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May 2016 の投稿一覧です。
*メールマガジン「風切通信 4」 2016年5月29日

 「71年前の、雲一つない晴れ渡った朝、死が空から舞い降り、世界を変えてしまいました」。バラク・オバマ大統領は広島での演説をそう切り出しました。「なぜ、私たちはここ広島に来るのか。私たちは、そう遠くない過去に解き放たれた恐ろしい力に思いを馳せるためここに来るのです」と言葉を継ぎ、広島への原爆投下で亡くなった10万人以上の日本人に加えて、広島にいて命を落とした数千人の朝鮮人と十数人の米国人捕虜を悼みました。

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 心のこもった優れた演説でした。歴史への深い洞察と未来への希望を感じさせる演説でした。アメリカでは大統領だけでなく著名な政治家も、作家やジャーナリストをスピーチライターとして抱えて演説の草稿を書いてもらうのが一般的なようですが、最後にその草稿に自分の思いも十分に織り込んだのではないか、と思わせる内容でした。

「私たちは悪事をなす人間の力を根絶することはできないかもしれません。だから、国家や同盟は自衛する手段を持たなければなりません。しかし、わが国をはじめ核兵器を持つ国々は、恐怖の論理から抜け出して核なき世界をめざす勇気を持たなければなりません。私の生きている間には、この目標は実現できないかもしれません。しかし、たゆまぬ努力によって破局が起きる可能性を押し戻すことはできるし、蓄積された核兵器の廃絶に至る道筋を描くことはできるはずです」

 オバマ大統領の広島演説を聞いて、かつてイスラエルのシモン・ペレス首相(当時)が口にした言葉を思い出しました。1995年12月6日に広島で開かれた国際会議「希望の未来」。ペレス首相はエルサレムの首相官邸からインターネット回線を通してこの会議に参加し、こう言ったのです。「問題は武器ではなく、政治システムだ。最も危険なのは、邪悪な運動と核兵器が結び付くこと。独裁や腐敗した政府に信を置くことはできない。全体が民主的な体制にならない限り、核兵器のない世界にたどり着けると考えるのは妄想だ。未来の世界にとっての真の保障は民主的なシステムだ」

 この国際会議は朝日新聞社と米国のウィーゼル財団が共催したもので、私は担当記者の一人としてこの演説を聞き、記事を書きました。最初、私は「核廃絶は幻想だ」と書いたのですが、英語が堪能な同僚から「いや、 disillusion(幻想、幻滅)ではなく、delusion(妄想)と言っている。そのまま書くべきだ」と指摘され、発言を確認したうえで手直ししたのを覚えています。淡々とした口調ながら断固とした表現で、強烈な記憶として残りました。ペレス首相の言葉は国際政治の冷徹な現実を映し出したものでした。

 現実を率直に語るのは、政治家のなすべきことの一つです。米英仏やロシア、中国に加えてイスラエルやインド、パキスタン、北朝鮮が核兵器を保有していることを考えれば、核廃絶を唱えるのは、彼の言う通り、限りなく「妄想」に近いのかもしれません。しかし、それでも、現実だけでなく、理想と夢を語るのも政治家の大切な仕事の一つです。オバマ大統領の言葉もまた重いし、胸に刻みたいと思うのです。

 たとえ妄想に近いものであっても、核廃絶をめざす勇気を持ちたい。私だけでなく、多くの人が勇気と妄想のはざまで揺れ動きつつ、世界の行く末を思っているのではないでしょうか。こういう時、心の支えにする言葉があります。南アフリカで白人政権のアパルトヘイト(人種隔離)政策と闘い、長い投獄を経て政権を奪取し、黒人と白人が共存する道を切り拓いたネルソン・マンデラ氏の言葉です。彼は、自伝『自由への長い道』(東江一紀訳)の最後にこう記しました。

 「あらゆる人間の心の奥底には、慈悲と寛容がある。肌の色や育ちや信仰のちがう他人を、憎むように生まれついた人間などいない。人は憎むことを学ぶのだ。そして、憎むことが学べるのなら、愛することだって学べるだろう」


(*オバマ演説は長岡昇訳、マンデラ自伝は東江一紀訳)


≪参考サイト、文献≫
◎バラク・オバマ大統領の広島演説全文(日本語、朝日新聞のウェブサイトから)
http://www.asahi.com/articles/ASJ5W4TKRJ5WUHBI01N.html
◎バラク・オバマ大統領の広島演説全文(英語、朝日新聞のウェブサイトから)
http://www.asahi.com/ajw/articles/AJ201605270097.html
◎ネルソン・マンデラ著『自由への長い道』(上下、東江一紀訳、NHK出版)

≪写真説明とSource≫
◎広島で演説するバラク・オバマ大統領
http://nikkidoku.exblog.jp/25273980




*メールマガジン「風切通信 3」 2016年5月23日

 山村の実家で年金生活を始めた私の目下の課題は「生活力の向上」です。新聞記者として30年余り生き、その後、小学校と大学で働きましたが、炊事、洗濯、掃除のノウハウをほとんど知りません。かみさんに基礎から教えてもらっていますが、「こんなこともできないの」と冷ややかに言われる毎日。かみさんは山形市の実家で母親(92歳)の世話をするかたわら、毎週、私の生活を支援するため山奥の家まで来てくれます。「これじゃあ家事手伝いとも言えないので、家事見習いね」とのご託宣。悔しくても、言い返せません。

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 農村で生まれ育ったのに、草花や木々のこともほとんど分かりません。それではうるおいに欠けるので、前回のコラムでも書きましたが、庭先に咲いている花の名前を調べることから始めました。古い人間なので植物図鑑や山野草のハンドブックに頼る。が、本をめくってもなかなか分かりません。インターネットのサイト「みんなの花図鑑」や「四季の山野草」の方がずっと頼りになることを知りました。

 「みんなの花図鑑」はNTTグループが運営しているサイトです。2010年秋に3億円を出資してリニューアルし、3000種以上の花のデータを収めています。登録利用者は現在、1万8000人余り。このサイトに花の写真を投稿して「名前を教えてください」とお願いすると、早い時には数分で次々に回答が寄せられます。

 庭の片隅に、白い可憐な花が咲いていました。草丈10数センチ、花径3センチほど。根元から細長い葉をいくつも出しています。図鑑で調べて「ホソバノアマナ(細葉の甘菜)」ではないかと見当をつけたのですが、「みんなの花図鑑」に投稿した写真に寄せられた回答は「オオアマナ(大甘菜)」と「タイリンオオアマナ(大輪大甘菜)」の二つでした。この二つの花をさらにネットで検索しても、なかなか分からなかったのですが、コメント付きで答えてくれた方がいて、ようやくヨーロッパ原産の「オオアマナ」と判明しました(ホソバノアマナは日本原産)。

 そのコメントがすごかった。花の名前だけでなく、オオアマナの学名Ornithogalum umbellatum L. と英語名 Star of Bethlehem(ベツレヘムの星)を記し、「 学名で検索するとオオアマナとタイリンオオアマナの違いがよくわかります」というアドバイスまで付けてくれていたのです。さっそく、両方の学名で検索すると、英語のサイトに辿り着き、その説明で両者の違いがよく分かりました。タイリンオオアマナの花がバナナの房のようにくっついて咲くのに対して、オオアマナは茎から散開して咲くのです。「総状花序(かじょ)」に対して「繖形(さんけい)花序」と言うのだそうです。

 インターネットのすごさを感じるのはこういう時です。日本語のサイトで分からなければ、英語のサイトに当たり、別の言語ができれば、その言語のサイトで調べることもできます。「知識と情報の世界で革命が起きた」というのは誇張ではなく、現実であり、その流れはさらに勢いを増しています。租税回避地をめぐるパナマ文書の暴露と報道も、ネット時代でなければ考えられない出来事です。次の時代を生き抜くためには「ネットと語学」がどうしても必要になるのです。

 それなのに、日本の教育現場では何が起きているのか。小学校の校長をしている時、インターネット教育の状況に愕然としました。講師役で登場したのは地元の警察署の少年補導係の警察官だったのです。これは、私が勤めていた小学校に特有のことではなく、山形県内の小中学校の一般的な傾向でした。「ネットにはエログロがあふれている。援助交際の窓口もある。裏サイトでのいじめも深刻だ。いかに危険なものかを教えなければならない」という感覚なのです。「最初にそれを教えるのはおかしい」と私が言うと、「教育現場の厳しさを知らないよそ者の戯言」と言い返される有り様でした。山形県に限った話ではないでしょう。

 インターネットの世界は現実の世界と背中合わせになっており、ネット上には小学生や若者に有害なものもあふれています。それに対処するのは重要なことです。けれども、最初の段階でそれを強調するのは、包丁の使い方を説明するのに「包丁は危ないものだ」と教えるのと同じです。料理を作るのに包丁は不可欠です。なのに、「包丁は人を傷つけるのに使われるから危ない」と最初に教えてどうするのか。

 こういう教育が行われているのは「大人の都合による教育」がまかり通っているからでしょう。子どもを「管理する対象」として捉えており、「大人たちとは異なる時代、異なる世界を生きていく人間」として遇しようとしていない、と言ったら言い過ぎでしょうか。学校現場のIT環境の劣悪さと併せて、「世界の流れと教育の現状との乖離」を強く感じました。

 最近、文部科学省は小学校の教育に「プログラミング」を導入しようとしていると報じられています。小学生にプログラミングの基礎を教えようというわけです。「相変わらず、トンチンカンな役所だなぁ」と感じます。公立小中学校の教員のほぼ全員にパソコンが貸与されるようになって、まだ5、6年しかたっていないというのに。教員のIT教育をなおざりにし、学校のネット環境もきちんと整備しないまま、メディアが飛びつくような新規事業に血道をあげる文科省。それを垂れ流す記者クラブの面々。そのツケを払わされるのは私たちの子どもたちであり、孫たちです。

 「包丁はこうやって使って料理しましょう。でも、使い方を間違えると危ないよ」。インターネットについても、同じようにその効用とリスクをきちんと教えるべきです。教育の場にこそ、最新の設備とノウハウを提供する必要があります。そのためには、今の教育行政と教育現場を大胆に変革しなければなりません。が、このままでは、変革どころか改善すらできそうもありません。それがとても切ないです。


≪参考サイト≫
◎「みんなの花図鑑」
https://minhana.net/
◎「四季の山野草」
http://www.ootk.net/shiki/
◎ 「みんなの花図鑑」とは(NTTのホームページから)
http://www.ntt.co.jp/news2011/1104/110413a.html


≪写真説明≫
◎ 庭の片隅に咲いている「オオアマナ」(2016年5月14日、山形県朝日町で撮影)





*メールマガジン「風切通信 2」 2016年5月9日


 山形県の山村にある実家で暮らし始めて、二度目の春を迎えました。去年は亡くなった母の遺品や不要物の後片付けに追われ、庭は荒れ放題でしたが、やっと余裕が出てきたので、少しだけ庭の手入れも始めました。その庭にいくつか変わった花が咲いています。

 雪解けの後、福寿草に続いて咲いたのは「キバナノアマナ(黄花の甘菜)」という可憐な花でした。図鑑によるとユリ科の植物で、一枚だけアヤメの葉のような細長い葉を出しているのが特徴です。しばらくすると、赤紫の楚々とした花も咲きました。山と渓谷社の『春の野草』(永田芳男著)で調べても分からず、園芸愛好家のウェブサイトに写真を投稿して「どなたか花の名前を教えてください」とお願いしました。

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自宅の庭に咲いているルナリア

 ところが、投稿される「名前不詳の花」の写真はかなりの数で、どなたからも回答が寄せられませんでした。やむなく、図鑑やネット上の画像を手掛かりに探索したところ、ようやく「ルナリア」というヨーロッパ原産の花であることが分かりました。花の近くにある平べったい鞘(さや)に種子が6個ほど入っており、これが決め手になりました。この鞘は、熟すと割れて種子が飛び出し、銀貨のようにキラキラ輝くのだそうです。このため、ドライフラワーの愛好家に人気で、「銀扇草」や「大判草」の異名もあるとか。

 説明文を読んで驚きました。「みんなの趣味の園芸」というウェブサイトに、「和名の『ゴウダソウ』は、フランスからタネを持ち帰り、日本に導入した大学教授の合田(ごうだ)清氏の名前に由来します」とあったからです。合田氏は幕末の文久2年(1862年)、江戸・赤坂の生まれ。明治13年、18歳で兄と共にフランスに渡って西洋木版画を学んでその先駆者になり、東京美術学校(東京芸大美術学部の前身)で長く教壇に立った人物です。その合田氏がルナリアの種子を持ち帰り、広めたのでした。

 志を抱いてフランスに渡った若者が持ち帰った花が、いったいどのようにして広まり、どのようなルートで新潟県境に近いこの山村まで辿り着いたのか。不思議な思いにとらわれました。合田氏は、私が働いていた朝日新聞と深い縁のある人でした。手もとにある『朝日新聞社史 明治編』によると、大阪の新聞だった朝日新聞が明治21年に東京進出を決めた際、社主の村山龍平はフランスから帰った合田氏に入社するよう懇請したといいます。写真製版の技術がなかった当時、西洋木版は最先端の技術で、それを活用して紙面を飾りたいと考えたのでしょう。

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東京朝日新聞の付録に掲載された「磐梯山噴火真図」

 合田氏は「自由な立場で活動したい」と入社は断りましたが、版画家の山本芳翠氏と共に設立した生巧館を拠点にして朝日新聞に協力しました。明治21年7月15日、東京朝日新聞の創刊5日後に起きた会津磐梯山の大噴火に際しては、山本氏が被災地に急行して下絵を描き、合田氏が版木に彫って「磐梯山噴火真図」という作品に仕上げて、新聞の付録として発行しました。噴火真図は大変な評判になり、朝日新聞の東京進出を勢いづかせたといいます。この版画は有名で、私も何度か見た記憶があります。「あの版画を制作した人が持ち帰った花だったのか」と、感慨深いものがありました。

 私は18歳で山形を離れて大学に進み、新聞記者として30年余り各地を転々としましたが、インドとインドネシアに駐在した5年間を除けば、ほぼ毎年、帰省していました。その際、実家の庭にある草花も目にしていました。このルナリアも咲いていたに違いないのですが、それに心を寄せることはありませんでした。疲れ果てて、ただだらしなく眠りこけるだけ。なんと余裕のない人生だったことか。

 新聞社を早期退職して山形に戻り、民間人校長として4年、大学教員として3年働いている間も、何かに追い立てられるような日々で、相変わらず草花を愛でる余裕はありませんでした。「ひっそりと庭に咲いているこの花は何という名前なのだろう」。そんな気持ちになれるまで、63年もかかってしまいました。

 それでも、遅すぎるということはないはずです。身近にある草花や木々をゆっくりと眺め、その名前を探し、来歴に思いを巡らして楽しむことにします。月を意味する「ルナ」を冠した名前を持ち、西洋木版画の先駆者にちなむ別名を持つ「ルナリア」に続いて、「オダマキ(苧環)」という花も見つけました。淡い青紫の花で先端に白い縁取りがある素敵な花です。

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オダマキの花

 この花の漢字名の最初の文字「苧」は、日本で綿花の栽培が広まる江戸時代まで衣服や漁網の素材として広く使われていた「青苧(あおそ)=カラムシ」を意味する文字で、麻の一種です。山形県の内陸部はその青苧の大産地の一つでした。オダマキもまた、不思議な物語を秘めているに違いありません。ゆっくりと、その物語をひもとくことにします。



≪参考サイト、文献≫
◎ ルナリアの説明(ウェブサイト「みんなの趣味の園芸」から)
https://www.shuminoengei.jp/m-pc/a-page_p_detail/target_plant_code-821
◎合田清氏の経歴(東京文化財研究所のホームページから)
http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8444.html
◎『山渓フィールドブックス9 春の野草』(永田芳男著、山と渓谷社、2006年)
◎『朝日新聞社史 明治編』(朝日新聞百年史編修委員会編)194-197ページ

≪写真説明とSource≫
◎自宅の庭に咲いているルナリアとオダマキ(2016年5月7日、山形県朝日町で撮影)
◎山本芳翠・画、合田清・刻の「磐梯山噴火真図」(明治21年8月1日の朝日新聞付録に掲載)=郡山市立美術館のホームページから
https://www.city.koriyama.fukushima.jp/bijyutukan/collestion/05/16.html