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2006年11月16日 朝日新聞夕刊 コラム「窓 論説委員室から」


 甲乙つけがたい提案が二つあった場合、どうするか。「じゃんけん」で決めている会社の話が経済誌に載っていた。愛知県のマスプロ電工というテレビ部品メーカーだ。「これなら、負けてもしこりが残らないから」と社長が語っていた。確かにあれこれ迷うより、いいかもしれない。会社の業績も好調らしい。


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考えてみれば、じゃんけんはすごいゲームだ。グー、チョキ、パーのそれぞれが強くて弱い。哲学的ですらある。気になって、起源を調べてみた。大手出版社の百科事典は30行足らずの記述しかなくて、要領を得ない。図書館でも、いい本や資料が見当たらない。その歴史から語源まで、内容がもっとも充実していたのはインターネット上の無料百科事典「ウィキペディア」だった。

 それによると、じゃんけんの誕生は意外に新しく、19世紀末の日本だという。戦後、日本が立ち直り、経済的に発展するにつれて海外に広まったようだ。 英語ではRPSという。Rock(岩)、Paper(紙)、Scissors(はさみ)の頭文字を取ったものだ。

 カナダに「世界じゃんけん協会」というのがある。11年前に結成され、4年前から世界選手権大会を開いている。代表のグラハム・ウォーカーさんによると、先週末、トロントで今年の大会が開かれたが、日本からの参加者はゼロだった。「寂しい」と嘆いていた。「本家」としては、やや肩身が狭い。       〈長岡昇〉




2005年6月12日 朝日新聞の社説「児童労働」


 学校に行かず、家族の生活を支えるために働く。そうした児童労働は、先進国ではほとんど見かけなくなった。けれども、アジアやアフリカ、中南米の途上国では農園や工場でいまだに多くの子どもたちが働いている。国際労働機関(ILO)の推計によれば、世界中の15歳未満の子どものうち、1億8600万人が働いている。6人に1人の割合だ。

 働く姿を目にすることはなくとも、私たちの身の回りには子どもたちの手で生み出されたものがあふれている。チョコレートはその一つである。原料になるカカオ豆の多くが西アフリカの国々で栽培されている。北海道大学の石弘之教授が新著「子どもたちのアフリカ」(岩波書店)で、カカオ農園の実態を描いている。

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チョコレートの原料になるカカオ豆

 最大の輸出国コートジボワールでカカオ豆を摘むのは、奴隷として売られてきた少年たちだ。早朝から深夜まで棒で殴られながら働かされている。チョコレートとは、カカオ豆を炒って砂糖と牛乳、それにアフリカの子どもたちの汗と血と涙を加えたもの??地元の人たちは悲しみを込めて、そう言う。

 木綿のシャツにも、子どもたちの労苦が織り込まれていることがある。南インドでは、10代前半の少女たちが綿花の授粉と綿摘みをしている。現地で調査にあたった一橋大学の黒崎卓・助教授は「安くて従順な労働力として、雇う側には好都合なのだろう」と見る。

 73年に採択されたILO条約で、15歳未満の子どもを働かせることが原則として禁止された。条約を生かすための国際計画が作られ、各国でさまざまな施策が推し進められている。3年前からは、ILOが6月12日を「児童労働反対世界デー」とすることを提唱し、取り組みを強めてきた。

 だが、改善の兆しはなかなか見えない。アフリカではエイズが蔓延し、社会の基盤を掘り崩しつつある。アジアには、圧政や腐敗にあえぐ国がある。それぞれの国を土台から立て直さない限り、子供たちを労働から解き放ち、学舎にもどすのは難しい。児童労働がはびこる国々で何が起きているのか。まず、それを知り、私たちに何ができるのかを考えたい。

 インドの労働組合は日本のNGO「国際労働財団」の支援を受けて、石切り場で働く子どもたちを学校に通わせる活動を続ける。子どもが働くのを当たり前のように見ていた大人たちの意識が、少しずつだが変わってきた。

 国際機関や国、自治体に加えて、NGOの果たす役割はますます重要になってきた。それをしっかりと支えたい。先進国の企業にとっても他人事ではない。児童労働で生まれる原料や製品をなくしていくように努める。そうした姿勢の企業を後押ししたい。
 一つひとつは細い糸でも、束ねれば、太くて強い綱になる。





2000年6月3日 朝日新聞夕刊1面 
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 「生きた化石」といわれ、アフリカ南部でしか見つかっていなかった古代魚シーラカンスが3年前、インドネシアのスラウェシ島でも発見された。サンゴがきらめく透明な海。海洋学者は「海面下の断がいにシーラカンスが好む横穴がたくさんある。生息に最適の条件がそろっている」という。経済の低迷にあえぐ地元は「シーラカンスで地域興しを」と夢見ている。
 (マナド<インドネシア・スラウェシ島>=長岡昇)
 
 ●サメの網に
 シーラカンスを最初に捕まえたのは、マナド沖合のマナドトゥア島に住む漁師のマクソン・ハニコさん(38)。1997年9月、サメを取るための底刺し網にかかっていた。
「うろこが硬いのにブヨブヨして、変な魚だった。長いこと漁をしているおやじも『見たことがない』と言っていた」

 マナドの魚市場に運んだ。そこに、米カリフォルニア大学バークリー校の海洋学者、マーク・アードマンさん(31)が居合わせた。インドネシアでの研究が一区切りつき、バリ島で結婚式を挙げた。新婚旅行でマナドまで足を延ばし、散歩がてらに市場を訪れたところだったという。「シーラカンスみたいだが、まさか」と思い、写真を撮っただけだった。インドネシア初のシーラカンスは、3万ルピア(約400円)で仲買人に競り落とされた。
 
 ●たった100円
 マクソンさんと仲間の漁師はその後、同じ魚を2匹捕まえたという。「脂っぽくてまずい」と評判が悪く、3匹目の売値はわずか8000ルピア(約100円)。買い取ったレストランの経営者は「食えそうもないので捨ててしまった」と話した。

 米国に戻ったアードマンさんが専門家に写真を見せたところ「シーラカンスに間違いない」との鑑定。アードマンさんは発見場所に近いブナケン島に居を構え、本格的にシーラカンスの研究を始めた。

 翌1998年7月、漁師のラメ・ソナタムさん(57)が同じマナドトゥア島沖で、シーラカンスを生きたまま捕まえた。マクソンさん同様、水深100?200メートルでサメ用の底刺し網にかかっていた。ラメさんによると、底刺し網漁を始めたのは1983年から。中華料理に使われるフカヒレが高値で取引されるようになったからだ。

 この標本はジャカルタ郊外の研究所に運ばれ、論文が科学誌に掲載された。発見は海外で大きく報じられたが、インドネシアの新聞は地味な記事を載せただけだった。この年、インドネシアではスハルト政権が倒れ、国内は混乱の極みにあった。経済危機も深まるばかり。地元サムラトゥランギ大学のブルヒンポン水産学部長は「研究費を申請したが、まったく認められなかった」と嘆いた。

 それでも、大学の研究者や非政府組織(NGO)が中心になって、地域興しの運動を始めた。シーラカンスをあしらったアクセサリーやハンカチが土産品として登場した。NGOの関係者は「政情不安で観光収入は激減した。隣のマルク諸島では宗教抗争がくすぶっている。シーラカンスのある水族館ができれば、足を運んでもらえる」と期待を込める。

 「水中遊歩道をつくって、シーラカンスの泳いでいるところを見てもらったらどうか」「人工飼育はできないだろうか」。資金はないが、夢はどんどん広がっている。
 
 ●日本が支援
 この地域興しを、日本の国際協力事業団が支援している。海洋保全の専門家として環境庁から派遣された和田茂樹さんらが、関係機関を集めて保護検討委員会を立ち上げるなど奔走した。和田さんは「アフリカでは欧米の研究者がシーラカンスを全部持っていって、地元には何も残らなかった。インドネシアでは地元が活用できるように手助けしたい」と話している。
 
 <シーラカンス> 約4億年前の古生代デボン紀に登場し、約7000万年前(中生代白亜紀)に絶滅したと考えられていた原始的な魚。1938年、南アフリカの沖合で発見され、その後、マダガスカル島やコモロ諸島で多数捕獲された。魚から陸生動物への進化の道筋からそれて孤立した特殊な魚と考えられている。硬骨魚類の総鰭(そうき)類に属する。

 
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 【写真説明】
 シーラカンスを捕まえた漁師のラメさん(右)とマクソンさん。手にしている刺し網にかかった/撮影・長岡昇=北スラウェシ州マナドトゥア島で
 98年に発見され、インドネシア科学院の生物研究開発センターに保存されているシーラカンスの標本。一般には公開していない/撮影・長岡昇=ジャカルタ郊外のチビノンで
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1993年1月13日付 朝日新聞国際面のコラム「特派員メモ」から


 1992年末から始まった宗教暴動がインド中に広がり、世情が騒然としてきたら、1階に住む家主さんが突如、大型犬を飼い始めた。門の前ではもともと、チョキダールと呼ばれる警備員が寝ずの番をしているのだが、「それだけでは心もとない」と考えたようだ。
 ところが、この犬がものすごい勢いでほえ続ける。2階に間借りしているわが家にまで、グワングワンと響いて眠れないほどだ。

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 「おいしいものでも食べれば、落ち着くかも」と思って、ある日の夕方、ベランダからおかずの肉ダンゴを2個投げてみた。わざわざシンガポールまで行って買ってきた上等の豚肉だ。なのに、このワンちゃんはクン、クンと二度ほどにおいをかいだきり、プイと横を向いてしまった。
 次の日、家主さんに聞いたら「あの犬も、菜食主義なんです。ミルクとパンと野菜以外は受けつけません」。家主さん一家はジャイナ教徒で、全員が厳格な菜食主義者だ。考えてみれば、肉を食ったりする不埓(ふらち)な犬を飼うはずがなかった。
 忠実で仕事熱心だったが、間もなく、この菜食主義犬はお役御免になった。家主さんも、うるさくて眠れなかったらしい。こちらもホッとした。家族からは「貴重な肉を無駄にした」と責められたけれど。

※古い記事なので、冒頭に「1992年末から始まった」と加筆しました。

(ニューデリー・長岡昇)

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※上の写真は、銀座でワインバー「オクシトン」を経営する
 小島宏明さんと初枝さんの愛犬クローカ。
 彼はベジタリアンではありません。コラムとは直接の関係はありませんが、
 愛らしく、また富士山のたたずまいが初春らしいので掲載させていただきました。

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