*メールマガジン「おおや通信 78」 2012年3月6日


 なるほど、官僚たちはこうやって蜜を集めて、吸い続けるのか。民間人校長になってから、つくづく感心させられ、あきれさせられる出来事がありました。視聴覚教育をめぐる醜聞です。

 話は、戦後の焼け跡時代にさかのぼります。食べる物にも事欠く時代。学校で子どもたちに映画や16?フィルムの作品を見せてあげたくても、映写機やフィルムを買うお金などあるわけがありません。GHQ(連合国軍総司令部)はこれをあわれみ、手持ちの映画や16?の作品を提供して、教育の振興を促したといいます。

 「戦後の復興を担う子どもたちに少しでも良い教育を施したい」と、多くの教育者が熱い思いを抱いていた時代でした。資金が足りないなら、みんなでお金を出し合って購入して共同で利用するしかない。そうやって、各県に「視聴覚教育連盟」というものができました。山形県では昭和28年、私が生まれた年に発足しています。

 戦後復興が進むにつれて、県より小さい単位の地域にも「視聴覚連盟」や「視聴覚ライブラリー」といったものが作られていきました。その全国組織が財団法人「日本視聴覚教育協会」と、この財団が事務局をつとめる全国視聴覚教育連盟という団体です。2つとも、少なくともその発足から1980年代あたりまでは、日本の教育にそれなりの役割を果たした組織でした。

 問題は、映画や16?の作品が主要な教材ではなくなり、インターネットで視聴覚教材を含むさまざまな教育の素材が手軽に入手できるようになった今でも、この2つの全国組織とこれを支える地方組織が残存していることです。

 私が住む朝日町も、山形県西村山地区の視聴覚教育協議会という地方組織に入っており、年に35万円の負担金を出しています。5つの市町の首長と教育長が協議会のメンバーで、平成24年度の事業計画を見ると、16?フィルムのメインテナンスや映写機操作技術講習会などというものがあります。文部省の呼びかけで始まった制度と組織が、その役割を終えたにもかかわらず、惰性でいまだに続いているのです。

 その元締めである「日本視聴覚教育協会」の会長は、元文部事務次官の井上孝美氏です。1997年に文部省を退官した後、放送大学学園理事長、放送大学教育振興会理事長と渡り歩き、今も放送大学教育振興会の会長と日本視聴覚教育協会の会長を兼ねて高給を食んでいます(どちらも非常勤の会長職)。

 高給を得ても、それにふさわしい仕事をしているのなら、何も文句は言いません。しかし、日本視聴覚教育協会はとっくにその役割を終えたと考えられるのに、教育映画を作る会社や教科書会社を抱え込み、いまだに視聴覚教育の地方組織に号令をかけ続けています。その事業内容を見ると、天下りした元文部官僚に給料を払い続けるための事業と言いたくなる代物が並んでいるのです。

 時代遅れの視聴覚教育にエネルギーと公費が注がれる一方で、ITとインターネットを教育にどう活かすかという喫緊の課題への取り組みは遅れています。拙著『未来を生きるための教育』でも詳述しましたが、日本の公教育のIT化は置き去りにされ、2010年からようやく小中学校の教職員にパソコンが本格的に貸与され始めたばかりです。米欧諸国は言うに及ばず、韓国やシンガポールなどの国々からも、はるかに離されてしまいました。

 ここで奮い立つなら、まだ救いがありますが、学校のIT化をめぐっては総務省と文部科学省が縄張り争いを繰り広げているのが実情です。電波行政を握る総務省が「フューチャースクール推進事業」なる旗印を掲げて学校へのタブレット端末の普及を図り、文科省は電子黒板や校内LANの整備に躍起になる、という有り様です。そこから見えてくるのは「省益をどう広げるか」という醜い姿であり、次世代を担う子どもをどう育てるのかという真摯さは感じられません。

 そういう人たちは「生き残るためのテクニック」にも長けているので、始末が悪いのです。くだんの「日本視聴覚教育協会」も、このままでは生き残れないと考えてか「ICTを活用した教育活動を推進していきたい」と提唱し始めています。笑止千万です。とっくの昔に退官した文部事務次官を非常勤の会長に据える組織が、いまさらどのようなIT教育を推進すると言うのか。まだ良心が残っているのなら、せめて静かに退場すべきでしょう。

 官僚たちが蜜を集めて、退官後も吸い続けるこうした天下り団体がいったいどのくらいあるのか。そこに血税がどのくらい注ぎ込まれているのか。根っからの楽観主義者である私ですら、それを考えると、暗い気持ちになってしまいます。

 〈注〉タブレット端末:タッチパネル式のミニパソコン。総務省の事業では、研究実証校の生徒に1台ずつ貸与しています。将来、教科書が電子書籍になれば、生徒はこの端末で教科書を呼び出して読むことになり、紙の教科書はなくなります。