の企業を率いている。これらの会社にもさまざまな形で公金が支出されていることは言うまでもない。

とはいえ、受け取る公金の巨額さという点で、やはり学校法人東海山形学園は群を抜いている。グループ企業・法人の大黒柱と言っていい。

この学校法人の前身は、1956年につくられた山形経理実務学校である。山形大学人文学部で会計学の教授をしていた安田三代人(みよと)氏が実務者の養成をめざして創立した夜間学校だ。その後、安田氏の母校、一橋大学にちなんで一橋高等経理学校、一橋商業高校と名を変え、東海大学との提携を機に現在の東海大山形高校という校名になった(表3参照)。

1995年に安田三代人氏が亡くなった後、高校を運営する学校法人の理事長は、息子の直人氏(歯科医)が継いだ。もともと吉村一族との縁が深く、吉村和文氏も理事に名を連ねていた。その学校法人で異変が起きたのは2011年の3月6日、東日本大震災の5日前のことだった。

臨時の理事会が開かれ、安田直人理事長の解任と吉村和文氏の理事長就任、新校長人事の撤回が次々に決議された。背景にあったのは安田理事長と教職員組合との対立だ。生徒数の減少から経営難に陥って教職員にボーナスが払えなくなり、理事長は激しい突き上げを受けていたという。

「そこに和文氏が『仲裁してやる』と入ってきて、いつの間にか乗っ取られてしまった」と安田直人氏は言う。事務長として経理を担当していた妻も追い出された。ただ、教職員側の事情を証言してくれる人が見つからず、この間の詳しい経緯は判然としない。東日本大震災の報道にかき消されたのか、騒動のその後を伝える新聞記事も見当たらない。

理事長に就任した後、吉村和文氏は新しい校長の任命など矢継ぎ早に手を打ったようだ。理事会の態勢固めにも抜かりはない。彼のブログ「約束の地へ」(2012年8月23日)によれば、震災の年の夏から、理事と評議員、監事の合同暑気払いを山形市内の料亭で行うようになった。「山形の花柳界の歴史と文化に触れるため」という。

「なかなか粋な計らい」と言いたいところだが、花柳界を知ることが高校の教育にどうつながるのか、理解不能である。それよりも、「毎年、億単位の私学助成を受けている学校法人の理事長が月に数回しか学校に顔を出さない」ということの方が気になる。

本来なら、学校法人を指導監督する山形県学事文書課は「理事長については原則、常勤とする」という文部科学省の事務次官通知(2004年)に沿って、是正を求めるのが筋だ。だが、学事文書課長は「通知を各学校に伝えました」と言うだけだ。

吉村和文氏が2016年3月に東海山形学園の資金3000万円を自分が社長を務めるダイバーシティメディアに融資した問題についても、課長は「監査報告書を見る限り、契約は適正と考える」と答え、吉村知事も「(学校法人が)適切に運営されているのであれば、よろしいのではないか」と応じた。

誰も、この問題に真剣に向き合おうとしない。東海山形学園の場合、学校法人を代表する権限を持っているのは理事長だけである。その理事長が社長をしている会社と金の貸し借りをすれば、明らかに「利益相反行為」になり、この融資については法人の代表権を失う。

つまり、この金銭貸借契約はこのままでは無効なのだ。だからこそ、私立学校法は「所轄庁(この場合は山形県)は、利害関係人の請求により又は職権で、特別代理人を選任しなければならない」と定め、第三者に融資内容をチェックさせるよう求めているのだが、吉村知事は、法律も文部科学省の通知も気にならないようだ。

再選、三選と無投票当選を重ね、知事は「ミニ女帝」と化している。周りには諫(いさ)める人もいない。山形の自民党には対立候補を立てる気概もなさそうだ。地元の新聞はもとより、頼りにならない。当てもなく、船は荒海を進む。


*メールマガジン「風切通信 67」 2019年12月24日
*このコラムは、月刊『素晴らしい山形』の2020年1月号に寄稿した文章を転載したものです。


≪写真説明&サイト≫
◎2018年7月の後援会総会で挨拶する吉村美栄子山形県知事(吉村みえこ Official Website から)
http://yoshimuramieko.com/2018/07/28/%E5%90%89%E6%9D%91%E7%BE%8E%E6%A0%84%E5%AD%90%E5%BE%8C%E6%8F%B4%E4%BC%9A%E3%83%BB%E5%B1%B1%E5%BD%A2%E7%B5%8C%E6%B8%88%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%BC%9A%E5%90%88%E5%90%8C%E7%B7%8F%E4%BC%9A-2/



≪参考資料&サイト≫
◎山形県のパソコン調達に関する文書(2009ー2018年度の入札調書、契約書など)
◎山形県の県内周遊促進事業(観光キャンペーン)の業務委託に関する文書(2014年度以降)
◎山形県の「いきいき雪国やまがた」の2016年度業務委託に関する文書
◎山形県の2018年度「奥羽・羽越新幹線の整備推進に向けた広報・啓発等事業」に関する文書(業務委託契約書など)
◎山形県の学校法人東海山形学園に対する私学助成に関する文書(2012ー2018年度)
◎ケーブルテレビ山形に対する山形県、山形市、天童市、上山市、山辺町、中山町の出資に関する文書
◎ダイバーシティメディア(旧ケーブルテレビ山形)の決算書(2009年3月期ー2019年3月期)
◎同社の株主総会配布資料
◎山形県教育委員会の学校名鑑(2009ー2018年度、県教委のサイトから)
◎『学校法人一橋学園 東海大学山形高等学校 50周年記念誌』(東海大学山形高等学校発行、2007年3月31日)
◎東海山形学園の安田理事長解任に関する山形新聞の記事(2011年3月8日、3月9日)
◎吉村和文氏のブログ「約束の地へ」(2012年8月23日、2016年8月27日)
https://ameblo.jp/stokimori/day-20120823.html
https://ameblo.jp/stokimori/day-20160827.html




地方紙を購読している人は、今日(12月22日)の朝刊に公文書の管理に関する大きな記事が載っているのに気づいたのではないか。私が暮らしている山形の地元紙は「公文書専門職 1000人養成」「政府方針 2021年から認証開始」と、1面トップで報じた。ブロック紙の中日新聞も同じ記事を掲載しているから、地方紙などに記事を配信している共同通信の特ダネだろう。

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記事に目を通して、あきれた。公文書の管理をよりしっかりしたものにするため、政府は公文書管理の専門職(アーキビスト)の公的な資格認証制度をつくる方針を固め、2021年から認証を始めるのだという。お題目はその通りでも、本当の狙いはまるで違うだろう。

安倍政権の下では、森友学園問題で公文書を改竄し、加計学園問題では愛媛県が作成した文書を「怪文書」扱いするなど、公文書をめぐる不祥事が相次いだ。それでも懲りず、首相主催の「桜を見る会」騒動では、招待客のリストを手際よくシュレッダーにかけて廃棄した。

「それらを深く反省し、公文書の管理をしっかりしたものにするため専門職を養成する」と言えば、聞こえはいいが、安倍首相や政権の幹部、官僚たちがそんな殊勝なことを考えているとは思えない。不祥事を利用して新しい事業を始め、官僚の天下り先をまた一つ増やそう――それを狙っているのではないか。政権への批判をかわすのにも役立つ、と。実にあくどい。

共同通信の記事には「現在は民間資格に基づく少数のアーキビストしかおらず、欧米の先進国に比べて態勢の不備が指摘されている」とある。「公文書の管理でも欧米先進国に追いつくための良い政策」と印象づけたいのだろう。官僚が用意した文言を引き写したに違いない。情けない。

共同通信は9月に関西電力・高浜原発がらみの巨額裏金疑惑をスクープした。金沢国税局の税務調査を基にした、実に見事な特ダネだった。が、今回の「特ダネ」はこれとは真逆である。安倍政権の高官か官僚が意図的にリークしたものを膨らませて書いた、いわば「おこぼれスクープ」だ。

本文で「民間にも公文書専門職(アーキビスト)の資格認証制度がある」と書いているのに、その具体的な内容を、本文でも解説記事でもまったく報じていないのだ。詳しく伝えると“スクープ”の迫力が損なわれてしまうので意図的に軽く触れるに留めた、としか思えない。

ネットで調べたら、すぐに分かった。この「民間の資格認証制度」とは、日本アーカイブズ学会が2012年から始めた制度のことだ。確かに「公的な制度」ではないが、制度を運用しているのは日本カーカイブズ学会というきちんとした団体である。すでに100人近い専門家がアーキビストとして認定されている。

この学会は、2004年設立と歴史は浅いが、日本学術会議の協力学術団体であり、しっかりした組織だ。初代の会長は学習院大学文学部の高埜(たかの)利彦教授、二代目の現会長は人間文化研究機構の高橋実教授。公文書の管理はどうあるべきか。そのためにアーキビストをどのようにして養成、認証していくか。それを真剣に考え、実践してきた人たちがつくった学会である。

こういう人たちがつくった認証制度なら、安倍政権の下で公文書の改竄と廃棄に励んできた官僚たちがこれから作ろうとしている「公的な資格認証制度」などより、はるかに信頼できる。公的な制度をつくるとなれば、また新しい外郭団体ができ、官僚の天下り先になるに決まっている。不祥事をテコにして権益の拡大を図る、得意の手口ではないか。

それが透けて見えるなら、少なくとも解説記事では「歴代の自民党政権は『民間の力を活用する』と言ってきた。きちんとした民間の認証制度がすでにあるのだから、税金を使って屋上屋を架す制度をつくる意味があるのか」くらいのことが書けないのか。

この特ダネを書いた記者は日頃、永田町の首相官邸や霞が関の官庁に張り付いて取材しているのだろう。権力周辺の悪臭にどっぶりと漬かり、いつの間にか記者として欠かせないバランス感覚まで失ってしまったとしか思えない。

日々、次々に起こることを追いかける記者の仕事はきつい。他社を出し抜くスクープを放つのはより難しい。さらに、権力が仕掛ける罠にかからないようにするのはもっと難しい。報道という仕事の困難さとほろ苦さを感じさせてくれる記事ではあった。

*メールマガジン「風切通信 66」 2019年12月22日



≪写真説明&Source≫
◎「公文書専門職の養成」を報じる山形新聞の1面

≪参考記事&サイト≫ *ウィキペディアのURLは省略
◎12月22日付の山形新聞、中日新聞(電子版)
◎日本アーカイブズ学会(ウィキペディア)
◎日本アーカイブズ学会の公式サイト
http://www.jsas.info/


パキスタン北西辺境州の古都、ペシャワルで医師の中村哲さんに初めてお会いしたのは1989年の春、今から30年も前のことです。ペシャワル郊外に診療所を開き、周辺の貧しい人々やアフガニスタンから逃れてきた難民の治療にあたっていました。

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「らい病や眼病、感染症の患者が多い」。口数は少なく、問われたことに簡潔に答える。「野武士のような人だなぁ」と感じたことを覚えています。

当時のアフガニスタンは、2月に駐留ソ連軍が完全に撤退し、内戦が「ソ連軍とそれに支えられた社会主義政権 vs 米欧が支援するイスラム反政府ゲリラ」という米ソ代理戦争の構図から、「アフガン人同士の血で血を洗う内戦」という、より熾烈な段階に移行しつつある時期でした。

長い内戦で、隣国のパキスタンとイランにはすでに500万人の難民があふれていましたが、戦闘が激しくなり、両国には新たな難民が次々に流れ込んでいました。乾燥した大地に無数のテントが張られ、難民たちは照り付ける太陽に傷めつけられていました。

「難民キャンプにたどり着いた人たちはまだいい。報道陣が行かない国境地帯の状況はさらに悲惨だ」。中村さんは、そう言いました。「何が起きているのか、自分の目でしっかり見なさい」。そう諭されているように感じました。

その後、私のアフガン出張は十数回に及びました。首都カブールや主要都市だけでなく、できるだけ多く、農村にも足を運びました。村人の目にこの戦争はどんな風に映っているのか。それも伝えたい、と思いました。中村さんの言葉が心の片隅に残って消えなかったのかもしれません。

アフガニスタンの主要民族、パシュトゥンには「パシュトゥン・ワリ」という掟があります。まず、名誉を重んじること。次に、客人を歓待すること。それが良く守られていて、当時は外国人に危害を及ぼすことはほとんどなく、比較的自由に動き回ることができました。

それが大きく変わったのは、タリバーン政権の誕生と2001年の米同時多発テロのころからです。報復のため米軍がアフガンに攻め込み、タリバーン政権を倒し、オサマ・ビンラディン率いるアルカイダ勢力を一掃しましたが、国内はより混沌とした状況に追い込まれました。客人歓待の掟など忘れ去られ、外国人が襲われるようになってしまったのです。

そうした中でも、中村さんはアフガニスタンに通い続け、活動の軸足を医療から農村振興へと移していきました。「飢えや渇きは医療では治せない」という信念からです。安全な飲み水がないため赤痢で次々に命を落とす村人たちを救うために、井戸を掘る。戦争で破壊された農業用水路を復活させ、村人たちが生きていけるようにする。その活動ぶりは、著書『医者 井戸を掘る』(石風社)で詳しく知ることができます。

中村さんの活動が欧米の援助団体と異なるのは、村人たちの身の丈にあった支援に徹したことです。井戸掘りには、中田正一さん(故人)が主宰する「風の学校」の協力を得ました。中田さんは、日本に昔から伝わる「上総(かずさ)掘り」の技法を活かした井戸掘りを世界に広めた人です。竹と綱を使って井戸を掘る技法です。

用水路の取水堰をつくるにしても、日本の伝統的な技法を活用しました。江戸時代に築かれ、今でも使われている福岡県朝倉市の山田堰などを参考にした、と伝えられています。アフガンの農民たちが手にすることができるもので作り、維持することにこだわったのです。

それが農民たちをどれだけ勇気づけ、励ましたことか。民族や部族の利害が複雑にからまり、危険きわまりないアフガニスタンで中村さんが活動を続けることができたのは、その人柄に加え、こうした仕事ぶりに地元の人たちが絶大な信頼を寄せていたからでした。

その中村さんが銃で撃たれ、亡くなりました。アフガニスタンの人々、そしてアフガンを思う人たちに与えた衝撃の大きさは計り知れません。

「私は旅をしてきた。人の何倍か余計に生きた気がする。この旅はいつまで続くのだろう。今後も現地活動は際限がない。だが、そこに結晶した心ある人々の思いが、一隅の灯りとして、静かに続くことを祈る」

中村さんは『医は国境を越えて』(石風社)の結びにそう記しました。そう、中村さんが倒れても、灯りは消えず、人々の営みは静かに続く。信じて赴く者がいる限り。


*メールマガジン「風切通信 65」 2019年12月5日

≪写真説明&Source≫
◎中村哲・医師 (Zaheer Asefi さんのfacebook から)

≪参考サイト≫
◎上総掘りの技法(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=xzZp9flWZZw
◎山田堰の構造(動画)
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO92614040Y5A001C1000000/