*メールマガジン「小白川通信 33」 2015年11月8日

 それは新聞記者になって4年目のことでした。1981年の晩秋から冬にかけて、横浜市内の警察を担当していた私は、いつものように横浜水上警察署の発表資料に目を通していました。「川に男性の水死体」との資料。「またか」と思いました。そのころは、毎月のように港や水路に男の水死体が浮かび、発見されていたのです。

 当時の取材ノート(1981年11月10日?)に、次のようなメモ書きがありました。
発見日時:11月25日午前6時48分
場 所:横浜市中区吉浜町の中村川水門付近
発見者:横浜市中区の船員(42)
事 案:身元不明の男の水死体。年齢、推定で50歳前後。頭髪はスポーツ刈り。
    茶色のチャック付きジャンパー、茶色のズボン、ゴムの半長靴。
    所持金なし。外傷なし。ズボンの前チャックがはずれている。
発見状況:船の甲板で作業をしていた船員が岸壁と船の間に浮いている死体を発見
死 因:溺死とみられる。酔っていた模様
死亡推定:25日午前5時ごろ

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横浜のドヤ街・寿町。30年前に比べると、ずいぶんこぎれいになった


 殺人や強盗が相次ぐ横浜では、ベタ記事にもならない事件でした。実際、記事にすることもなく、取材ノートにはすぐに別の事件のメモが走り書きしてありました。記憶の底にうずもれていく小さな事件の一つでした。ただ、かすかに引っかかるものがありました。寒くなって水死体で発見されるのはいつも中年か初老の男性であること、決まってズボンの前チャックが開いており、酒に酔った状態だったことです。けれども、その引っかかりを深く掘り下げる余裕もなく、事件取材に追われて時は過ぎ去っていきました。

 「横浜の水死体」のことが記憶の底からよみがえってきたのは、それから10数年後のことでした。外報部で国際ニュースをカバーしていた時期、気晴らしに新宿・歌舞伎町を舞台にしたヤクザと中国人マフィアの抗争を描いた小説を読んでいたら、こんな記述が出てきたのです。

「犯罪を重ねていくと、刑罰はどんどん重くなる。3回目、4回目ともなると、長期刑は避けられない。これをなんとかしようとして、裏社会では『新しい戸籍を手に入れて、犯歴を消す方法』が編み出された。横浜には、東京の山谷や大阪の釜ヶ崎と並ぶドヤ街・寿町(ことぶきちょう)がある。ここで暮らす日雇い労働者の中から、係累が少なく、姿を消しても誰も気にしないような男を探し出す。寒くなったら、夜、酒をしこたま飲ませて、ズボンのチャックを開けて川に突き落とす。酔っ払って小便をしようとして落ちたことにするのだ。むろん、事前に戸籍を調べて犯罪歴がないことを確認しておく。この男になりすませば、重罪を犯しても初犯として扱われる。短い刑期で娑婆に出て来られるのだ」

 頭をガツンと殴られたような衝撃を覚えました。小説の一場面として描かれていましたが、「これは事実だ」と直感しました。寒い季節になるたびに、毎月のように発見される酔っ払いの水死体。決まって開いているズボンのチャック。警察が「身元不明の溺死体」として処理し、新聞記事にもならないような事件の裏に、そんなことが隠されていたとは・・。新聞記者として裏社会の一端をのぞいたような気になっていましたが、その闇がどれほど深いのか、初めて目の前に突きつけられた思いでした。

 事件取材で同業他社にスクープされて地団駄を踏んだことは数知れませんが、これほど腹の底に響くような「抜かれ」は初めてでした。悔しさは感じませんでした。むしろ、そんなところまで掘り下げて暴き出す作家の力量に畏敬の念すら覚えました。「日々のニュースを追いかけるのに精いっぱいの新聞記者にできることは限られている。その、さらに奥を追いかけている人たちがいるのだ」と感じ入り、これからは「心の引っかかり」を覚えたことにはきっと何かがある、と考えて取材しなければならない、と肝に銘じたのでした。

 こんな古い話を思い出したのは、最近読んだ『中国 狂乱の「歓楽街」』(富坂聰、KADOKAWA)に「北京で発見される身元不明の変死体」のことが書かれていたからです。中国では戸籍が都市戸籍と農村戸籍に分かれており、地方に住む者が都市戸籍を得るのは極めて難しい。都会に出稼ぎに行き、売春婦として働く女性のほとんどは身分証を偽造して偽名で働いている。このため、トラブルに巻き込まれて殺される売春婦の多くは「身元不明の変死体」として処理されてしまうのだそうです。こういう事件は「無頭案(ウートウアン)」と呼ばれ、多い時には北京だけで月に20件に達したこともあるというのです。中国社会の深いところで何が起きているのか。それを鋭くえぐり出している本でした。

 どの社会も、それぞれ深い闇を抱えています。新聞記者として駐在したインドでは、被差別カーストの人たちが置かれた、すさまじい状況を垣間見ました。戦禍のアフガニスタンで感じた底知れぬ憎悪の連鎖。次に赴任したインドネシアでは、微笑みを浮かべた独裁者、スハルト前大統領の下で、どす黒い犯罪がいかにまかり通っていたかを見聞きしました。新聞記者として伝えられることには限界があると知りつつ、「闇はさらに深い」ということをにじませる記事を書くように努めました。どこまでできたか、自信はありませんが。

 それぞれの社会が抱える闇は深く、一人ひとりの人間が抱える闇もまた深い。しみじみ、そう感じます。その闇の深いところに少しずつ光を当てていく。闇の領域をできるだけ小さくしていく――開かれた社会とは、そうした試みをあきらめることなく、コツコツと積み重ねていく社会のことであり、そうした積み重ねの先にこそより開かれた社会がある、と信じたい。
(長岡 昇)

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 横浜の水死体の話は、馳星周氏か大沢在昌氏の小説で読んだと記憶しているのですが、いくつかの作品を再読しても見つけることができませんでした。別の人の小説だったのかもしれません。

《参考文献》
▽『不夜城』『鎮魂歌 不夜城?』『長恨歌 不夜城完結編』(馳星周、角川書店)
▽『絆回廊 新宿鮫X』(大沢在昌、光文社)

*写真 2015年12月13日、長岡昇撮影










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