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*メールマガジン「風切通信 28」 2017年5月25日

 かつて、この国には「ブルドーザー宰相」と呼ばれた政治家がいました。新潟が生んだ鬼才、田中角栄氏です。苦労を重ねて首相まで上り詰めた人だけあって、人々の心の襞(ひだ)をよく知り、一方で利権漁りも得意でした。公共事業がらみの情報をいち早く入手して土地を転がし、土建業界から得た資金で政界を牛耳り、日本列島改造論をぶち上げました。「ブルドーザー宰相」と呼ばれた所以です。

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 その内実が立花隆氏の論考『田中角栄研究ーその金脈と人脈』(1974年)で暴かれ、2年後にはロッキード事件が発覚して、角栄氏は政治の表舞台から消えていきました。これ以降、土木建設工事をめぐって談合事件の摘発や報道が相次いだこともあって、公共事業や土地転がしで巨利を得るのは段々と難しくなっていきました。

 代わって、政治家の金づるになったのが株取引です。その象徴的な事例が、値上がり確実な未公開株を政治家や官僚にばらまいて便宜を図ってもらったリクルート事件(1988年発覚)でした。この事件には多くの政治家や官僚が関与し、当時の竹下登首相は辞任、藤波孝生(たかお)官房長官は受託収賄罪で有罪判決を受けました。

 公共事業で利権を漁るのはダメ。株取引で甘い汁を吸うのもいけない。ならば、政治家はどうやって資金を得ればいいのか――。1990年代に政治改革論議が高まり、政党交付金の制度ができたのは、そうした政治家の悲鳴に応えた面もありました。「税金で面倒を見るから、汚い金には手を出さないでね」というわけです。その延長線上で、地方議員にも政務活動費(旧政務調査費)という公金が支給されるようになりました。

 とはいえ、どんなに手厚い制度を作っても、権力に群がり、公金をむさぼろうとする連中がいなくなるわけがありません。それは、森友学園問題や最近、報道が増えた愛媛県今治市の獣医学部新設問題を見れば、明らかです。安倍晋三首相のお友達が経営する学校法人「加計(かけ)学園」が新設を計画している岡山理科大学の獣医学部には、今治市が16ヘクタールの土地(36億円相当)を無償で譲渡し、愛媛県と今治市が総事業費の半分96億円を負担することになっています。注がれる公金は締めて132億円。これがタダで手に入るわけですから、関係者は笑いが止まらないでしょう。

 小泉政権が「構造改革特区」構想を打ち出してから、加計学園は獣医学部を新設したいと15回も提案したのに、これまでは「獣医師は足りている」という日本獣医師会の意向や文部科学省の反対にあって、ことごとく却下されていました。それが安倍政権になり、「構造改革特区」が「国家戦略特区」に衣替えされた途端、トントン拍子に事が進んだというのですから、便宜供与がなかったと考える方がおかしい。

 森友学園問題では、矢面に立った財務省が「関係書類は保存期間が過ぎたので全て破棄した」とか「土地売却費の8億円値引きは適正な手続きに基づく決定」とか、強弁と詭弁を繰り返しています。加計学園問題では、獣医学部の新設容認が「総理のご意向だと聞いている」と記した文部科学省の内部文書について、菅義偉(すが・よしひで)官房長官が「怪文書みたいな文書じゃないか」と迷言を吐く有り様です。

 私たちの社会にとって深刻なのは、こうした政治家や官僚の醜い対応が「教育」を舞台にして為されている、ということです。次の時代、未来を担う人間をどうやって育てていくのか。それを考え、実践していくべき場で、公金をむさぼる行為がまかり通り、不正をごまかす言葉がまき散らされているのです。憂うべきことです。

 自民党や文部科学省は「人間としての生き方についての考えを深める学習が必要だ」として、道徳をこれまでの「教科外の活動」から「教科」に格上げすることを決めました。来年以降、小中学校で正式に教科としての道徳の授業が始まります。いっそのこと、森友問題や加計問題での政治家や官僚の嘘とごまかしをそのまま教材にしてはどうか。子どもたちにとって、何より分かりやすい「道徳の反面教師」になるのではないか。

 子は親の背中を見て育つ、と言います。政府が嘘とごまかしで押し切ろうとする姿を見ていれば、子である都道府県や孫である市町村も右ならえをすることになります。実際、私が暮らしている山形県でも似たようなことが起きています。全国津々浦々で続く公金のむさぼり合い。こんなことを許していたら、それこそ、国が滅びてしまいます。



≪参考文献・記事&サイト≫
◎『田中角栄研究?その金脈と人脈』(立花隆、月刊誌『文藝春秋』1974年11月号)
◎リクルート事件(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E4%BA%8B%E4%BB%B6
◎加計学園の獣医学部新設問題に関する報道
 ・2017年5月18日付の朝日新聞、毎日新聞(山形県で販売されている版)
 ・2017年5月25日付の朝日新聞(同)
◎今治市と愛媛県の獣医学部新設に伴う負担に関する報道(毎日新聞のサイト)
https://mainichi.jp/articles/20170304/ddl/k38/010/544000c
◎道徳教育について(文部科学省の資料)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/078/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/08/05/1375323_4_1.pdf


≪写真説明とSource≫
◎愛媛県今治市に新設される岡山理科大学獣医学部の完成予想図
http://mera.red/%E5%8A%A0%E8%A8%88%E5%AD%A6%E5%9C%92%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81

*メールマガジン「風切通信 27」 2017年5月17日

 優れた本は、すらすらと読み進むことができません。時折、本を置いて考え込んでしまいます。忘れかけていた記憶を呼び覚ましたりもします。国谷裕子(くにや・ひろこ)さんの著書『キャスターという仕事』(岩波新書)も、しばしば立ち止まってしまう本でした。

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  NHKの「クローズアップ現代」はよく観ていましたので、番組のキャスター、国谷さんの顔は何度も拝見していましたが、どういう道を歩んできた人かはこの本で初めて知りました。彼女は、父親の勤務の関係で海外生活が長く、小学校の数年間を除けば日本での教育を受けていません。そのため、英語は堪能なのに日本語に自信が持てず、日本の事情にも疎いためコンプレックスを抱いていたといいます。

 彼女のキャスターとしてのキャリアは、1981年にNHKが夜7時のニュースを英語でも放送し始めた際、その英語放送用のアナウンサーとして採用されて始まりました。といっても、大事なところはベテランのアナウンサーが読むので、国谷さんは日本語の原稿を受け取って英語放送用の作業部屋に走って届ける、といった雑用もこなしたといいます。

 駆け出しのアナウンサーからNHKの看板番組のキャスターになるまでの艱難辛苦は読み応えがあります。毎週4回、23年にわたって続けたキャスターとしての仕事を振り返り、反芻している各章は、それぞれがドラマのようです。一人の人間が修練を積み重ね、骨太のジャーナリストになっていく物語になっています。

 その意味で、この本はジャーナリストを志す若者にとって教科書とも言えるような良書なのですが、私にとって最も印象深かったのは、2001年5月17日に放送された「クローズアップ現代 高倉健 素顔のメッセージ」について詳述しているところでした。

 俳優の高倉健は寡黙なことで知られています。番組でインタビューを始めたものの、返ってくるのは短い答えのみ。対話はまったく弾まなかったといいます。国谷さんは、「テレビのインタビューにほとんど応じることのない高倉さんがくださった貴重な機会。覚悟を決めて待とう」と思った、と記しています(p133)。実際、インタビューの中で沈黙が17秒も続いたのだとか。

 当時、高倉健は映画『ホタル』の撮影を終えたばかり。「これからはどういう作品に出たいと思いますか?」という彼女の問いかけに、高倉健はこう答えました。
「まだ頭のなか、何にも考えていないですね。もう嫌でも封切りの日がきますから、その日が一番辛くなる日なんですけど。でも、どっかでいい風に吹かれたいというふうに思いますね」「いい風に吹かれるためには、自分が意識して、いい風が吹きそうな所へ自分の身体とか心を持っていかないと。じっと待ってても吹いてきませんから。吹いてこないっていうのが、この頃わかってきましたね」

 「いい風に吹かれたい」。この言葉に出くわして、私は忘れかけていた、南インドで吹かれた風のことを思い出しました。1992年から3年間のインドでの仕事と暮らしは、充実していたものの、とてもしんどいものでした。摂氏50度の熱波にさらされる取材。出張先は戦火が収まらないアフガニスタンや政争激しいパキスタン・・・。その厳しさからしばし逃れるために、私は南インドの古都マイソールに旅に出ました。

 マイソールは南インド研究の泰斗、辛島昇・東大名誉教授(故人)が若い頃に貴子夫人と暮らした街です。インドとはどういう国、どういう社会なのか。戸惑い、立ちすくむたびに、私は辛島夫妻に教えを請い、2人の著書をひもときました。私にとって、辛島氏監修の『インド 読んで旅する世界の歴史と文化』と貴子夫人の著書『私たちのインド』は、どちらもインド取材の礎のような本でした。

 2人が暮らした街はどんな街なのか。それが知りたくて、私は南インドのバンガロールに飛び、さらに車を駆ってマイソールを訪ねました。記事になるような話は何もなく、今となってはどんな街だったのかすら思い出せないのですが、その帰り道のことはかすかに覚えています。マイソールを去り、ダム湖のほとりに辿り着いた時です。空っぽの心を抱えて、漫然と湖を眺めていると、柔らかな風が吹き、頬をかすめていったのです。「いい風だな」。生まれて初めて、心からそう思いました。そして、「これでまた明日から力を出すことができる」と感じたのです。

 楽しいことや嬉しいこともあるけれど、つらいことや悲しいことの方が多いのが人生です。つらくて、つまずきそうになった時、支えてくれるのは、ささやかな喜びや小さな恵みの記憶です。この頃、しみじみそう思います。いい風に吹かれたい。そして、また少し、生きる力を補いたい。


≪参考文献≫
◎『キャスターという仕事』(国谷裕子、岩波新書)
◎『私たちのインド』(辛島貴子、中公文庫)
◎『インド 読んで旅する世界の歴史と文化』(辛島昇監修、新潮社)
◎『今夜、自由を』(上下、ドミニク・ラピエール、ラリー・コリンズ共著、早川書房)

≪写真説明とSource≫
◎高倉健
http://pinky-media.jp/I0004294