2000年6月3日 朝日新聞夕刊1面 
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 「生きた化石」といわれ、アフリカ南部でしか見つかっていなかった古代魚シーラカンスが3年前、インドネシアのスラウェシ島でも発見された。サンゴがきらめく透明な海。海洋学者は「海面下の断がいにシーラカンスが好む横穴がたくさんある。生息に最適の条件がそろっている」という。経済の低迷にあえぐ地元は「シーラカンスで地域興しを」と夢見ている。
 (マナド<インドネシア・スラウェシ島>=長岡昇)
 
 ●サメの網に
 シーラカンスを最初に捕まえたのは、マナド沖合のマナドトゥア島に住む漁師のマクソン・ハニコさん(38)。1997年9月、サメを取るための底刺し網にかかっていた。
「うろこが硬いのにブヨブヨして、変な魚だった。長いこと漁をしているおやじも『見たことがない』と言っていた」

 マナドの魚市場に運んだ。そこに、米カリフォルニア大学バークリー校の海洋学者、マーク・アードマンさん(31)が居合わせた。インドネシアでの研究が一区切りつき、バリ島で結婚式を挙げた。新婚旅行でマナドまで足を延ばし、散歩がてらに市場を訪れたところだったという。「シーラカンスみたいだが、まさか」と思い、写真を撮っただけだった。インドネシア初のシーラカンスは、3万ルピア(約400円)で仲買人に競り落とされた。
 
 ●たった100円
 マクソンさんと仲間の漁師はその後、同じ魚を2匹捕まえたという。「脂っぽくてまずい」と評判が悪く、3匹目の売値はわずか8000ルピア(約100円)。買い取ったレストランの経営者は「食えそうもないので捨ててしまった」と話した。

 米国に戻ったアードマンさんが専門家に写真を見せたところ「シーラカンスに間違いない」との鑑定。アードマンさんは発見場所に近いブナケン島に居を構え、本格的にシーラカンスの研究を始めた。

 翌1998年7月、漁師のラメ・ソナタムさん(57)が同じマナドトゥア島沖で、シーラカンスを生きたまま捕まえた。マクソンさん同様、水深100?200メートルでサメ用の底刺し網にかかっていた。ラメさんによると、底刺し網漁を始めたのは1983年から。中華料理に使われるフカヒレが高値で取引されるようになったからだ。

 この標本はジャカルタ郊外の研究所に運ばれ、論文が科学誌に掲載された。発見は海外で大きく報じられたが、インドネシアの新聞は地味な記事を載せただけだった。この年、インドネシアではスハルト政権が倒れ、国内は混乱の極みにあった。経済危機も深まるばかり。地元サムラトゥランギ大学のブルヒンポン水産学部長は「研究費を申請したが、まったく認められなかった」と嘆いた。

 それでも、大学の研究者や非政府組織(NGO)が中心になって、地域興しの運動を始めた。シーラカンスをあしらったアクセサリーやハンカチが土産品として登場した。NGOの関係者は「政情不安で観光収入は激減した。隣のマルク諸島では宗教抗争がくすぶっている。シーラカンスのある水族館ができれば、足を運んでもらえる」と期待を込める。

 「水中遊歩道をつくって、シーラカンスの泳いでいるところを見てもらったらどうか」「人工飼育はできないだろうか」。資金はないが、夢はどんどん広がっている。
 
 ●日本が支援
 この地域興しを、日本の国際協力事業団が支援している。海洋保全の専門家として環境庁から派遣された和田茂樹さんらが、関係機関を集めて保護検討委員会を立ち上げるなど奔走した。和田さんは「アフリカでは欧米の研究者がシーラカンスを全部持っていって、地元には何も残らなかった。インドネシアでは地元が活用できるように手助けしたい」と話している。
 
 <シーラカンス> 約4億年前の古生代デボン紀に登場し、約7000万年前(中生代白亜紀)に絶滅したと考えられていた原始的な魚。1938年、南アフリカの沖合で発見され、その後、マダガスカル島やコモロ諸島で多数捕獲された。魚から陸生動物への進化の道筋からそれて孤立した特殊な魚と考えられている。硬骨魚類の総鰭(そうき)類に属する。

 
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 【写真説明】
 シーラカンスを捕まえた漁師のラメさん(右)とマクソンさん。手にしている刺し網にかかった/撮影・長岡昇=北スラウェシ州マナドトゥア島で
 98年に発見され、インドネシア科学院の生物研究開発センターに保存されているシーラカンスの標本。一般には公開していない/撮影・長岡昇=ジャカルタ郊外のチビノンで
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