2004年7月17日付 朝日新聞 別刷りbe「ことばの旅人」 

 キリスト教と同じく、イスラム教でも、人間の始祖はアダムとイブである。聖典のコーランに、2人が禁断の木の実を食べて楽園を追われる話が出てくる。旧約聖書とほぼ同じ内容だ。
 ただ、コーランでは、追放される2人に神がこう宣告する。
「落ちて行け。お互い同士、敵となれ。お前たちには地上に仮の宿と儚い一時の楽しみがあろう」(井筒俊彦訳)

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船上でのベリーダンス。この日の踊り子はアルゼンチン人 (撮影:カレド・エル・フィキ〈エジプトの写真家〉)

 厳しい言葉である。男と女、そして性についての、イスラムの厳格な教えを凝縮したような言葉だ。
 イスラム学の総本山、カイロのアズハル大学のモハマド・オスマン教授は言う。
「性は結婚した男女間のものでなければなりません。婚姻外の交渉は許されない。性的な感情をかき立てるようなこともいけない。女性に顔と手以外は肌を見せないように求めているのも、そのためです」
 昼間、エジプトの人たちは比較的よく戒律を守っている。だが、日が沈み、涼しい川風が吹く夜になると、イスラムの教えは闇の中にのみ込まれていく。
 ナイル川に浮かぶ船上レストランで、ピラミッドに近いナイトクラブで、肌もあらわなベリーダンサーが踊りまくる。
「私たちは第4のピラミッドなのよ」
 売れっ子のダンサーが豪語した。「外国人観光客がエジプトに来るのは、ギザの3大ピラミッドに加えて、私たちの踊りがあるから」と自負する。
 観光だけではない。結婚式や誕生祝いでも、ベリーダンスは人気だ。暮らしの中に深く根付いている。
 謹厳なオスマン教授に「伝統文化の一つと言えるのではないか」と尋ねてみた。教授は言下に否定した。「ただ楽しみを追い求めるものは文化とは言えない」。「でも人気があります」。なお食い下がる。教授は少し不機嫌な顔になった。
「この世には犯罪が絶えない。だが、絶えないからといって合法になるわけではない。それと同じことです」
 犯罪と同じ扱いにされてしまった。
 実は、アラビア文学の傑作とされる千夜一夜物語も、エジプトではベリーダンサーのような扱いを受けている。
 一般には、「開け、ゴマ!」の呪文で知られる「アリババと40人の盗賊」や「アラジンと魔法のランプ」といった子供向けの話が有名だが、大人向けの艶話もふんだんに盛り込まれているからだ。
                                論説委員・長岡 昇

ゴマは「美の象徴」

 出だしからして、おどろおどろしい。
 千夜一夜物語は、ペルシャ王妃の密通で幕を開ける。不貞を知った王は打ちひしがれ、同じように妻に裏切られた弟と共に旅に出る。と、今度は旅先で魔王の愛人から淫らな誘いを受ける。
 事を終えて、愛人はささやく。
「女がこうと思い込んだら、誰にも引きとめることはできないのよ」
 魔王すら裏切られる。王の女性不信はここに極まる。旅から戻ると王妃を殺し、ひと晩ごとに乙女を召して殺すようになる。そこに才女シャハラザードが登場して、千夜一夜にわたって奇想天外な物語を語り続ける、という筋立てだ。
 もともとが枕辺での夜話である。口語体なので、表現もどぎつい。
 カイロ大学の文学部で千夜一夜物語を教材に使ったところ、女子学生の親たちから「とんでもない」と抗議される事件があった。1984年のことだ。
 授業を担当したアフマド・シャムスディン教授は「大学当局から教材に使わないように圧力をかけられた」と振り返る。学生たちが擁護に回ったこともあって、大学側は要求を取り下げたが、それ以降、授業ではあまり使われなくなった。

攻撃される自由奔放な物語

 翌85年には、千夜一夜物語を出版した業者がわいせつ罪で起訴され、有罪判決を受けた。控訴審で無罪になったものの、イスラム強硬派は勢いづき、しばらく出版が途絶えた。
 詩人のマサウード・ショマーン氏は「彼らは、艶っぽい話だけを取り上げて攻撃する。ろくに読んでもいない。先達が残してくれた貴重な財産なのに」と嘆く。
 千夜一夜物語は、民衆の日々の営みの中から生まれ、長い歴史にもまれながら今のような形になっていった。愛と憎悪、希望と欲望、人の気高さといやらしさ。それらすべてを、想像力の翼を思い切り広げて、これほど自由奔放に描ききった物語がほかにあるだろうか。
 なんとも不思議な物語の数々。
「アリババと40人の盗賊」も、謎に満ちている。盗賊たちは、金銀財宝を隠した洞穴の岩を開ける時の呪文を、なぜ、「開け、ゴマ!」にしたのか。小麦やエンドウ豆では、どうして開かないのか。
 ものの本には「ゴマの栽培は、古代エジプト時代までさかのぼることができる。搾油のほか、薬草としても使われた貴重な作物」とある。が、古くて貴重な作物ならほかにもある。
 どこで生まれた物語なのかも分かっていない。エジプト芸術学院のサラーフ・アルラーウィ助教授によると、スーダン国境のハライブ地方の語り部たちは「ここが物語の発祥地だ」と言い張っているという。もともと洞穴の多い土地で、「アリババの洞穴」と呼ばれるものもあるとか。
 そういえば、ゴマの原産地はアフリカのサバンナというのが定説だ。スーダンも含まれる。洞穴があり、しかもゴマのふるさとに近い。身を乗り出したが、どうも話ができすぎている。
 日本とエジプトの研究者に呪文のいわれを聞いて回っても、謎は深まるばかり。困り果てて、カイロの旧市街にあるスパイスと薬草の老舗「ハラーズ」を訪ねた。

強権政治が文化を守る役割

 主人のアフメド・ハラーズ氏は、笑みを浮かべながら「誰にも分からないでしょう。謎は謎のままにしておけばいいではありませんか」と慰めてくれた。そして、ゴマを使った面白い表現を教えてくれた。
 アラビア語では、美しい女性のことを「ゴマのようね」と言って、ほめる。目がパッチリして、ふくよかなことがエジプト美人の条件だが、鼻と耳は小さい方が好まれる。
 ゴマは、小さくて美しいものの象徴なのだった。
 90年代に入って、エジプト政府はイスラム組織への締め付けを強めた。日本人も多数犠牲になったクルソールでの外国人観光客襲撃事件の後、弾圧はさらに苛烈になった。今なお続く非常事態宣言の下で、多くの活動家が逮捕令状もないまま身柄を拘束されている。
 宗教勢力からの圧力が弱まり、千夜一夜物語の出版は細々とながら再開された。宗教勢力と世俗勢力が歩み寄って文化を育むのではなく、強権政治が文化を守る。悲しいことだが、それがエジプトの現実だ。
「開け、ゴマ!」。盗賊たちが残した呪文は、心の扉を開くことができずにもがく社会に、皮肉な隠喩となって響き渡る。


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出典
 千夜一夜物語の起源についてはインド、ペルシャ、アラブの3説があり、決着がついていない。特定の作者や編者のいない説話文学で、エジプトで発見された9世紀の写本が最古。各地の説話を取り込みながらバグダッドやカイロで内容が発展し、15世紀ごろ今に伝わる形になった。
 18世紀の初め、フランスの東洋学者アントワーヌ・ガランがアラビア語の写本から仏語に翻訳して紹介、中東以外の世界に広まった。19世紀になると、アラビア語の印刷本も登場した。英語版では「アラビアン・ナイト」の書名が付けられた。
 日本では、明治8(1875)年に「暴夜物語」の書名で英語版から初めて部分訳された。仏語版と英語版からの完訳出版の後、慶応大学の前嶋信次教授(故人)と四天王寺国際仏教大学の池田修教授が、1966年から26年かけてアラビア語原典から完訳し、平凡社東洋文庫から出版した(さし絵は同文庫「アラビアン・ナイト別巻」から)。
 ガランの翻訳以来、アラビア語の写本探しが続けられ、ほとんどの説話の原典が見つかった。「アラジンと魔法のランプ」と「アリババと40人の盗賊」の原典も、それぞれ19世紀末と20世紀初めに発見と伝えられたが、その後の研究で偽物と判明した。原典はともに未発見。

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訪ねる
 ベリーダンス=写真=はカイロ市内のホテルやピラミッド近くのナイトクラブで毎日、演じられている。だが、ショーは午後1時ごろから未明まで。そんな時間にやるのは、地元の人や湾岸産油国からの観光客が日中は暑いので体を休め、涼しい夜にくつろぐため。これでは、欧米や日本からの観光客はなかなか行けない。そこで、夕食をとりながらダンスを鑑賞できる船上レストランがある。ナイル川を2時間ほど上がり下りする間に、ベリーダンスとスーフィーダンス(旋舞)が演じられる。最高級の船上レストランで、酒代を含めて1人3千?4千円ほど。

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